女の涙は武器なんだと分かっているのは賢い人ね、とそう受け入られるようになったのは何歳になった頃だったかしら。
私は昔、それはそれは、そういう女の子だけが許される仕草とかが大嫌いだった。「奢って」と気軽に出てくる口とか「だって出来ないんだもん」とか出来ないことを出来ないと主張出来る甘さとか、辛いこと怖いこと恐ろしいこと、嫌なこと、そういうものを、女だからと言って許してもらえる、そういう風潮が大嫌いだった。それらをこれ見よがしに使おうとしてくる女のことも、私は大嫌いだったのよ。
だって、私が悲しくて泣いても、誰も相手にしてくれないじゃない。所詮、お前は男なんだから、泣いたって悲しくたってどんなに辛くても耐え抜くしかないんだよって、そういう風に言われている気がした。と、いうか、実際に言われたこともあるからね。初めは女の子のように扱っていても、私が声を出して、喉仏を見せて、髭が生えてきて、男だということを長く一緒にいるうちに晒してくると、お前は男の子なんだからと、そういう態度で扱われるようになった。別に女の子扱いして欲しいわけじゃないのよ。そりゃぁしてくれたら嬉しいことは嬉しいけど、ただ、男でもあるし、女でもあるし、そういうどちらの性にも属していない私のことを、受け入れて欲しかった。たった二択しかない世界に私を勝手に放り込まれるのが大嫌いだった。
けれど、何度もそれらを繰り返すうちに、大人になっていったのか、諦めがついたのか、他人の評価なんてどうでも良くなってきて「いいじゃない、私は私だもの」とそういう風に思うようになっていった。開き直ったし、女であることを最大限に利用している人を見ても、あれはあの人の生き方なのだと思ったし、私を女ではなく男という理由で酷く当たる人間に対しても、この人はああいう生き方しかできないのだと思うようになった。

「姉鷺さんは強いですね」
最近、親しくなった彼女は私にそう告げた。彼女は女の子らしさを武器に出来るほど、優れた容姿をしているというのに、まるでそういうことを武器にしない、ようするに、不器用な女の子だった。今日も、書類を両手いっぱいに抱えながら泣きそうな顔をこらえて耐えていたので、たまたま通りかかった私は声をかけて励ましてあげたのだ。そんなこと気にする必要などないのだと先ほどの人生談を交えながら。
「そう」
「はい、そう思います。私はまだ周りの目が気になってしまう時がありますから」
ぎゅっとさらに彼女は書類を強く握りしめた。ほんと馬鹿ね。あんなプロデューサーの小言なんか気にして。あんな監督の愚痴なんか正面から受け止めて。
ほんと、馬鹿ね。
そう思っているのに、私は泣きそうになりながらも必死で前を向こうとしている彼女のことを心底馬鹿な子だと思うことは到底できなかった。
だって私がすでに無くしてしまったものを、この子はきっとずっと大事に抱えていくんだと思うと、それらのことが羨ましく、愛おしかったのだ。