及川と岩泉 | ナノ
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河川敷を歩いた。中学時代、気が遠くなるほど外周で走らされた道のりを、歩くことはもう無くなる。卒業式を迎えた。感動なんてものあって無いようなものだが、練習を重ねた体育館の黴と鉄が混じった香りが鼻腔を過ったときに、双眸から涙が零れてしまいそうになった。生唾を飲み込み耐えきると、顔をあげ平然とした表情を気取ったが、一番の泣き所である答辞では動かされなかった心が唯一、卒業式という空間の中で揺らいだ。隣に並んでいて、制服につけられたボタンをすべてはぎ取られた及川と違い、胸につけられた似合わない造花を外して岩泉はポケットに突っ込んだ。

「ようやく終わったね」

及川は背伸びをして告げる。南風が及川のワックスで固められた髪の毛を揺らした。人に揉まれたのでいつもより、崩れていた髪型は良く靡き、すらりと伸びた身長が栄えた。悔しくて苛立つだけだが、絵になる男だと岩泉は思いながら首肯をして、卒業証書で及川の頭を叩いた。

「吐き出せよ」
「お見通しだなぁ、岩ちゃん」

祝賀会が行われる時刻までの空白の二時間。帰宅をする生徒に塗れ、別れを惜しむ後輩たちの腕を振り払い二人きりになれる河川敷まで及川が足を伸ばしたのは喋りたいことがあったからに違いなかった。及川は誰かに話すことで頭の中に溜まった感情を整理している所がある。決まってその話し相手になるのは岩泉だった。
この河川敷は二人の家からも近くにあり、小学生の頃は土手にでて自主練習を積み重ねた場所だ。通学路にもなっており、居残り練習を終えた及川と共に岩泉は何回もこの場所の土を靴の裏に付着させてきた。
卒業証書で叩かれた頭を押さえながら、及川は泣き出してしまいそうなほど目を細めた。普段から目が大きな男が細めれば、愛嬌が溢れるが、泣き出してしまいたい潤んだ雫がすべてを台無しにしていた。岩泉は寂しいのかとも尋ねず及川の話しを聞いた。

「中学校にさ、心残りが一つだけあって」
「影山か……」

上級生が畏怖を覚える程に頭角を現してきた下級生の存在を思い出し、岩泉は名前を告げる。入部当初から、及川は脅えていた。本物の天才と出会ってしまったことに対して。及川のバレーセンスも大したものだが、努力で積み重ねられている部分が多い。例えるなら秀才タイプの人間で、本物の天才は秀才を簡単にとって食ってしまいそうな雰囲気を身体中から放出していた。今まで上手に精神状態をコントロールしてきた及川が初めてぶつかった自己の理性を外側へと追いやる壁のような存在で、奥歯を噛み締め、眼差しをぎらぎらさせ、影山という存在を見てきた。
だから別に、及川が同じポディションの後輩を心配しているのではないというのは一目で判る。及川はあの畏怖が詰まった憎たらしい存在から、勝ち逃げするように出て行くことを悔やんでいるのだ。

「すごいよねぇ、とびおちゃんって。俺が教えなくてもぜんぶ吸収して。俺が何年かかってあのサーブ身に着けたと思ってんの。あ――これだから天才って奴は嫌になるね」


及川は愚痴を漏らすように淡々と語っていった。いつものふざけた様子ではなく、隙間風が凍りつくような怒気ともいえる肉声で。低く、自然と交わらない恣意が混入された音が岩泉の鼓膜に吸収されていく。
話しを聞きながら、影山のことがお前はそんなに気になるのかと、岩泉は呆れかえっていた。岩泉からしてみれば、自分が認めトスをあげるセッターは及川ただ一人だ。口が裂けても声に出すことはしないが。嫌いだという反面、及川が痛々しいほど(良くない事態が起こっていると判り切っていても、黙って無視するような男が)気にかけて、棘を敏感に張り巡らしているのがわかる。本心は自分の知らない所でさらに成長する影山の存在が怖いという所にあるが、岩泉からしてみれば背後から迫ってくる亡霊にばかり目を向けられていては困る。
四月から青葉城西で及川のトスをスパイカーとして打つのは自分なのだから。
背後ばかり向かずに、前を向け。もっと素直に吐き出すと真横に居る俺を見ろという気持ちで言葉を紡ぐ。この言葉は何時もの励ましの意味合いを含んでいながらも、僅かに、後ろばかり向いている及川に対しての寂しさを孕んでいるものだった。



「お前はお前だろ」
「そ、俺の方が良いセッターなんだけどって、岩ちゃん?」

及川は顔を上げ岩泉を見つめた。いつもならここで、鳩尾が食らわされ背筋を正されるように軽い説教をされるのだが、今日は手が出てこなかったからだ。それに、岩泉の言葉にはいつも力がある。内容を考えて御託を並べているのではなく、簡潔に誰でも思いつくような語彙で放たれる言葉の持つ威力がとても好ましいものなのに。
見つめると岩泉も珍しくマイナスの感情を張り付けたような泣きそうな目をしていることが判った。自分の幼馴染が、こんな風に弱音を曝け出すのは珍しいことだ。
卒業式で感傷的な気分に浸っていたのは自分だけではないらしいということが判り、謝罪の意味合いを込めて岩泉の頬っぺたに両手を沿える。当然のことのように嫌がられ、振り払おうとされ、頭突きを食らわせられたが、及川の両手が岩泉の頬から離れることがなかった。

「ごめんね、岩ちゃん。俺は俺だよ。岩ちゃんにトスをあげるのはさ」
「んな心配、一つもしてねぇよ」
「うそつき。あ――マジごめん。自分のことばかりで甘え過ぎてた。まさか、岩ちゃんがそんなに俺のこと大好きで、俺のトスに期待してるなんて」
「お前に期待してるのなんかトスくれぇだよ」


ごめんねという意味合いを込めて、及川の唇が岩泉に触れようとしたが、頭突きをされ交わされてしまった。二回目の頭突きは流石に脳髄を震わせたようで、及川は屈みこみ、頭を押さえる。
岩泉は及川が自分の顔を見ていないことを確認して呟く。

「愚痴られるのが嫌なわけじゃねぇ。ウゼーけど」
「うん、知ってるよ。だからこそ、岩ちゃんが寂しがってるの気付きたかったって俺が勝手に思っただけ。俺、ずっと岩ちゃんの横で君にトスをあげるよ」
「ずっとはキメーな」
「今更だって」

顔を上げれば岩泉が、羞恥に塗れたものを隠そうとしていたり、見せた自分の弱さに困惑したり、及川しか知らない岩泉の顔が広がっていることは知っていたが、今ここで顔をあげないのは、先ほどまで甘えながら愚痴を吐き出してきた自分への戒めのつもりだった。

そもそも、顔あげたら岩ちゃん怒るから。

もうちょっとすれば顔をあげよう。もうちょっとすれば、手を掴もう。
不安がる心配なんかないのだ。自分の心は岩泉の言葉一つで解決してしまうのだから。昔から続く他愛無い雑談をはさみながら、もうちょっとが過ぎ去るのを待った。