こうして世界は始まった 高校を卒業してからも、何度かメールのやりとりをしていた。私も田島くんも地元で進学を決めたから、会おうと思えばいつでも会える距離。だから、「じゃあ今度遊ぼうか」という流れになったのは、すごく自然なことなのかもしれない。 「……あれ? 千代、今日ちゃんと化粧してるね」 「へ、変かな?」 「ううん、かわいいよー」 いつもそのくらいでいいのに。まあ、スッピンでも十分かわいいから、ベースだけにする気持ちもわかるけど。 友達はそんなふうにフォローを入れてくれるけど、たしかにふだんの私はほとんど化粧をしていない。でも今日は、マスカラを塗ってみたり、チークを入れてみたり。あまりにも変化させるのは恥ずかしいと思っていたはずなのに、友達にバレてしまうくらいには変化していたようだ。女の子同士で、そういうことに敏感なのもあるかもしれないけど。 「……で? 放課後はデートなわけだ」 「デ……っ、違うよ! 高校のときの部活の仲間!」 「へえー」 「ふうーん」 でも、男なんでしょ?と、彼女たちの視線が語っている。 「千代はたしか……マネジだったんだっけ? 野球部の」 「うん」 「かっこいいの? 彼」 「そりゃもう! うちの4番だもん!」 自信を持って、はっきりとそう答えたのに反応がイマイチだったのは、きっと彼女らが求めていた「カッコイイ」の意味と違うからなのだろう。わかっていても、私が思い出す田島くんは、いつも野球をしているから。打ち、走り、投げ、味方に指示を出す姿は、今でも鮮明に思い出せる。私の目に映る田島くんは、間違いなくかっこよかったのだ。 その世界じゃ有名なはずだけど、友達が高校野球に興味あるという話は聞いたことがなかったから、名前を出すのはやめておいた。もし知っていたら、それはそれで、なんとなく気恥ずかしいというのもある。5限目は始まったばかりだというのに、早く講義終わらないかな、という気持ちでいっぱいだった。 私は今は特にサークルにも入っていないけれど、田島くんは大学でも野球部に所属していると聞いた。おそらく、入学前から大学側からの勧誘があったのだろう。受験期は忙しくてあまり話せなかったから、詳しいことは聞いてないけど。どちらにしろ田島くんのことだから、野球を楽しんでるんだろうなぁということだけは予想できた。 平日の夜に会うことになったのは、それが理由だ。田島くんは休みがほとんどなく、唯一都合がつきそうなのが今日だった。遊ぶというよりはご飯を食べにいく、が正しいのかもしれないけれど、久しぶりに会って話せるというだけで十分だった。顔を見るのは卒業以来だ。 (……あ) 電車を降りたところで、ちょうど田島くんを見つけた。まだ夏本番を迎えてはいないのに、すっかり日に焼けた顔。また少し、背が伸びたような気もする。 「田島くんっ、お待たせ!」 「しのーか! 久しぶりだな」 ニカッと笑う彼の、元気な笑顔は変わらない。卒業してから半年も経っていないはずなのに懐かしいと感じるのは、毎日会うのが当たり前だったあの頃を思えば当然なのだろう。どこ行こうか、なんて話しながら隣を見上げ、そんなことを考えていた。 結局、田島くんに案内してもらい、こじんまりとした喫茶店へと連れてきてもらった。喫茶店とは言っても、夜用にしっかりしたメニューも揃っていて、店内には女性はもちろん男性客も結構いる。田島くんも、大学の友人と来ることが多いそうだ。 テーブル席は埋まっており、カウンター席に案内される。隣り合って座れば、当たり前だけど距離が近い。ほんの少し押されれば、肩が触れ合ってしまうほど。 (こんなふうに、意識するつもりなかったのに……) 友達に田島くんのことを話したとき、「でもまあ一応、デートみたいなもんだよね」と言われてしまったのである。「別に、付き合ってる人たちが出かけるのだけをデートって言うわけじゃないし」とも。私自身はそんなふうに意識するつもりはなかったのに――おそらく、意識してしまったら誘うことすらできなかったのに――今はほら、少なからず、この距離にドキドキしてしまっている。 私が頼んだのは、田島くんオススメのオムライス。田島くんも頼むのかな?と思ったら、彼は店長オススメの煮込みハンバーグを注文していた。待ってる間も、食事中も、話題は全然尽きなかった。大学のこと、野球のこと、高校時代の話。あれを話そう、これを話そう、と決めていたわけではないのに、ポンポンと話題が出てくる。思えば、二人っきりでこんなに話し込んだことは今までにない。こんなに会話のキャッチボールが続くこと、知らなかったんだ。 (もっと、話したかったな……) 会話が弾み、あっという間に時間は過ぎ、駅までの道を送ってもらいながら、素直にそんなことを思う。 私はたぶん、「デート」というものに浮かれていたのだ。たとえば、肩が触れればドキッとしたし、一口ちょーだい!と言われればなんとなく恥じらってしまったし、それに……無邪気な田島くんを見る度に、ちくりと胸が痛んだ。今だって同じ。まだ帰宅してもいないのに、名残惜しくそんなことを思う私は、たぶん、絶対に、余計なことを意識していて。 「危なっ……!」 「え?」 突然、強い力で腕を引かれる。はじめは何が起こったのか理解できなかったけれど、目の前を車が通り過ぎてはっとした。歩行者用の信号は、赤だ。 「あ……ありがとう……」 「大丈夫か? ボーっとしてたみたいだけど、なんかあった?」 「ううん、違うの。……ごめんね、ホントに大丈夫だから……」 そう言って手を離そうとしたのに、田島くんの手の力がまったく緩まない。するりと抜けるはずの腕は、彼に捕らえられたまま。掴まれた箇所が、熱を帯びている。また余計なことを意識してしまう前に、と、私は彼を見上げた。けれど彼は、明らかに戸惑いの視線を向ける私に対し、少しばかり考えてから告げた。 「このまま、手繋いで帰ろっか」 いいこと思いついた!とばかりに、楽しそうに言ってのける田島くん。 「え、ちょ……ええっ?」 当然私は、その申し出を簡単に承諾することはできず、だからといって拒否することもできず、されるがまま。はじめこそ引っ張られるように歩き出したものの、ペースを合わせてくれたおかげで、気付けばまた自然と隣に並ぶ。 手を繋いだことが、今までになかったわけじゃない。部活のときには、瞑想で何度か隣になったはずだ。あのときは、手を繋いで体温を分け合って、そうしてリラックスするはずだったのに。今はむしろ、ドキドキして、どんどん体温も上がっている気がする。 田島くん、ずるい。と、本人には聞こえないように、口の中だけで呟いた。だってあの提案は、どこか確信めいていたもの。もしかしたら、私の方がよっぽど無邪気に楽しめていたのかもしれないと、今更になって気がついた。気付いてしまえば最後。もう、引き返せはしないけど。 12.12.24. 大学生パラレル企画「未熟者」様に投稿させていただきました 卒業後、大学生、野球だけの生活ではない未来……夢がいっぱい詰まってますね 素敵な企画をありがとうございました |