黒尾と研磨 | ナノ
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薄暗い誰もいない台所。冷蔵庫の電子音に耳を傾けながら、後頭部を冷蔵庫にくっつけ、研磨はスマートフォンを眺めていた。握りしめた端末機の中に表示された文字列は、恋人が今夜、帰宅しないことを指していた。
黒尾が帰宅しないことは良くある。高校を卒業し、大学生になるのと同時に一緒に暮らし始めてから飲み会や研究で遅くなることを理由に黒尾は帰宅しないことを研磨に告げてくる。もちろん、寂しげなか細い声をだし、帰って来てよと研磨が懇願すれば、一目散で帰宅してくれることはわかっているが今まで一度たりともそんな科白を研磨は吐き出したことがなかった。冷蔵庫の横にある台所の流しから水道の雫がぽつり、ぽちゃんと食べ終えたお茶碗に落ちる音が流れた。
黒尾がメールをしてくる時、浮気であることが多い。本人は気付いていないが、飲み会や研究で遅くなる時は直接電話をかけてくる。携帯での返信を怠る研磨のことを気遣っての行動だが。浮気する直前は余裕がなくなるのか、なにかを察することに長けている研磨が肉声を聞いただけですべてを悟ってしまうのを恐れているのかどちらかわからないが。電話ではなくメールで今日は帰宅できないことを知らせる。
研磨はメールが鳴り響くたびに肩を震わせ、どうしてなんだろうという空虚な気持ちにさせられた。自分の後孔が黒尾の欲望を満たしていないのだろか。セックスの相性だってけして良いものとは言えないので、黒尾の性欲が外へ向かってしまうのはそのせいなのだろうか。
以前、黒尾が告げていた言葉のなかで「研磨は神聖なものだから」と勝手にまつりたてあげられているものを耳にしたことがある。高校時代、嫌になるほど聞いた、人体の一部に例える比喩表現だけでは飽きてしまい、神様のようなものまで出してきたのかと、話を聞いていた研磨は呆れかえった覚えがある。「クロは馬鹿だなぁ」と苦虫を踏み殺したあとのような笑みを作りながら、ゲーム画面に向かい指を動かしていた。黒尾はその間も研磨になにかを囁いていた、もしかして、それが寂しかったんだろうかと浮気を黒尾が始めるようになってから研磨は良く思う。
同じ空間にいるのに別々のことをしているのなんて、珍しい事じゃなくて、研磨はゲーム。黒尾が喋る。黒尾は雑誌を読むという、そういう空間であることが普通だった。研磨はそれがとても好きだったのだが、世間一般的な恋人同士はこうやって一緒にいる間、寄り添うだけではなく互いのことを尊重しながら、共に居るのだろうか。黒尾はそういって時間が欲しかったんだろうかと、研磨は冷蔵庫に凭れかかりながら一人で呟いた。
だったら他の人間の元に黒尾が行ってしまうのも理解出来る。誰かに気を使い共にいることを選択するなどという時間を強制されるのは、研磨自身とても不得意なことだからだ。気を使うとなると、怯えてしまい、凝り固まった思考回路から抜け出せなくなり息がつまる。我が儘だと諭されようが、ともにいるだけで落ち着ける人でないと、研磨は生活が出来ない。もし、黒尾がそれを求めているというのなら、他の人に行ってしまってもしょうがないように思えてしまう。
研磨は三角すわりをした膝のなかに顔を埋め、真っ暗だけが広がる空間で自分の身体を抱きしめた。はやくかえってきてよ、クロと述べる。ここには真っ黒な時間が多すぎて息が詰まりそうになってしまう。




がちゃり、とドアが開いたのは早朝のことだった。研磨は扉の音と共に目覚め、立ち上がった。

「クロ」
「研磨、起きてたのかよ」
「うん。起きてた」

黒尾の元に身体を埋める。珍しい積極的なスキンシップに黒尾は研磨の頭を撫でた。どうした、不安にさせて悪かったな、と気遣う言葉を残しながらも本心を口にしない黒尾の言葉に研磨は酔ってしまいそうになった。胃の中から湧き出す吐瀉物を我慢しながら、顔をあげる。

「誰と寝たの。どの人と、セックスしたの」

可愛かった? と首を傾げて尋ねてみると、黒尾はバツが悪そうな顔を一瞬した。言い訳を探そうと目が泳いだが、真っ直ぐと自分の双眸を見つめ、獲物を捕らえた猫のように逃がさないと訴える研磨に降参だと手をあげた。

「悪かったよ。同じ学部の女と寝ただけ。お前に負担をかけたくなかったんだ」

なにそれ、と研磨は黒尾を睨んだ。負担をかけたくないとはなんて自分勝手な言葉なんだろうと思ったのだ。確かに相性は良くなかった。男同士なので、元から肉棒を受け入れる器官ではない。慣らして呼吸の息遣いを合せるようにして肉棒が研磨のなかにはいってくるのだ。気持ち良くない時に喘いだり、終わったとは腰痛に悩まされたが自分が嫌だと言ったことは一度もない。神聖化して大事に扱っているというのなら、研磨が告げてきた言葉の節々を、黒尾は未だにその脳内で記憶している筈なのに。嫌なことは嫌だと、告げ、そうでなくても、目線で物語る研磨の意思を無視したり理不尽な言い訳だ。それを言い訳に使われ、研磨は黒尾から離れた。

「別れよう、クロ」

告げた言葉は黒尾の目を見ていえなかった。きっと目を見れば決意をぐちゃぐちゃにされ、丸め込まれてしまう。一歩離れて、おれが出て行くよと踵を返そうとした瞬間、黒尾に腕を掴まれた。
握られた手が痛い。黒尾の大きな手のひらは骨と皮で出来た研磨の手首を握りしめて、引き寄せられる。顎をつかまれ、強制的に上を見せられる。硝子玉のような研磨の双眸に黒尾が映った。
眼前に居る恋人がなにを考えているのか研磨は一気にわからなくなった。口角をあげ、笑っている。なぜ、笑っていられるのだろうか。

「別れるのは受け入れてやるけど、今度はもう一度俺から告白する」
「はぁ、なにいってるの。ちゃんと、日本語喋って。それに告白されてもおれは拒否するよ」

浮気をして自分の気持ちを汲み取らずに勝手な言い訳ばかりする人を受け入れられるわけがないと研磨が告げると、黒尾は駄目だと拒絶した。なにを言っているのだろうか。今、黒尾に拒絶できることなどないのに。

「じゃあ、研磨は俺の要望すべてに答えてくれるわけ? 俺が話を聞いてっていったら聞いてくれる?」
「……それは……」

思い悩んでいたことを指摘され研磨は黒尾の目から逃れられなくなる。大丈夫だと囁くように黒尾の舌先が研磨の耳朶を舐めた。お互いに何処か折り合いをつけながら付き合っていくべきだという事を黒尾は主張しているのだ。

「一度の浮気くらい、許せよ研磨」
「いや、だ」
「もう俺を手放したら、俺以上にお前を愛せる奴なんていないぜ」
「っ―――」

確かにその通りだと研磨は何も言えなくなった。地球上どこを探しても、黒尾以上に研磨のことを愛してくれる人間などこの世に存在しない。それは、黒尾が研磨と幼馴染だったことを良く冗談で「運命だな」と告げる様に、世界中で黒尾以上に研磨を愛してくれる人などいないのは決められたことのように聞こえた。
研磨は奥歯を噛み締め、視界を潤わせながら逃れられないと悟り、黒尾の胸の中に飛び込んだ。

「浮気しないで、もう、やだ。おれは」
「わかった、しねぇよ」

黒尾は研磨の頭を撫でた。だから別れるなんていうなよ、黒尾は告げた。結局の所、黒尾が浮気したのも甘く蕩けるような科白を研磨の口から聞きたかったためだ。自分と別れたくない。自分が女と浮気するのは嫌だとそういう科白を研磨の口から吐き出したかっただけなのだ。研磨が疑い深く勘違いしてくれた、研磨と一緒にいる時に別々のことをしているのが嫌だとか、そういった感情は微塵もなく、セックスだって、研磨が自分の辛さを我慢しながら耐えているのを見ているのは酷く興奮して堪らない。すべては、研磨から、こういった嫉妬心を孕んだ台詞を聞きだす為の布石を張り巡らした演技なのだが、そんなことを知らずに研磨は黒尾の腕のなかで、キスを強請った。