「やぁ」
と狡猾な笑みを浮かべながら、まるで何事もなかったかのように挨拶してきたのは、先日、オレのことを殺しかけた男だった。一瞬の静止。風が止まったみたいに、雑音が消えて、了さんの肉声だけがオレの鼓膜にこびり付いてきた。ひゅっと喉が鳴る音が聞こえて、仕事用の顔を作った。
「どうしたの、テレビ局にいるなんて珍しいじゃん」
 久しく、テレビ局で、了さんの顔は見なかった。大人しくなってくれたのかと、安堵していたのに、能面が張り付いた笑みを絶やさない所を見ると、彼はオレを殺し損ねたショックから立ち直ってしまったようだ。三流の悪役は立ち直りが早い所が嫌だよね。
「お茶しようよ、モモ。二人でさ。モモが好きそうなアフタヌーンティーを出来る場所を見つけたんだよ」
「オレが好きそうなって、高くて個室で密談に向いてるってこと?」
「芸能人御用達の所だよ。色んな人に出会える。きっと、モモも気に入ると思うよ」
 芸能人御用達という言葉に、以前のオレだったら飛びついていただろう。了さんが紹介してくれる人のラインナップは日本で一番のアイドルになった今でも、ご縁を得るのは難しそうな人が多い。了さんはそういった、オレだけじゃ手が届かない相手を、良く紹介してくれていたから。その言葉に嘘はないんだと思う。と、いうか、この人の甘言は実の所あまり嘘はないのだ。どんな苦難が待ち受けていようとも、ご褒美だけは本当ってやつ。ほんと、そういう所、計算高くて、オレみたいなタイプにはピッタリな対応だよね。
「いや、いいよ。ごめんね、了さん」
 けど、今のオレは飛びつかない。いや、飛びつきたいのはやまやまなんだけど、流石にまだ月日も浅いうちに殺されかけた相手と二人っきりになるような場所には飛び込んでいかない。ユキがオレにそういう所に行ってほしくない。特に月雲了とは一緒にいて欲しくないっていうのは、なんとなくわかった。それが本音なんだっていうことも理解出来たし、今はユキを怒らせたり悲しませないことを優先したい。だって、ユキったら、時折、思い出したかのようにオレのことを抱きしめるんだ。肩に顔をうずめて息遣いを聞いて、オレが生きていることを、じっくりと音を伝って確認するかのようなやり方で。「モモをチャージしてるんだ」とか言うけど、ああ、この人にとって本当に、Re:valeの百という男の代わりはいないのかも知れないと、少しだけ思える。いや、思いたいっていう気持ちが先か。けど、暫くはユキのことを指摘する行動は避けたい。新曲発表も近づいてきているし、オレのことで、ユキに心労をかけたくない。
「そう。珍しいねモモ」
「そうかな。つーか、もう誘ってこないでよ」
「どうしてだい、モモ」
「自分の胸に手を当てて考えてみてよ」
 すると、了さんは本当に自分の胸に手を当てて考え出した。え、ちょっと面白いんですけど。ウケるから、やめて欲しい。笑ってしまいそうになる。
 立ち去ろうかと思ったけど、黙とうするみたいに微動だにしない了さんの前から黙って姿を消すのは気が引けたので、じぃっと了さんのことを観察した。黙ってると、普通の人みたいだ。癇癪起こしたりしないし、子供みたいにわがまま言って誰かを傷つけたりしない。顔はいい。才能もある。人より秀でているくせに、他者を平気で馬鹿にする癖に、誰よりも第三者からの愛情を求めていることを気づいていない男とは、その外見から想像することが出来ない。
 外見の情報だけを見ていると、了さんはオレが好きだと思う才能あふれる男たちに少し似ている。なんだったら、ユキに似ている点もあるかもしれない。才能があってコミュニケーションが得意じゃない所なんてさ。
 けど、決定的に違うものがある。いや、似ている所の方が少ないんだけどさ。最近思ったのは、ユキは素直だ。なんでも、口にする。言葉を、誰かに伝えるということを恐れないし、自分の言葉によって誰かが傷ついてしまったとしても、しらん顔して立っている。逆に自分の言葉で誰かを楽しい気持ちになったり、ユキの言葉にとても感謝する気持ちになっても「へぇ、そうなんだ」というように、自分を乱されない。ユキのそういう所がカッコいいと思っているし、ユキのそういう所がオレとは合わないな、って思う所でもある。口数も少ないし心も読みにくいけど、口にする言葉の数々はきっと、全部本物なんだ。最近、そういうことも、ようやく分かってきた。
 だけど、了さんってそうじゃない。どっちかっていうとオレタイプ。打算的。狡猾で、矮躯で嘘だらけ。どうしたら、その人を操れるのか。どうしたら好きになってもらえるのか。数手先まで考えて行動している。臆病者のすることだ、とオレは思う。嘘に嘘を重ねて、どれが本音なのか分からなくなる。自分の言葉も、他人の言葉も。だからこそ、オレと相性が良かったのかも知れないけど。
 外見だけ見たらユキと似ている項目を持った男が、中身を暴けばオレに似ていたって少し面白いし、逆にその才能や容姿を持っていながらも、嘘をつきとおさなければ息が出来ない環境にずっといたのかと思うと、少しばかり哀れにも思う。人に恵まれずに生きてきたら、こういう形をするのかも知れない。執着心ばかりが強くて、表面上、自分の感情を他者にさらけ出せないような人間は。
 最近、いや、ようやく、か。考えないようにしていた、月雲了という男の内面について考える。ステータスだけを見ていた時と違い、随分と人間らしく見えてくるよ。

「考えても分からないんだけど、モモは何を考えてたの」
「オレ? ユキのこと」
「最低だね。ほんと、モモほど他人の事を考えない人間を見たことが無いよ。はははは」
 そう言って了さんは踵を返した。遠くなっていく背中に、逆にオレが今、あんたのことを考えてるって言ったらどういう反応をするのか気になったし、その背中は傷ついているように思えた。同情もしないし、もう、昔見たいに戻れはしないけれども。オレだけ一人、了さんと二人だけの時間から抜け出したみたいだ。あんたとの時間は楽しいものばかりじゃなかったけれど、あんたとの時間は楽しいものもあったんだ。それを、オレも、アンタも、よく考えないまま、名付けないまま行動していただけで。
 一人だけ別次元を生きる、月雲了の後ろ姿を、ゆっくりと瞬きをしながら小さくなるまで見つめていた