例えばそれが恋だとして 1 なんてことのない一日を過ごしていた。仕事から帰ってきて、朝まで寝て、新ちゃんが万事屋へ行くのを見送って、今日は仕事がないからと普段できないところまで掃除をして、大好きなアイスを食べながら風鈴の音を聞いていた。 夏が近づいてきている。ジトジトと湿った空気が肌を纏う。それは梅雨のせいなのか、夏の熱気のせいなのか。今日は気温が高く晴れているのに、明日以降はまたしばらく曇りの日が続くそうだ。雨が降らなければ洗濯物は干せるけれど、少しだけ仕事に行くのが嫌になりそうな、そんな週間予報だった。 チリンチリンと心地よい音が静かな部屋に響く。暑くて眉間に皺が寄りそうなのをどうにかとどめてくれているのがこのアイスだ。甘くて少しほろ苦い抹茶が、舌の上で溶ける。その瞬間に広がるなんとも言えない幸福な気分は、休日の楽しみの一つなのだ。 「よォ」 だから、突然縁側から顔を出すという無礼な来訪者に、邪魔が入ったと思ってしまったのはしかたがない。そうよ、だって私は悪いことなんてしてないんだもの。足音が聞こえていなかったわけではないけれど、気のせいだったらいいのに、と思っていた。 「もう……来るなら玄関からにしてくださいな」 ブーツを脱ぎ、どっかりと腰を下ろすこの図々しい男を、私はどうしたらいいのだろう。そんな態度にも慣れてしまっただなんて、調子が狂う。拳を振るう代わりに熱いほうじ茶でも煎れてやろうと腰を上げた。 湯気が立つそれを見て、彼は――銀時は、案の定しかめっ面をした。 「なんだよ、俺にもアイスくれんのかと思ったのに」 「どうしてそんなふうに思えるのかがわからないわ。それより、今日はお仕事じゃないんですか? 新ちゃんが行ったはずですけど」 「あいつらは仕事だけど俺は休み。……待て待て、サボってるわけじゃねェから!」 学生のフリして学校に忍び込むんだよ。俺じゃ無理があんだろ。 そうですか、と納得して振り上げた拳を下ろす。だからってうちに来る理由にはなってないですけどね、と思うのは心の中だけにして、再び口にアイスを含んだ。まあ、いいわ。理由なんてなんでも。この人の気まぐれは、今に始まったことじゃないもの。 チリンチリンと音を立てる風鈴。静かな部屋と、熱いお茶を啜る音。不思議な組み合わせね、と薄く笑った。 アイスを食べている間は、それでよかった。先程のやりとり以降何も話さない彼に違和感を覚えても、視線を手元に落としていればよかったのだから。しかし残り少なくなってきたところで、それは焦りに変わる。彼は、何か用があったのではないのだろうか。普段饒舌なだけに、なんだか居心地が悪い。変な空気が流れている。 「……おまえさァ」 「はい」 「実際のとこ、どうなの? あのゴリラ」 「……は?」 どうって、何が? ようやく口を開いたかと思えば意図の掴めない質問で、再びアイスを口にするしかない。あと二口……いや、一口か。 「あいつはいい男だよ、ゴリラだけど。おまえに心底惚れてるだろ。そういうやつは大切にしてくれるぜ?」 「はあ……」 「愛されるのが女の喜びだっつーなら、いいじゃねーか。真選組との折り合いをどうつける気かは知らねーけど。まァ周りには喜んでくれる奴らしかいねェだろ」 「……あの、何が言いたいんです?」 わからない。かつてこれほどまでに彼の発言の意図が掴めなかったことはない。どうして急に近藤さんの話なんか持ち出したのか。私が近藤さんと付き合う気なんて微塵もないこと、知っているはずなのに。 「いやいや、照れてる場合じゃないよ? ああいうのに限って、いざお見合いだなんだってしてるうちにホイホイ別の女を嫁にしたりするからね。いなくなってからなんとなく物足りなくなるかもしんねーよ?」 「っ、いいかげんにしてください! なんなんですか、急に。そんなに近藤さんとくっつけたいんですか」 「……」 再び、沈黙。ずるい。わけがわからない。睨みつけてもこちらに視線を合わせようとせず、お茶を啜りながらどこか遠くを見つめている。だんだんと腹立たしくなってきて唇を噛み締めるも、どうしようもなくて最後の一口を掬った。 「……なんでだろうな」 それを口に含む直前で、銀時が低く呟く。 「ほんっとわけわかんねェ……」 「それはこっちの台詞です」 「けど、俺もおまえに惚れてるみたいなんだわ」 「……え……?」 ポタリとスプーンから垂れた雫が、カップの中へと落ちる。ああ、もったいない。最後の一口は溶けてしまった。ほとんど液体に近いそれを口に運べば、やっぱり甘いのにどこか苦い。口の中どころか胸にまでそれは広がっているかのようで、どうしようもなくてスプーンを置いた。コトリと小さく音を立てる。風鈴の音はもう耳に入らなくて、言葉の意味を理解しようと男を見るも、やっぱり彼はこちらを見てはいなかった。 逃げられた。求めていると見せかけて、上手く逃げたのだ。 (ずるい男……) けれど、そこでもし何かを求められていたら、私はどうしていたのだろう。 (……もし、私が逃げる道をも残しておいてくれたのだとしたら……) それが彼なりの優しさだとしたら。 気付かなければよかったのに、気付いてしまった。あまりにも気まずくて、口の中が乾く。逃げてもいいのだろうか。逃げたところで時間が解決するものなのだろうか。 (そんなわけないじゃない……) じんわりと手の平が汗をかいてくる。そっと息を吐き出せば、それは微かに震えていた。 →back |