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残業を終え住み慣れたマンションへ帰宅する。電車に揺られて帰ってきたので足が痛ェし、私の部屋は五階なので階段登って行けない距離じゃないけど、今日はエレベーターへ世話になるかとボタンを押した。
五階まで到着すると廊下を歩いて突き当りまで行くと、愛しの我が家の姿が見える。鞄の中から鍵を取り出してガチャリと開けようとするが、既に開いており「締め忘れた?」と疑問に思うがそれは一瞬のこと。下駄箱の横済に輪行袋が置かれてあると「なんだ来てンのかヨ」と直ぐに分かる。
学生時代は考えられなかったけど社会人になり数年。既に穿きなれたヒールを脱いで室内へ入ると台所から鍋をぐつぐつと煮る音が聞こえてきた。今日は起きて飯を作っておいてくれたようだ。

「おい、新開来てたのかヨ。来るなら事前に連絡入れろってアレほど言ってンだろ」

怒鳴りたてる声と共に扉を開けると、イケメンにエプロン姿という妙に腹の立つ恰好をした男が笑顔で迎い入れた。

「靖子――! お帰り!」

お帰りじゃねェ! と怒鳴りつけてやったが、本人は何食わぬ顔で「今日の味噌汁はいい出来だぞ」なんて言ってくるので意味がない。溜息を吐き出しながら、鞄とジャケットを皺にならないよう適当に畳んで椅子の上に置いて、キッチンまで近づく。お玉を差し出されたので味見してやると確かに、私好みの良い味が出ている。初めて作った塩辛すぎて飲めたもんじゃなかった味噌汁とは大違いだ。

「美味しいンじゃナイ?」

褒めてやると、大の大人の癖して、犬が尻尾を振るような顔をして喜ばれる。にっこりという効果音がめちゃくちゃ似合うその笑顔は歳を重ねても老いを知ることなく、似合っている。

「味噌汁以外は何か作ったのかよ?」
「ん? それは靖子に作って貰おうと思って」

ま、味噌汁以外、未だ完璧に料理出来るスキルは持ち合わせてねぇからナ。料理はあまりにも頻繁に私の家へ泊まりに来る新開に対して「来るんだったら飯くらい作れよ!」と怒鳴ったことから、新開が始めたものだ。
初めは塩辛いし鍋からお湯は吹き出している、手際も悪く台所ぐちゃぐちゃで、コイツ自炊したことねぇナ! ってのが丸わかりだったんだが、今では味噌汁と、あとは……――形は悪い玉子焼きくらいは作れるようになった。例え下手でも誰かにご飯作ってもらうっていうのは悪い気がしないので、下手だったときも全部食べたけどサ。着実にステップアップしている姿見てるとなんだか微笑ましいものがある。
しょうがなく私は新開からエプロンを強引に奪い取ってキッチンに立つ。この間、秋刀魚を買っておいたのでとりあえずメインはそれで良いとして、後はほうれん草と小松菜でも湯がいて、おしたしにする。そして、あまじょっぱい金平ごぼうでも作ってやろう。丁度、野菜室にごぼうが眠ってたしな。一人暮らしだと一回で使いきれねぇんだよアイツ。どうしてもこの間、炊き込みご飯が食べたくて買ったは良いけど、まだ半分以上残っている。有り合わせのもので、ほぼ冷蔵庫の残飯処理だが、四品もあれば、流石にコイツでも満足だろうしナ。

「メシ作ってる間に風呂勝手に沸かして入ってきたら――?」
「そうだな。そうすることにするよ」

そう言って新開は風呂を沸かす為に台所から出て風呂場へと向かった。もう風呂場の位置でさえ私に聞くまでもなく覚えている。そりゃそうか。何回、この家に来て泊まっていると思ってンだ。むしろ、位置を覚えていなかったらお前の頭の中はどれだけ空っぽなんだヨ! と怒鳴り声を上げるところである。
もう少ししたら「沸かしてきた――」と間抜けな顔をしてこの部屋に戻ってくる新開の野郎が泊まりに来るようになってから既に五年以上。大学を卒業したあと新開は、関西の実業団にスカウトされプロのロードレーサーとして活躍しているのだが、遠征合宿や、レースなどで、関東へ戻ってくるとき、決まって私の家を寝床にする。ホテルなんかでいいんじゃナイ? って私は思うし、所属する実業団が宿をとっておいてくれる筈なんだけど、そのことを述べる度に「靖子の家がいいんだ」と真顔で言われ、その意見を曲げることをしないだろうという眼差しで見つめられるので「来るな」とも言えなくなった。
三ヶ月に一度はこの部屋に訪れる新開は、泊まりにきたら一週間以上は滞在するので、見る人が見れば半分同居しているようなものだ。
私の家には新開の衣服が収納された収納ボックスがクローゼットの中で眠っていて、身一つでぶらりと訪れても特に困ることはない。別に収納ボックスを好んで買ったんじゃなくて、気付いたら新開の私物で部屋の一角が埋めつくされていたから、コリャ酷いナ……と思って、しょうがなく実家の押入れで眠っていた収納ボックスを掘り起こしてきただけだ。アイツ、泊まりに来るたびに何か私物を絶対に置いて帰るし、前日に着ていた洗濯物をワザワザ夜の間に洗濯してリビングに干しておいてやるにも関わらず、鞄に入れず帰って行くからな。
幸いこの家は母方の親戚である叔父がオーストラリアへ移住する際に貰ったものなので、二十代後半の女が住む部屋にしては広く、台所兼リビングを抜かしても二部屋もある。収納ボックスに収まりきれない私物は、物置として初め利用していた部屋に収まっている。その部屋じゃすっかりアイツ専用のみてぇなもんだヨ。私が寝る部屋以外でベッドは置いてないが、新開が良く泊まりに来るようになってからは客用の布団を買っておいてやったので、アイツはいつもそれに寝ている。
別に付き合っているんだったら一緒の部屋で寝ればいいだけの話なんだけど、私と新開は恋人同士というわけではない。他の人に話したら、そりゃ、非常識でサ。
私だって、非常識だってのは分かっているんだけど、初めて「靖子……――」と言って新開が間抜けな顔をし、扉の前に立っていた数年前の夜。もう二十歳を超えた男女だからなんて理由でアイツを追い返せなかった時点で、こうやってずるずると宿変わりに私の家を利用される未来なんて半分見えていたのだ。
しかもあの時、すげぇ深刻な顔して玄関に立っていたから思わず家の中に入れたのによ! 理由聞いたら「彼女と別れたんだ」とかいう下らないことだったから、ホント腹が立ったンだよなァ。
なにか決意したけど、その決意と向き合うのが怖くて脅えているような兎チャンみたいな眼差ししていたから、自転車関係で何かあったのかと思って、優しくした私が馬鹿だった。
結局もう五年以上だ。
残業と飲み会で遅くなった日に真冬だってのにアイツが家の扉の前で震えながら待っていた姿をみちまったから合鍵まで渡してしまって、更に新開はこの家へ来るようになった。
いい大人がよぉ。
まぁ、こんな関係そろそろ終わりは来るだろうとは思うけど。
三十が近づくにつれ結婚だなんだって話が自然と出てくるものだ。新開もそのうち本命の彼女でも作って私も式に呼ばれ「オメデト」という日が来るだろう。実際、私の周りは結婚だらけで同期は半分くらい寿退社したし、去年なんかはご祝儀代が結構財布にダメージ食らわしてきたからナ。
新開が結婚か。きっと彼女は可愛いンだろうな。白いドレスが良く似合う華奢で胸が大きい子とかがアイツは好きそうだけど……なんか、その妄想すると妙な気持ちにいつもなるからヤめとく。

「よっし、出来た」

作り終わった金平ごぼうを見て火を止める。あとは新開が風呂上がるタイミング見越して、秋刀魚を焼くだけだ。確か、冷蔵庫に大根があったからおろしにしてやろう。隣の奥さんから貰った酢橘も残っていたかな。大根おろしに酢橘絞ってちょっとポン酢かけて秋刀魚食べるとめちゃくちゃ美味いんだよなァ。

「靖子―――」

腹が減ってきたなぁと思っていると、新開の声が風呂場から聞こえた。マンションなんだから大声出すなよ! と思いながら、駆けつけてやると「シャンプーが切れてる」と言われた。

「薄めて使っとけヨ! あと早くあがってこい!」
「薄めてってどうやって使うんだ?」

マジか。こいつ、ぼんぼんだってのは知ったたけど……――しょうがなく風呂の扉を開ける。裸の新開が目に入ったが高校時代にコイツ等の裸体なんか見慣れているので気にならない。蛇口をひねってシャンプーのボトルに水を少量入れて上下に振ると奥底にこびり付いていたシャンプーが薄まってあと三回くらいは余裕で使える。

「ホラ」
「ありがとな、靖子。しかし、男の風呂場に平気で入ってくるなんてえっちだな」

ボトルを片手で受け取りながら、ばきゅんポーズされたので頭を叩いて風呂場から出た。とても二十代後半の男がすることとは思えないが、それを言えば私の行動だって二十代後半の女がすることじゃないからお互い様か。
台所に戻ると身体洗ったら湯船にあまり浸からず出てくるであろう新開に合わせ秋刀魚を焼き始めた。
いつも広いだけのマンションに一人だからサ。
偶にはこんな時間があるのも言うほど嫌いじゃない。









「荒北さんってめちゃくちゃカッコイイ恋人いません?」
そんなことを尋ねられたのは、仕事が一段落して、休憩しようと給湯室に置いてあるインスタント珈琲を取りにきた時だ。入社三年目の可愛い所集めたオンナノコ達が輪になって喋っていたから元気だねぇ、なんて思いながらお湯を噴出するボタンを押していたら声をかけられた。会社で遠巻きにされているわけじゃナイけど、女の子達の雑談に好んで入っていくタイプじゃないから普段は挨拶を交わす程度なので声かけられて、驚きのあまり肩を揺らしてしまう。

「え、ナニナニ? カッコイイ恋人なんか居るように見える?」

そんな良物件が居るのなら、もうすぐ三十にもなろうというのに男の話題が全く上がらない娘に対し「見合いしない? それか婚活しなさいよ!」と母親から小言をぶつぶつ呟かれることも無いだろう。
彼氏が居たことは無いことも無いのだが、現在付き合っている奴は一人もいない。そもそも、新開が家に転がり込むようになってから恋人という存在をどうにも作りにくい。

一度だけ新開が私の家に泊まるようになってから、男が居た時期があった。
同じ会社の二個上の先輩で部署は違うのだが、入社一年目の忘年会で親しくなった男だった。顔はソコソコ整っていて、仕事も出来る男だったのだが、私生活では少し抜けている所があり、喋っていると気が楽だった。良く酒を飲みながら仕事の愚痴を言い合ったものだ。
告白は向こうからで私の事が好きだなんて趣味悪いナ――と告白された時は思ったのだが、気持ちを伝えようと必死過ぎて、頬を赤らめ恥かしさのあまり目を背けそうなのに頑張ろうと踏ん張っている一途で不器用な姿に可愛いンじゃない? と絆されてしまい付き合うようになった。
半年ほど付き合っていたのだが、家に招き入れた時、他の男の私物があることに激怒され喧嘩になった。
友達のだって言って関係性も説明したンだけど、いい歳の男女が同じ屋根の下で夜を越し過ちがないなんて信じられないと言い張られた。
実はそうやって、その男に否定され罵声を浴びせられるまで私は新開を家に泊めることがそこまで異質なものだと気付いていなかった。
私にとって新開という男は高校時代から続く友達であり、一度挫折して道を踏み外しそうになった時期を共に過ごした仲間だった。歳を重ねるにつれ、本音を話せる友達というのはどうしても少なくなって行ってしまう中で、あの時代を共に生きた新開は私の数少ない本音や弱音を醜聞関係なく吐き出せる相手だった。
タダでさえ群れることに抵抗があるし、女子がいうグループに所属するのも下手糞で面倒な私は友達の数自体が少ないので、この長年続く縁をとても大切にしていた。
そこに男女の難しい感情なんて存在する筈がなく、私は新開を恋愛の対象として見たことなど一度もなく、新開も私を恋愛の対象として見たことが一度も無いので、泊めているからと言って身体の関係を疑われるなんてこと露にも考えていなかった。

しかし、どれだけ説明した所で男に理解される日はこなかった。そりゃそうか――と今なら受け止める事が出来る。当時は「なんでダヨ!」って気持ちがなかったわけじゃないが、冷静に考えてみれば、そりゃ恋人の家に血が繋がっているわけでもない男が半分住みついていたら嫌になるし浮気を疑う。
結局、私がとても浅はかで視野が狭かっただけという話なのだが、あれからなんとなく恋人というものを作っていない。告白される事は稀にあるが、なんだかんだ理由をつけて断ったり、良いなと思う男がいても気にならないようになった。
恋人が居ないということより、自分から本気で新開に対し「もう来るなよ」と告げる方が多分、私はイヤなんだろうヨ。





「いえ、先日見たんですよ。私、その日は映画観に行っていたんですけど、帰りの電車の中で荒北さんがすっごいイケメンと一緒に居るの! なんか会話も聞こえてきちゃって、今夜家で食べるご飯の話してませんでした?」

良く聞こえる耳だネ……――と思わないこともないし、そういう話を本人に向かって振ってくるなよ。影で話せ、影で――ってのも思わなくもないが、興奮して目をぱっちり開きこちらを見てくる姿は中々に可愛いし、素直でいいんじゃない? とも思う。
先日の日曜日と言えば新開がまだ家にいた。彼女が見た相手は間違いなく新開だろう。ちょうど、火曜日に「じゃあ帰るよ靖子。またな」と爽やかに言って家を出て行って今は居ないのだが。
日曜日は、お互い予定がない休日ということで私たちも映画を見に出かけた。新開が好きな推理小説が実写映画化して「面白いかどうかわからないんだけど、一応見ておきたいんだ」と言うので、じゃあ行くか――ということになった。映画の出来は私から見れば悪くなかったのだが、原作を読了している新開にとって納得できない部分もあったらしく、映画を観終わってカフェでお茶をしている時は渋い顔をしていたが、基本的に娯楽へ対してそれほど深い拘りを見せる男ではないので「まぁ、映画としてはいい出来だったよな」と割り切り、注文したケーキをばくばく山のように食べていた。
見ているコッチが寒気するほどのケーキを食べ終わった新開が本屋に寄りたいと言うので、本屋まで足を伸ばし私は仕事で理由するボールペンが切れてたナということを思い出したので、一本だけペンを購入した。
その後、電車を利用したのも覚えているので、見られたとすればあの時だろう。
電車の中で晩飯の話もした。新開が肉を食べたいというので、泊めてやる変わりにじゃあ肉奢れヨなんて言ってタダ肉にありついた。料理したのは私だけどネ。
最寄のスーパーでスペアリブを買ってケッチャップ煮にした。少し辛めに作って舌が焼けるような美味さを軽いワインを飲みながら堪能した。あっさりとしたサラダとホタテのマリネを作って、フランスパンを焼いて食べた。日曜日豪勢にした変わりに新開が帰る日の月曜日は質素なメニューだったけど、再びアイツは味噌汁を作ってくれた。
しっかし、見られていたとわネ――面倒になっちゃったナ。
新開はどこに行っても昔から目立つ。
人より優れた顔は歳を重ねても衰えることはまるでない。寧ろ、高校生の時は溢れんばかりの色気が不釣り合いだったが、今の年齢になると落ち着きを持った大人の色気へと変わって更にモテるようになった。更に鍛え上げられたスプリンターの筋肉は同性でもうっとりと見惚れてしまう身体付きにしていた。
長年一緒に居る私から見てもカッコイイ顔してるナってのは未だに思う。東堂なんかも顔は整っているが、あれはどちらかというと中性的な魅力を含んでいるので、男らしく見えると言うのであれば新開の方が上だろう。中身はへろへろのダメ四番だけどサ。
だから見られて注目されてもある程度はしょうがないだろうし、今後の反応をどうするのが正しいのか暫く悩んでしまう。
一度対応を間違えば、連絡先教えて! と言われたり、どこで知り合ったの! 会わせて! と言われたりしかねない。
つまり、付き合っていると言っても駄目だし、付き合ってないと言っても駄目なのだ。
さて、面倒なことになったナ。

「あ――うん、実は付き合っては無くて私の片思いなんだよね。向こうには彼女居るし、望み無いんだけどね。だから、ちょっと詳しく話せないかな。ゴメンネ」

多分、だけどこれがベストの回答だろう。
付き合っていないって言うと深追いされないし、片思いと述べることによって、進んで聞きにくくなる。勿論、影では色々好き勝手言われるんだろうが、別にそれは気にしない。片思いということで「応援します!」と言われる可能性もあるが、それは断ればいいだけの話だ。あと、彼女が居ると言っておけば、連絡先を気軽に教えてと言ってはこないだろう。

「あ、そうなんですかぁ……」

案の定、彼女は少し肩の力を落とし項垂れるように下を向きながら「ごめんなさい、が、頑張ってください!」と鼻息を荒くし目尻に涙を溜めながら述べた後、給湯室を後にした。なんか、嘘だよって今更言ったら怒られそうなくらい、悲しんだ顔していたから、あの一瞬で彼女の中にたくさんの妄想が生まれちゃったんだネ――と嘘をついたことに関し若干申し訳なくなってくる。
後、あの子、なかなか、面白い子じゃナイ。ただの若いギャル風味のOLかと思っていたけど、良い子に率先して話振られたんだなぁとちょっと今度一緒に飯でも食いに行きたくなった。









久しぶりに母親からかかってきた電話に思わずびっくりして息が止まった。
休日だから家で一人だらだら過ごすかと決めて、だらだらする前に掃除でもかけようと掃除機をかけていたら携帯が突然震えた。新開が家にこの間来た時から丁度、三ヶ月経っているので「珍しく連絡入れてきたのかヨ」と呆れながら掃除機を止め携帯に出ると飛び込んできたのは母親の罵声だった。
どうして連絡入れても返信しないの! という文句から始まり、そういや木曜日に連絡入っていたけど忘れていたナってのを思い出した。小言が始まると後が長いので適当に聞き流していたら「じゃあ、靖子! そういうわけで来週の日曜日は空けておくのよ!」と言われ正気に戻った。

「ハァ? 日曜ってなんでェ?」
「アンタやっぱり話聞いてなかったのね! お見合いよ、お見合い!」
「お見合い? ワタシがァ?」

お見合いだと意気込む母親に対し呆れながら聞き返す。マジで言っているんだろうけど、お見合いをするほど焦る年齢じゃないし、そもそも相手の男がこんなブス貰ったら恥ずかしいだろ! と笑い飛ばしていると「笑いごとじゃありません!」とまた説教モードに入った。
説教の内容を一文で纏めると「私は貴方の年齢にはもう結婚していたし、相手の男性も申し分ない方なので一度会うだけ会っておきなさい」というものだった。ココでどれだけ抵抗しても母親が意見を曲げる気がしなかったので、最終的にハイハイワカッタ――ということで電話を切った。

「お見合いネ」

どれだけ婚期を逃していると母親に杞憂されてんだヨ……ってちょっと自分が情けなくなったし、同時にそりゃ前の彼氏が出来たの五年前以上前だから不安にもなるか……と納得もした。どうせ、来週の日曜日は仕事も休みで特にすることもないので、体力に余裕があるなら少し遠出をして自転車でも乗るかといつも通りの休日を予定していたので暇である。母親が勧めるならきっと言うほど悪い人ではないことは確かだし、相手の男はブスが来て残念がるかも知れないが、ソコまで私が気にしてやる必要はないだろう。ま、会ってみないことにはどんな反応されるかもわからないし、今回だけの縁で終わるのか、次があるのか、どちらも判らないままだからナ。一度くらい会っておいてもいいダろ。会うまできっとずっと母親は言い続けるだろうしなぁ。

「まさか自分が見合いすることになるとはサ」

ちょっと着飾って見合いする自分を想像して、女装かよ? と腹をかかえて笑いたくなった。真っ赤な口紅つけて「本日はお日柄も良く」とかって話すのかな? わからないネ。ドラマとかの中だけしか見合いって見たことないからサ。テンプレの光景しか目に浮かんでこないってわけ。

「あ――駄目だ、駄目。一人で受けてもしょうがないダロ」

暫くの間、堪えきれない笑いが漏れていたのだが、いい加減掃除しよ、と冷静になり、掃除機の電源を入れた。




一週間後に迫った見合いについて私は初めても見合いなんだし楽しんだ方がいいよな――くらいのノリだったんだけど、母親は本気らしく、あれから毎日電話がかかってきた。月曜日から金曜日まで平日ずっと電話攻撃を受けて怒鳴ってしまうことの方が多いんだけど、母親が子どもに怒鳴られたくらいで怯むワケもなく「それでね」と話しが長くなるだけだった。
明日は掃除出来ないので、休日だということを利用して掃除機をかけていると携帯が鳴った。
また母親かヨ! と思い、今回も連絡先を確認することなく電話に出ると母親が出さない低くどこか擦れるような雰囲気がある声が受話器越しに聞こえた。

「靖子−−!」
「なんだ新開かヨ」
「なんだって、なに? 俺じゃダメなの?」
「ダメじゃねぇ――よ! ただ、今週はやたら親から電話がかかってきたたら、親かなぁって思っただけ」
「あ、そっか」
「そうそう。で、なんに用事だよ」

新開が用事の無い電話をかけてくることへ決して珍しいことは無い。突然、私の家には泊まりに来るのに、他愛のも無い雑談では良くかけてくる。例えば今行っている練習メニューについてだったり、コンビニ限定スイーツが美味しいって話だったり、内容は多岐に渡るんだけど、だいたい下らないものばっかだ。

「ああ、明日ってそっちに戻ってもいいかな?」
「なんだそれ、珍しい」

下らない内容かと思っていたら、今回は珍しく事前に許可をとってから来ようと心を入れ替えたらしい。前日っていうのが拒否しても来る気、満々だし「戻ってもいいかな?」じゃなくて「戻るから」っていう確認に過ぎないんだけど、今回ばかりは連絡入れてくれて助かったかな。

「別に来てもいいけど、その日、家に居ないから」
「珍しいな? どこか登りにでも行くのか?」
「あのナ――なんで私の用事がゼンブ、ロード関係なんだよ」
「違うのか? だって靖子、休日はだいたい家にいるだろ? 近場に買い物行く時はあるけど、夜には絶対に居るし。遠出するならロード関係か、寿一と晩御飯食べる時だから。寿一だったら俺も一緒に食べればいいだけの話だから違うし、だったらロード関係かと思ったんだけど」

なんでコイツ私の行動パターン読みつくしているんだよ。まぁ、付き合いが長くなれば大体、分かることか。私だってコイツの行動パターンなんてもう読めるし。落ち込んでいるときとかテンション高い時とか顔に出さなくても直ぐに分かるしサ。落ち込んだ時にどんな言葉かけてやればワリと簡単に元気になるってのも知ってる、読めて当然かナ。今までの私だったらお見合いとか想像できないだろうし。そもそも私がお見合いって時点で爆笑もんだヨ。自分でも暫く面白かったからさぁ。

「見合いだよ、見合い」

めちゃくちゃウケるだろ! ってぺちゃくちゃ見合いになって経緯を新開に話して行って、実は両親から毎日電話かかってくるのも見合いのことについてなんだよネ!って爆笑しているのに、いつもだったらこの辺で入る新開の「ひゅう! やるな!」なんて茶化しが入ってこないので「オイ、新開?」と尋ねると、やっぱり無言のままだった。

「オイ、もしかして話しの内容つまらないからって電話切ってンじゃないだろうな?」

退屈だったんなら、退屈って言えよ、相変わらず面倒な男だなと溜息を吐き出すと、突然、鼓膜が破れるんじゃない勝手くらいの声量で「違う!」と叫ばれた。

「違うってナニが? ナニ? もしかして電波でも悪いの?」

コッチの電波は三本立ってるから確実に私の携帯のせいじゃねェぞ、ってことを伝えたんだけど、新開は暫く無言のままだった。けど、耳を澄ましてみると通話が切られていないことも、新開が「そうじゃないんだ」と吐き捨てるように呟いたのも聞こえていたので、向こうの電波が悪いってわけでもなさそうだ。じゃあ、なにが違うって言うんだ。


「本気で見合いするのか?」

そりゃ明日だからする以外の選択肢はないだろ? って思って「そりゃするけど」と少々、躊躇いながら返事をした。いや、普段だったらコイツがどう受け答えすれば怒るとか怒られないとかが分かるんだけど、今回はどの返事が正解なのかまるで分らなかった。
新開は普段、怒るってことを滅多にしない男だ。落ち込むのもメンタル傷つけられて引き摺ることもある。少しのことで拗ねたり悲しんだり、逆に喜んだりするんだけど、怒るっていう感情は滅多に誰かへ見せつけない。一度も見たことが無い訳じゃないけど、他人に怒りを向けるくらいなら自分自身を責めるような、そんな奴なのだ。
けれど、今は、怒っていた。
間違いなく新開の口振りには怒気を孕んでいて、私は少し怖くなった。あんなに、なんでも分かっていると数秒前まで疑うことを知らなかった私の友人が他人に見えたし、もっと言うのであれば「男」に映った。
イヤ、性別をさ、男だっていうのは私も知っていたんだけど、私は新開を異性として見たことがなかったし、新開も私を異性として見たことが無かった筈なのに。
新開のその口振りは、数年間、男と付き合っていない私でも十分分かるものだ。
嫉妬している。
間違いなく。新開は私が見合いするっていうことが嫌で嫌で堪らないし、私が勝手に見合いしようとしているから怒っているのだ。私は別に新開の所有物なんかじゃない。実際、新開は私に彼氏が居たことは知っていたが、付き合ったと報告した時も別れたと報告したときも嫉妬などまるで見せなかった。付き合ったと報告したときは「おめでとさん」と言いながら全力で祝ってくれたし、別れたと言ったらどことなく落ち込んでいる私を慰めてくれた。
ナンデダ?
私と新開の間にそういう恋情を挟んだモノは一切なかったはずだ。あったのなら、あれほど家に泊まっておいて性的な交りあいが一度も無かったことの方が可笑しい。新開の前では数えきれないほど無防備な姿を幾度となく晒していた。風呂上りに夏だったら下着同然の部屋着で出てきたし、スーツが皺になるのが嫌だからと言いながら帰宅すると早々、新開が居ると気付かずに真っ裸になった時もあった。いや、真っ裸になったときは流石に「お前居るなら言えよ!」と怒鳴ったけど。暗闇の中から新開の顔がみょっと出てきたときは心底驚いたし心臓に悪かった。けど、その怒鳴りつける私に対して、新開が押し倒してそのままセックス! なんてことになった記憶は一切ない。

けど、今の新開はその一言だけで私に対して告白しているようなものだ。
好きだとか愛しているとか胡散臭い言葉を囁かれるよりよほど、私のことが好きだと訴えている。
何時からだ。
何時からコイツは私のことをそういう目で見ていたんだ。
漠然とした疑問と言いようのない孤独感に襲われた。まるで数年間、自分だけが何も知らずに呑気にあの男を家に泊めてきたことを馬鹿にされているような感じだった。きっちりと衣服をきて自身の気持ちをガードしていた新開と違って私はずっと真っ裸のまま服も着ず無防備なままだったのだと思うと、妙に腹正しい。新開だけが自分の気持ちを理解していた。理解した上で私と共に居たのだ。
では、私はどうだ。今の今まで新開に対してそのような目を向けたことは一度もなかったけど、コイツが私のことを恋愛感情を含んだ目で見ていると知っても不快感はまるで湧き出してこない。むしろ、嬉しいとさえ感じて、顔が真っ赤になる。耳朶まで染まり、頭の中が真っ白になった。

「う、ウルセ――ヨ! オメーには関係ないだろ!!」


目を瞑って電話に対して思いっきり怒鳴りつけた後、衝動に任せ携帯の電源を落とす。
息が荒くなって目の前が見えない。頭の中がクラクラする。まさか二十代後半になってこんな一度に押し寄せる感情という情報量に目が眩むことがあるなんて想像しなかった。

「私、新開のことスキだったのか」

もしかして、そうなのかもしれない。いや、多分好きで間違いないのだろうと、今までなんで気付かなかったのか疑問を抱くほどだ。
じゃあ何時からって聞かれても判らない。ただ、昔から妙に新開に対してだけは甘かった。もちろん、福チャンに対しても甘々な態度は取っているんだけど、福チャンに対する思いはもはや信仰心に近い。福チャンに対してそういう態度になるのはしょうがない話だ。人生を救われた恩人なのだから。
では、新開に対しては何だ? 新開も確かに私の掛け替えのない仲間ではあるのだが、それを言えば東堂も同じであるが、東堂がいきなり家に泊めてくれと頼みにきても一日もすれば「出て行け」と背中を蹴って追い出すだろう。東堂は飯が下手糞なことはないだろうケド、飲めない味噌汁出されたら「飲めない」ってはっきり口にして多分、その後、飲むことはないだろう。
あ、あぁあ、じゃあ、あれか。新開だから私は何されても許してきたってことか。
仕事でくたくたになって疲れて帰ってきたってのに、家の前に突然現れても、世話焼いてやったのは新開だからって言うのかヨ、私……――
未だに自分の気持ちが信じられなくてその場に思わず座り込む。
見合いどうするんだよ……って気持ちがどこかにあったけど、今日はもう何をする気にもなれなかった。





寝たら朝は当然訪れるので、ベッドの中で丸まっていたらチャイムの音で目が覚めた。時刻を見たら完璧に寝坊コース。玄関の扉を開けたとき、未だに寝間着だった娘に対し母親は激怒した。
見合いはとりあえずやる。今更、断ることなんか出来ないし、母親があとあと、面倒になることは目に見えている。見合いしてキッパリ断ってその後で新開のことは考えると決め、とりあえず今日は新開のことを考え悩んだり顔を赤らめたりすることは止めにした。
顔を洗って母親の朝食を久しぶりに食べて(どうやら寝坊すると見込んであらかじめ早い時間に私の家を母親は訪れたようだった。信頼度はまるでない)言われるがままに清楚な服を着た。
昔はこの私に似合わない清楚なワンピースとか嫌いで堪らなかったんだけど、大人になって着てみると、言うほど似合っていない訳ではなかったのだということか鏡の前に立って分かった。それでも、一般的な女性より背は高いし、身体に脂肪がまるでのっていないので、足が骨と皮だけみたいに見えてちょっと気持ち悪い。高校時代より筋力は確実に落ちてるヨって現実を直視させられたようでショックでもある。
いつもの最低限のマナー程度にしかしていない化粧ではなく、母親の手によって本格的な化粧を施され、普段よりまだ見るに堪える姿へと生まれ変わる。目がいつもより半分以上大きくて、母親は化粧上手いんだなぁ――なんて感想を抱いたりもした。
髪も丁寧に解かされ、出かける直前に相手の顔写真と名前を覚えるよう何度も見せられた。顔なんて興味なかったから写真に目を通していなかったが、こうして見ると中々に整った顔をした男が見合い相手だったのだということを知った。

女の方が先に現場へ着いていなければいけないと少々、時代錯誤なことを言われ高い有名ホテルのレストランまで連れていかれた。一人だと絶対に来ることがないホテルのレストランは格調高い雰囲気で、ベルベッドのカーテンが窓にかかっており、白いテーブルクロスがかかった机が等間隔で並べられてあった。床は濃い藍色のカーペットで全体的に落ち着いた雰囲気で、優雅なクラッシックがBGMとして流れていたので、少々緊張した。
昨日まで高いメシがただで食えるってことを楽しみにしていたんだけど、今はとにかく早く帰って新開とのこと決着をつけないといけないので、早めに断る方法を頭の中でシミュレーションしていた。
三十分ほど待つと男は現れた。白色のスーツを着ていたことにはちょっと驚いたが、それ以外は普通の男だった。白のスーツに劣らない顔立ちは現実の方が美形らしさを出していたが、その度に頭の片隅で「ケド、新開も似合うだろうナ」なんて戯言が浮かんできて、何にもないのに突然、顔を赤らめたりしてしまった。今は新開は封印だって言っただろうが! このポンコツ頭ぁ! と自分で自分の脳内を少し呪った。
喋っていると男は確かに私が幸せになれそうな相手ではあった。まず一流企業に勤めており、生活も安定している。そして一見完璧に見えて仕事が出来る男だと言うのはよく分かるのだが、やっぱりどこか抜けていた。その抜けている部分が人を苛立たせるのではなく、オ、コイツ可愛いンじゃない? と思わせてしまう天然らしさを披露していて、私が「お前、しっかりしろよ!」と怒鳴りながら背中を叩いていくという夫婦生活はなんとも順風満帆に行きそうだった。男は私の仕事に対しても辞めてくれてもこれからも勤めてくれてもどちらでも良いと言っていた。何故かと問い返すと「自分はいざという時の為、家族を護れるくらいのお金は用意出来るつもりだし、結婚するくらい好きになった女性ならその人のやりたいことをある程度は優先してあげたい」なんて解答がきて、コイツは完璧なのか? 裏があるんじゃないか? と疑ったりもした。ああ、うん、きっとこの男とは上手く結婚してからも過ごしていけるので、母親が見つけてきたと言っても過言ではない相手は確かに理想の相手だったかも知れない。
昨日までなら。
けど、もう気付いてしまった。料理も完璧だと見合い相手の男は述べていたけど、私は料理なんて完璧じゃなくてもいいのだ。不器用でも一生懸命作ってくれる方が嬉しいし、すぐに落ち込んだり拗ねたりするし、突然人の家に訪れるような奴の方が好きだし、そういう奴と結婚したいのだろう。

「あ、あの」

断るのは申し訳なかったが、頭を下げようと椅子から立ち上がると、背後から突然、二の腕を掴まれた。大きな骨張った男の腕は手のひらに肉刺が潰れ重なり硬くなっており、握られると誰の手か直ぐに分かる。ロードバイクを握り続ける手で、私の事を力加減も知らず痣が出来るくらい握りしめる奴なんて一人しかいなかった。

「靖子」
「し、新開テメ――」

文句を言おうと口を開くとなんとキスされてしまった。周囲も私も雑談を止め私たちを見ている。触れるだけのキスに年甲斐もなく顔を真っ赤にしてしまい、抵抗する力を奪われたまま、新開に引き摺られるようにホテルを出た。


連れて行かれたのは私の家だ。合鍵で新開はいとも簡単に鍵を開けると部屋に私を押し込んだ。廊下に押し倒されるようにキスしようとしてきたので、衝動で思わず顔を殴る。

「お前、なんで」
「見合い。靖子の性格なら出るだろうなぁって思って邪魔しに来たんだ」
「邪魔って……ホテルの場所知らないダろ!」
「見合いしそうなホテル一つずつ回ったら見つけられたよ」

難しい事をいとも簡単だったというので腹が立った。なんだ、いきなり来て人の見合い第無いにするとかどれだけ自分勝手なんだヨ! と怒鳴りつけてやりたいが、嬉しくもあるので困ったものだ。
嬉しいと言う気持ちが恥ずかしい。恥ずかしくて顔が真っ赤になり、羞恥心で涙が少しだけ零れた。
新開は私の頬から零れた涙を親指で拭い取ると「泣かないでくれよ、靖子」と少しだけ困ったような声色で呟いた。フザケンナ! 困ってるのは私の方だヨ!

「お前、見合い壊したんだから責任とれよな! てか、いつから、いつから私のことす、好きだったンだヨ!」

目を逸らすのも癪だから真正面から新開の顔を捉えて言ってやると、なんと「お前さんの家に泊めてくれって言いにきた日だよ」と言われたので、じゃあもう五年以上前から私一人だけお前の前で心も体も無防備で間抜けなだけだったのかヨ! と、恥かしさのあまり身体が震えだした。ここにクッションかなにかあったらそれで顔を隠してしまえるというのに。生憎、なにもない。

「靖子が好きだって分かったから彼女に振られたんだ。そしたら俺も多分、今の靖子みたいになってさ。あ――俺ってこんなに無防備なままで靖子の前に居たのかって。好きって態度で示しているようなものなのに、自分は気付いてないなんて、ほんとう、恥ずかしかった」

私の気持ちがわかるなら、そう言いながら首筋とかにキスしてくンのヤメロよ! って怒鳴ってるのに、新開はまるで聞く耳をもたない。

「ずっと言いたかったんだぜ、お前さんが好きだって」
「じゃあ、言えば良かっただろ!」
「いや駄目だなぁ。だって、言ったら靖子は俺を振ってただろう。それが怖かったんだ。最初はすぐに告白して付き合って貰うつもりだったんだけど、いざ告白しようって時に靖子、彼氏なんか作るし。まぁすぐに別れたから良かったけど。ほんと、一度は俺だって心が折れているんだ」

そうか。初めて家に泊めてと言いに来た時に気持ちを自覚したというのなら、新開は一度好きだった人(まぁ私なんだが)に恋人が出来た光景を見ているのだ。惚気る性格ではないので新開に惚気たことなど無かったが、好きだと気付いて告白するまで気持ちを固めたというのに、ソイツに恋人が出来たなんて、辛かったんだろうなぁと思うと新開のことを怒鳴れなくなってしまった。私も、今の状態で新開に恋人が出来るとなると、とてもイヤだ。きっと新開の顔などみたくなくなってしまう。

「だからずっと機会をうかがっていたら、こんなことになっちまった。もう、他の奴に盗られるわけにはいかなって思ってさ。だって、靖子が俺のことを好きだってのは知っているけど、靖子自身がその気持ちに気付かないまま他の男と結婚なんてことになったら、もう取り返しがつかないだろう」

私が気付き前からコイツは私が自分の事好きだって知って居たのだ。ああ、ほんとうに恥ずかしい。恥ずかしいったらありゃしないヨ。新開。

「靖子、好きだよ。俺と結婚してくれ」

耳朶の後ろで息を吹きかける様にして囁きかえられる。「うん」と言うしかないのだが、なんだかそれさえも恥ずかしくて「しょうがねぇから、お前の作った味噌汁を毎朝飲めるなら結婚してやるヨ」とだけ答えておいた。