特効薬 | ナノ


特効薬




 一人暮らしの身で風邪を引いたとなれば、選択肢は「病院へ行く」か「薬を飲む」か「寝る」くらいしかない。近くには家族も住んでいるし、友人もいないわけではないが、そこまで重体でもないとなると、人を頼るのはなんだか気が引ける。
(胃薬……は、違うか……。頭痛薬は、まぁ、アリか……?)
 これまで風邪を引かなかったため、風邪薬はなかった。常備している薬の中で、使えそうなものは頭痛薬くらいだろうか。だるい身体をなんとか起こし、鞄からそれを取り出す。水も持ってこなくてはならない、と思い当たって、たいした距離でもないのにため息が出た。早く薬を飲んで横になろう。何をするにも億劫だ。
 店長には連絡したし、キッチンが一人減るのはキツいだろうが、平日なだけマシだろう。暇な日はとことん暇なのだ、あの店は。そんでたまには働け、相馬。
 そんなことを思いながら再びベッドに横になると、あっという間に眠りについた。風邪のせいか薬の効果か、とにかく眠れない辛さがないことには一安心だ。



―――ピンポーン……
 玄関のチャイムで目が覚める。一瞬、夢かと思うような一度きりのそれだが、たしかに鳴った気がする。誰だよこんなときに……と思いながらも枕元の携帯を見れば、すでに5時間は寝ていたようで。……そして、新着メールが1件。
『おみまい いくね』
 差出人の名前と、本文の慣れなさと、内容。それらが頭の中で一致して……一拍おいて、激しくむせた。じゃあ、まさか、今のチャイムは。
「ご、ごめんね、急に。突然来たら迷惑かなって思ったんだけど……佐藤くんは一人暮らしだし、きっと病院にも行ってないだろうから……」
「……って、相馬が言ったんだな?」
「え、どうしてわかったの?」
 ドアを開ければ、思ったとおりの人物がそこにいた。思ったとおりの人物が、思ったとおりの奴にけしかけられて来ていた。ああ、頭が痛い。
「……えーっと……」
 この場合は、やはり中に通すべきなのだろうか。いつまでも玄関先に突っ立ってるわけにもいかないし。いや、でもあっちは手に提げているスーパーの袋を渡して帰るつもりかもしれない。
 働かない頭で考えても答えは出ず、二人でその場に固まってしまう。すると、ひんやりした八千代の手が、佐藤の額へと伸ばされた。
「……大変っ!駄目よ、佐藤くん、こんなところに立ってたら悪化しちゃう!」
「え、あ、」
 ぐいっと両腕を押されて、あっという間に中へと戻される。当然、八千代も一緒に。
(なんだったんだ、俺の迷いは……)
 この天然無防備女には、警戒心というものが皆無のようだ。
 そうして、佐藤は再びベッドの中へと潜り込む。身体を横たえれば、どっと疲れのような何かが襲ってきた。重石のようなその感覚は、風邪のせいか、八千代のせいかはわからないが。そしてその八千代はといえば、勢いで入ってきたはいいものの、具体的にどうしたらいいかはわからず、ずっと部屋をキョロキョロと見回している。
(何しに来たんだ、こいつ……)
 しかし、ここで責めるべきは八千代ではない。相馬だ。すべての元凶はあいつだ。そのやたら人のいい笑顔を思い浮かべて、心の中だけで舌打ちをする。どうせ明日にはどこかから情報を得ているのだろうと思うと、ますます腹が立った。どうすべきかもわからなくなった。
「……あ、そうだ。お薬とゼリー買ってきたんだけど、食べられそう?」
「ん……助かる」
 いろんな意味で。
 そう思いながら再び身体を起こそうとした瞬間、バランスが崩れた。まずい、と瞬間的に悟ったものの、自由が効かない身体は、そのまま倒れ込む。ちょうど、起き上がる彼の背中を支えようと、手を伸ばしていた八千代を抱きしめるような形で。
「……っ」
 目眩がしたのは、風邪のせいか、混乱のせいか……それとも、ふわりと漂った甘い香りのせいか。時が止まったかのように、身動きが取れなかった。こんな、漫画のような事故を、まさか自分が起こすなんて。
「あ、ああああの、あのっ……」
「……悪い」
 ゆっくりと、彼女に体重をかけないようにして身を離す。せっかく起き上がったものの、再びベッドに身を沈めた。そうだ、動かないのが得策だ。
「それ、やっぱあとで食べる。冷蔵庫入れといて」
 左腕で目元を覆い、顔を見ずに告げる。髪で半分隠れているとはいえ、今は八千代の顔を正面から見ることなんて、できそうにない。
「……あと、今日はもう帰れ」
「え、でも……」
「俺、寝るから。……おまえ、無防備すぎてこわいし」
 小声とはいえ、この距離なら聞こえただろう。そういうやつだって知ってたけど、こいつは一人暮らしの男の家だってことをわかってない。そうだろうとは思ってたけど、警戒心がないにも程がある。熱のある自分をコントロールできる自信がない今、これ以上彼女が近くにいるのはまずい。
 しかし、腕の隙間からちらりと覗けば、案の定眉を下げてうろたえる姿があった。子犬のようなその姿に、思わずため息が出た。オトモダチは、これだから厄介なのだ。
「……マスクもねぇし。移すわけにはいかねーだろ」
 もう一つの本音を口にすれば、躊躇いつつも納得したように頷いた。じゃあ、これしまって帰るわね、と立ち上がる。ふわりと揺れたのは、淡い色の長髪とワンピース。
「お大事に、佐藤くん」
「おう。……あー、八千代」
 思わず呼び止めたのは、こちらにも名残惜しい気持ちがあるからだ。振り返った瞬間に再び揺れた柔らかな髪は、映画のワンシーンのようにスローモーションに見えた。
「ありがとな」
 横になったまま、それでも片手を上げてそう言えば、ようやく彼女が微笑んだ。小さく手を振ってから、お邪魔しましたと出て行く音がする。その瞬間まで、こちらの口元にも、つられて笑みが浮かんでしまうのだ。




12.01.26.
ヘタレ佐藤さんは何もできないです
それでも何かしてしまうかもしれないと思うと、さっさと帰ってほしかったのです
これ以上胃が痛くなる前に…笑




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