ああ、死んだのか……と、綺麗に化粧が施される前の死体を見て、そう簡素で単純な感想だけが浮かんだ。
幼い頃から毒で慣らされた身体でも耐えきれない致死量を含んだ劇薬を、カリムは平然とした顔で飲み干したらしい。俺はその場にいなかったので、当時、カリムの傍に付き人としていた男からの又聞きだが。
いったいなぜ、アジーム家の当主にまで登り詰めた男(生き残った男)が致死量の毒だと分かっているのに、飲まなければならなかったのか。
そう、問い質すと、当時の付き人は王宮からの要望だと告げた。なんでも、力を持ちすぎたアジーム家を試すような形で持ち掛けられたゲームのようなものらしい。カリムはいつもの調子で(ここで、俺がいたのなら止めてやれたのに)軽く引き受け、結果として耐えきれなくなった身体は死を迎えた。
その死に様は随分と凄惨なもので、喉元を爪先で掻きむしり、双眸から血を流し、そして最後、驚くほど簡単に息をとめ、死んでいったらしい。
当然、そのような仕打ちをアジーム家にもたらした王族のことを、許すはずもなく、すでに制裁が済んでいるらしい(実際の所、向こうのゲームのつもりだったので驚いただろう)俺がカリムの死体と対面したとき、既にアジーム家の中では終わったものとして処理がされていた。まさに、死体が残されていたのが恩情だとでもいうように。
真っ白な花で囲まれた棺の中で、今にも動き出しそうなカリムは横たわっている。手で触れると冷たくて、指先から凍り付きそうだった。いつでも温かく、まわりを照らしていた花のようなアイツとは大違いだ。
本当は、俺はカリムが死んだと聞いた時、鼻で笑ってやるつもりだった。
例え、どんな死に方をしようとも「油断しているからだ」と言い放ってやるつもりだった。そりゃぁ、幼い頃は心配もしたさ。アイツのことを嫌いだとか好きだとかそういうものを考え出す前は。
けれど、物心つき、なんともいえない感情を(それは、一言にして纏められないほどの)抱いてからというものは、もう無理だった。早く死んでしまえばいい、と、まぁ、そこまでではないにせよ、似たような感情を抱いたことだってあるさ。
けれど、実際、こうして死んだカリムを目の当たりにして抱いた感情は、そうか、死んだのか……という極めて淡白なものだった。いや淡白にならざる終えないと言った方が正しいのかも知れない。
自分でもわかっていた。カリムに抱く感情が、決して、死んだのか、という短い一文で纏められるものではないのだと。この感想は、いうならば気持ちが頭の処理に追いついていないからに過ぎない。俺のカリムに対する感情は、決してこんなものではないからだ。
たらり、と頬を詰めたい雫が零れ落ちた。泣いているのかと気づき、はは、と乾いた声が漏れた。

「なぜ、俺がいない隙に死んだんだ。どうせだったら、目の前で苦しみながら死んでくれよ」

そう告げたが遺体は返事をしない。
奥歯を噛みしめ、手を握りしめ、何故、傍にいることを選ばなかったのか。自分への怒りで気がどうにかなりそうだった。

『なぁ旅行にでもいってこいよ』
カリムにそう告げられたのは、ナイトレイブンカレッジの卒業を迎える数ヶ月前だ。学園自体は単位さえとれていれば自由登校になっており、就職や進学の為、殆どの生徒は出席していない。カリムはなんとかギリギリ卒業に必要な単位を取り、俺と二人で熱砂の国へ一足早く戻る予定だった。カリムの卒業はイコールしてアジーム家の当主になるということだ。忙しない日が熱砂の国では続くだろうし、主の晴れ舞台に付き人である俺が旅行に行けるわけがないだろう。馬鹿か、コイツは? と思わず呆れてしまったものだ。
けれど、カリムは引かなかった。どうしても旅行に行って欲しいんだと縋りつき、行かないのなら右腕としてのジャミルの地位はなしだ! なんてことまで言ってきやがった。馬鹿か、コイツ。何のために、好きでもないお前の付き人を十年以上の歳月をかけてやってきたと思っているんだ。今後もアジーム家で働けなければ意味がないだろう! と怒鳴りつけてやった。
だがカリムは少々、泣きそうな顔をしたものの「ダメだ!」といつになく意固地に言い放った。俺に旅券とマジカル鞄と泊まる宿が載ったパンフレットを強引に押し付けてきたのだ。
ぐいぐいと荷物を渡され、正直力での勝負だと俺の方が強いので、余裕で勝つことだって出来たのだけれど、その時のカリムが、らしくない切羽づまった顔をしていたので、俺は仕方なく、旅行を快諾したのだ。両親にもアジーム家の現当主様にも報告をしたけれど「今後、忙しく一人の時間は持てなくなるので行ってきなさい」と笑顔で見送られてしまった。
そして、帰ってきてみれば、死んでいたのだ。
いつもと変わらない笑顔で。死体のカリムが棺にいただけだった。
ああ、今でも現実とは受け入れがたい。
何がだ。
何故、死ななければならなかった。
しかも、そんなふざけた死に方で。
コイツがどれほどまでに毒で苦しんでいたか知っているか。劇薬を、何度、身体に入れてきたか知っているか。なぁ、カリム、お前、分かっていただろう。これを飲むと死ぬってことが。なのになんで、飲み干してしまったんだ。王族の、可愛い遊びじゃないか。お前がこんなくだらないことで死ぬ必要なんかなかった。
俺が。俺が傍にいたのなら。絶対に殴ってでも止めてやったのに。

「クソ野郎、最後まで、嫌なやつだ」

ちっとも俺の思った通りに行動した試しがない。初めてであった時からだ。俺がやめろ! って言ったことを、平気な顔で行いやがって。絨毯で何度飛ぶのを辞めろと声をかけたか数えられない。友達にだって、俺はなる気がなかったのに、結局、卒業までウザい友達アピールは欠かさなかったな。人の気持ちなんて全然、汲めなくて。自分の気持ちばかり押し付けてきやがって。お前が嬉しいこと楽しいことを、俺も楽しいと思うなよ馬鹿野郎が!!! と罵ってやりたい気持ちに何度なったことか。いや、2年次のホリデー・バケーションでの一件以来は口に出していたか。
だが、いや、だからこそ、と言った方が正しいか。
カリムは別に意図して人が嫌がることをしているわけではないことも知っていた。
自分が王族のお遊びで死ぬことが、いかに大勢の人間に迷惑をかける行為になるのか……ということを、カリムは生まれ育った環境から、そういうものを意図せずとも汲み取るのが得意な奴だった。いつだって太陽を両目に詰め込んだみたいな眼差しで「オレはさ、死ねないんだ」とさらりと、身の毛も弥立つことを言ってみせた。
だからわからない。諦められない。何故死ななければならなかったのか。こんな、回避できる程度の死を。

「カリム……俺の執着を甘くみるな」

マジカルペンを振り翳す。魔法か決して万能ではない。そんなこと分かっているさ。
けれど、自分にとって消したい過去があるのなら、戻りたいと思う、それが普通じゃないか。
俺にとって消したい過去。そんなもの、もうあり過ぎて分からないが、この魔法はアズールが契約で奪ってきたほんの5分前に戻れるというものを、二人して暇つぶしがてら改良していったものだ。卒業ギリギリに完成して「これは高く売れる!」と眼鏡を押し上げるあのタコ野郎を見て「禁則魔法の類だろ」と肩の力を落としたのは記憶に新しい。実際、こんな魔法、ヤバすぎて使いどころは限られているが。
まぁいいだろう。どう考えても今だ。
俺は拒絶する。お前が死んでしまった世界そのものを。その他の運命を捻じ曲げても。例え、俺が運命を変えてしまったことにより、明日幸福な結婚を迎える花嫁が事故で死んでしまったとしてもだ。誰かの悪役でもいい。俺は俺の為だけに魔法を使ってやるよ。






「ジャミル!!!」
死んでしまったはずの声が聞こえて、俺は朦朧としていた意識から目覚めた。カリムの手にはマジカル鞄に、旅券、そしてパンフレットが握られている。場所はスカラビア寮の俺の自室だ。満面の笑みでくるくる変わる表情をして、なにか決意を決めたカリムが俺の前に立っていた。
思わず、無言のまま手を伸ばし、頬っぺたに触れる。先ほどまで凍り付いていたカリムの肌は温かく、なにより柔らかかった。
ふにふに、とカリムの頬を抓ったり伸ばしたりしていると、カリムは俺の奇怪な行動に疑問を持ったのか、先ほどの勢いはどうしたのか「ジャミル?」と不思議そうな顔で尋ねてくる。衝動のまま抱きしめると、身体を飛び跳ねさせ、手に抱えていたはずの荷物を落としてしまったようだ。

「カリムか」
「おう? どうしたんだジャミル? もしかしてお腹が痛いのか」
「なぜ腹痛の話になる。カリム、なんどもいうが俺は旅行には絶対に行かない」
「え!? どうしてだよ! 数分前は行くって言ってたのに」

チっと思わず舌打ちをした。どうせなら、数分前に戻せばよかった。細かい時間の指定が出来ないのはまだ改良の余地があるな。俺は困惑するカリムの両肩を掴んで勢いよく述べる。

「絶対に行かない!」
「行った方がいいって。これを逃したらジャミルは旅行にいける機会なんてないんだぞ?」
「別に行ってもいいが、お前と一緒ならな」
「え?」
「お前と一緒なら行ってやってもいい」

正直、こういうと能天気な所があるカリムは「じゃあ、オレもいくぜ!」と言ってくる可能性があると思っていた。なにせ、滅多にない、俺からのお誘いなのだ。特に最近はなんでも俺から誘うと最近は喜んで着いてくる。だから、行くと言ってくる可能性の方が高いと考えていた。
だが、カリムは予想していた表情とはまるで違う顔を見せた。まるで戸惑っているような、予想していなかった言葉を吐き出されてしまったかのような。
俺がそういうことで、なにか不具合があるかのような顔を。

「ダメだ」
「カリム?」
「ジャミルは旅行にいくんだ! そうしないと――!!」

まるで慟哭のようにカリムは叫んだ。何故気付かなかったのか、こうなると不思議になる。良く見ると化粧で隠されているが、目の下には隈があり、赤く燃え盛る炎のような双眸は揺らいでいる。ダメだと叫ぶカリムは、正気ではない。
そうしないと、どうなるというのだ。
カリムは明らかに告げてはならない言葉を吐き出してしまったかというように。口元を両手で覆う。どう誤魔化そうか考えているのだろう。
ああ、そうか。なるほど……―――ー
俺の、俺の為か。お前が死んだのは。
この過去を変える魔法が使えるのは、なにも俺だけじゃない。高い金が手に入るのだと、微笑んでいた性格がクソ悪い悪役商人がいるじゃないか。あのタコがカリムに対して、その魔法を揮ったと考えればなにも、今ここにいて、俺にしきりに旅行を進めてくるカリムが、なぜ未来を知らないと言い放てるのか。

「カリム、お前……何回目だ」
「え?」
「俺はお前が死ぬ未来を見て、それを変えるために戻ってきた。わかるか、カリム。お前と一緒だ」

そう告げるとカリムは反射的に逃げようとした。まさか、俺も魔法が使えるとは、想像していなかっのか。もしくは、過去を変えることによる制限をアズールに課せられているか、だ。商売に使うのならば、それくらいの規定をあの男は設けそうなものだ。
だが、あいにく、俺は自分で自分に魔法をかけて、ここにいる。誰かに制御されているわけでもない。好き勝手言ってやるさ。

「カリム、お前の死体を何度も見るのなんてクソくらえだ」
「ジャミル……あの、そのオレ……」
「お前に身代わりになって欲しいと頼んだ覚えもない」
「けど!」

けどじゃねぇ!
わかる。いや、分かってしまう。カリムの性格ならば、死んだ俺の身代わりとなり自分を犠牲にすることになんの躊躇もしなかっただろうということが。寧ろそれで丸く収まるんなら、すごくラッキーだったな! ということさえ言い出しそうだ。
けど、俺は認めてやらない。お前がいる人生が、俺の中では当たり前のことだ。例えどんなにムカついて腹が立って、殴ってやりたくなるときがあっても、お前が笑っていれば、まぁ、いいか、くそ能天気め、と毒を吐く。けれど、それでいいんだ。わかるか、それこそれが、俺の日常だし、最も愛した、光景だ。

「まずは持ち帰って相談しろとなんでも教えただろう」
「ジャミル……」
「お前ひとりじゃ解決できないことだって、俺がなんとかしてやる」

だから、自ら死を選ぶな。
そういうとカリムは諦めたかのように震えていた体の力を抜き、そのまま倒れ込んだ。まるで軟体動物みたいにへにょへにょになり、自ら立つことを忘れてしまったみたいだ。
俺はしゃがみ込みカリムの顔を覗き込む。せいぜい、感動して泣け! と念じてみたが、何度か顔を横に振ると、さすがジャミルだな! という言葉を張り付けた顔でこちらを見て、抱きしめ返された。