真っ暗な家に帰った静雄が靴を脱ごうとしたとき、ふと、玄関に自分のではない靴があることに気がついた。
今日はちゃんと帰ってきているのかと安心すると、洋服も着替えずにそのまま寝室へと足を進める。

寝室の扉を静かに閉めると、足音をたてないように自分のベッドに近づく。
ベッドには気持ち良さそうに臨也が寝ていた。そして、ベッドのふちに腰かけた静雄は、すやすやと眠る臨也の頭をなでる。

薄らと赤みがかった白くてやわらかい頬をまるで陶器を扱うように優しく包み込む。
昔ならこんな風に扱うなんてことはできなかっただろうし、力の加減を知らなかっただろうが、今では力を入れて壊してしまうことが怖くて昔のように乱暴に扱うことなんて到底できそうにない。

なんてなんてかわいらしいのだろう。

愛の怖いところは、出会ったときから憎んでいた人間でさえ愛おしいと思えるようになるところだろう。
どうしてこんなにも可愛く見えるのか。通った鼻筋をすうっとなでてると、んっと鼻にかかる声でくすぐったそうな反応をする。
ぐっすりと熟睡しているから起きそうにないが、昔から眠りが浅いイザヤはいつ起きてもおかしくはない。

同棲を始めた時は誰かの気配がすると起きてしまうぐらいだし、たとえ静ちゃんでも一緒に寝られないなんて言って寝室を別にしろだとかなんとか喚いていた気がするが、今ではその気配すらない。

俺をこんなにも寛容に許してくれているのだろうと思うと、思わず口角が上を向く。
絹のようなやわらかいさわり心地の髪の毛をさらさらとなでる。
夜の一番の楽しみは、ぐっすりと寝ている愛しい人間の寝顔を優しく見守ることではないかと思う。

体を重ねて愛を深めることもそりゃいいと思うが、この愛溢れる顔を見ているだけで幸せになるのも素晴らしいものだと思う。
この幸せな時間がずっと続けばいいと願いながら、白い額に掛かる前髪をかき分けて、ちゅっと触れるだけの優しいキスを落とした。

「おやすみ、」

イザヤの知らない時間をゆったりと過ごして一日が終わる。
疲れている時や酒を飲んできたときは忘れてしまうことが多いが、通常の場合はたいていこの至福の時間を堪能する。
心にゆとりを持てるから、この時間が楽しめるのだと思う。
精神的に余裕がなければ何事も楽しむことができないと思う。そんなことを考えながら、寝室を後にする。

まだ晩御飯も食べていないし、風呂にも入っていない。物音をたてないように気をつけながら、キッチンを覗き込む。
すると、ダイニングテーブルの上にラップをかけた料理が置かれてあった。その隣に、端正な文字で温めて食べてねと書かれてある。
まるで、新妻のような行いに気恥ずかしさを覚えながらも、どうしようもなくうれしくてレンジにパスタを突っ込みながらにやける。
一人でにやけるなんて気持ち悪いことこの上ないと思いながらも、イザヤのかわいらしい動作にうれしくてしようがない。
こういう可愛いことができるとは、一緒に住むまでは知らなかった。

何度かイザヤの家に行ったことはあったが、こんな家庭的な一面があるとは思えない無機質な空間に住んでいたと思っていた。もしかして、俺のためにこういうことを練習してくれたのかと一人でにやにやと考えながらも、オレンジのランプで照らされたレンジの個内を覗き込む。
ミートソースのいい香りがふわりと漂ってくる。
パスタは簡単で時間もかけずに料理ができるからといって、イザヤの得意料理だったと思う。
俺はあまり料理をしないから簡単かどうかなんてわかりもしないが、イザヤの作ってくれた料理は確かにうまいと思う。
家庭的な味なんだと思う。多分。

イザヤの家についてあまり詳しく聞いたことがないから何とも言いようがないが、あいつの家ではこういう洋食が多かったんだろうなと推測する。俺は和食の方が好きだと言ったら、和食を一生懸命作ってくれるだろうか。

その前に、昼の弁当を作ってもらうように頼むか。
外であいつの作った料理を食べるなんて、多分、恥ずかしくて一人にならないと弁当を開けられないような気がするけど。
きっとトムさんにも言えないし、教えたくもない。
どんだけ、俺独占したいんだよと考えた時。

結婚という文字が浮かんだ。

ピーという電子音で意識が現実に帰ってきた。うかうかしているうちに、スパゲッティがあったまったようだ。テーブルまで運びながら、サラダにイタリアンドレッシングを冷蔵庫から探し出す。
カロリーオフと書かれたラベルが、黄色い電気に照らされていつも以上に光って冷蔵庫に鎮座していた。それを片手でつかみながら、椅子に着いた。

結婚って。

そう思って、携帯の辞書で引いてみる。
そこには男女が夫婦になること、と一文でずいぶんと簡潔に書かれていた。

そうだよな、結婚ってそういう意味だよな。
深く考えなくっても、文字通りの意味だった。けれど、結婚という言葉がイザヤの一生を縛り付けてしまうのかと思うと、何とも言えない気持ちになる。どうやって考えても同姓だし、その前に今まで憎んでいた相手だし。
今はどんな困難にも立ち向かっていけそうな深い愛情があるけれど、気分屋のあいつのことだからこの気持ちが一生続くとは限らない。
だから、結婚なんて儀式で縛り付けてしまうのはあまりだろうか。こういう難しいことはあいつが得意なんだよなと思いながら、自分で考えることから逃げてはいけない問題でもある 。

いい歳になったから周りのやつらも結婚なんてことをいろいろ言っているのは確かだけれど、自分には無縁のことだと思い込んでいた。
結婚とは大人になったらするものだと思っていたが、いざ自分がとなると自分はまだ子供だからと逃げてしまっているような気がする。
煙草も吸えるし酒も飲める歳になってまで子供でいるつもりはなかったのに、どうしてか結婚は自分には関係のないことだと思っていた。
だからこそ、いまいちぴんとこない。
好きなやつがいればそいつと結婚するということが自然な成り行きだとは分かっているが、これがイザヤとだと考えるどどうにも踏ん切りがつかないところがある。

この話を一度もイザヤと話し合ったことがないから、あいつがどう考えているかなんて知りもしないが、あいつはあいつで何か難しいことを考えているに違いない。
どこを考えても、難しい問題ではない気がするが、いざ自分の番になると尻込みしてしまうのが、あいつにヘタレだといわれる所以かもしれない。

そう自嘲しながらも、あつあつのパスタをフォークでからめ取りながら食べる。バジルの香りが食欲をそそる。
ああ、うまい。
このうまい食事が一生食えるなら結婚してもいいなんて簡単には考えていながらも、やはり逃げている自分がいると嘲け笑った。


追い炊きをした熱い風呂に入り、白い天井を眺める。
きれいに磨かれたタイルの壁に視線をそっと移す。湯気が熱気とともにふわふわと上に登るのが見える。
一日の疲れがじんわりと楽になる。

そして。
ゆるりと、考える。
結婚について。

結婚したら一緒に住んでいる今と大きく変わるだろうか。
あまり変化がないように思えても、好きな相手が一生自分の隣にいてくれると誓ってくれるなら悪くはないかもしれない。
人生でできることなんて数多くないから、できるなら楽しく幸せに生きたい。
湯気みたいなふわふあして不確かな関係の今でも十分に楽しいが、しっかりとした絆がほしいのもわかる。

早々に風呂から上がって、そしてまた臨也の隣に潜り込む。あどけない顔で眠るその白い頬を指先でそっとなでる。
心底惚れているなんて、馬鹿げたことあるかと思っていた時期もあるけれど、やはり、俺はこいつが好きなようだ。
そう思いながらも、疲れとともに睡魔が襲いかかる。重くなる瞼の裏に、幸せな世界を描きながら眠る。

もし、夢の中で会えたら、また幸せなキスをしようか。






淡い夢の中で、
せめて夢の中だけでも





20101007 企画提出【はつ恋







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