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ゆるやかな温風が頬を過り、瞼を閉じ呼吸をすると、かろやかな髪が揺れた。窓にかけられた魔法を解除してベッドに寝ころぶと、まるで夜空の中、絨毯で飛んでいるような心地よさを味わうことが出来る。鼓膜にはアジーム家で働く使用人たちの忙しない声や、遠方から最近開通したばかりの汽笛の音が雪崩れ込む。
窓に施された魔法は、空気を調節するだけではなく、外部からの侵入を阻害する仕組みになっている。防衛の関係上、あまりよろしくないとジャミルに言われている行為だったが、課題を一通り終わらせたのだというと、彼は許してくれるだろうとカリムはそのまま穏やかな風に身を任せた。
深く呼吸を繰り返し、この穏やかさはジャミルが与えてくれたものだなぁ、なんてことを思った。それは山のように出された課題を終わらせることが出来たからじゃない。もちろん、ジャミルの助言がなければこうして終わることは不可能ではあっただろうが。そういうことを述べたい訳ではなかった。
無防備に寝ころび呼吸をして寝ることが出来る生活のすべてが、ジャミルと出会ってからカリムに与えられたものだ。
勿論、それは完璧ではなかった。何度も誘拐され、暗殺されかけたが、ジャミルと出会わなければそういう自分の人生を受け入れることが出来なかっただろう。
未だに暗殺に怯え、誘拐される恐怖に苛まれていたかも知れない。
自分が生まれた家は金持ちで、その長子だから命を狙われ続けるのだというどうしようもない現実を、幼いジャミルはまるでその身に受けたかのように悲しんでくれたし、怒ってくれた。
カリムにとってはそれは救いだった。
幼い頃はずっと思っていた、仕方ないとはどういうことだろうか。受け入れなければいけないのは、何故なのだろうか。なぜ、お金持ちに生まれたから幸せだと決めつけるのだろうか。カリムからしてみれば飢えることがあっても安全な食事の方が幸せだったし、労働を強いられても家族で笑いあえる方が充実しているように思えた。けれども、周りの大人は、身近な人間も誘拐犯も等しく言うのだ。「あなたはアジーム家の長子だから」と。それに対し、腹が立ったことはない。けれど、毎日のように植え込まれる言葉はまるで呪いのようで。なぜ分かって貰えないのだろうか、と悲しくはあった。
そんなカリムを前にして、ジャミルは怒りもしたし、泣きもした。死にかけの自分の手を握り、大丈夫か? と尋ねてくれた。あの言葉の数々に、どれほど救われてきただろうか。ジャミルと出会い、ジャミルが傍に居てくれた日々は、まるで春の日差しのように生きていることが楽しくなるそんな日々だった。思わず鼻歌を口ずさんでしまうような、満開の桜の花びらを見てダンスを踊ってしまうような、陽気で、楽しく、あたたかな日々だった。
ふうっと、再び呼吸を吐き出す。
もうすぐ、そんな穏やかな日々は終わる。ジャミルには告げていないが、卒業後、すでに彼を自由にする準備は整った。今回の帰省で、円滑な解雇に必要な手続きはすでに終わり、彼が望むならとアジーム家が所有する家も提供する手筈になっている。ジャミルの手を借りない書類仕事は中々大変ではあったが、一つ不備なく成し遂げられたということは今後の自信へと繋がるだろうと、前向きに捉えた。

「カリム! お前、窓の防護魔法を解いただろう!」

怒ったような口調で慌ただしくジャミルが駆け込んでくる。目を覚まし、そのお叱りを真正面から受け止めても良かったのだが、どうにも笑うのが億劫だったので、瞼を閉じ寝たふりをカリムは続けた。
ちょうど良いこのまま本当に寝てしまおう。穏やかな中にいるとジャミルといた時のことを思い出して、余計なことを考えてしまう。
自分達の関係は一体なんだったのだろうか。
こうして、寝ているカリムに肩を落としながらも、防護魔法を掛け直してくれるジャミルのことを思いながら、思案した。名前なんて、つけられる筈がない。どうにもそれは一方的な依存に近かったのではないかと、最近では気づき始めてしまったのだが、執着し甘えていただけだという事実は未だに受け入れられなかった。わかっている、名前をつけられないのは、カリムだけなのだ。二人の関係は、ただの主従関係に過ぎない。利害が無ければ、まともに喋ることすら嫌がられるような。その程度のものだ。
けれど、と思ってしまう。
幸せだった。幸福で満たされていたあの、あたたかな日々のことを。忘れたくもないし、なかったことにもしたくない。例え、その春の陽気のような日が自分だけに与えられていたものだとしても。
ただ、今は、終わりを迎える淋しさを乗り越えることが先決で、このあたたかだったと自分に思わせてくれた人が、どうか幸せになってくれますようにと、そんなことを思うのだった。