眠気を誘う春の暖かな昼下がり。
暁は覚えたはずが、気を抜けば眠りの淵へと誘われる。
ほどよく満たされた腹とすぐ隣にある心地の良い体温のおかげで、目の前で睡魔が手招いているように錯覚する。
難解な魔導書がそれにさらに拍車をかける。
がくり、と身体が傾きかけた瞬間を見計らったように開いていた本が少し音を立てて閉じられた。
同時に項を捲る一定のペースで聞こえていた紙の擦れる音が聞こえなくなった。
水を打ったような静寂はかえって眠くなくなるものだ。
僅かに聞こえる音は眠気を加速させる(師匠の静かな声で長々と続く説教もそうだった)が、本当に静かだと却って寝づらい。
時計の秒針を刻む音が響くような静けさを破って、眠気を遮った犯人が俺の名前を呼んだ。
どれだけうとうとしていたのか、目の前に移動していたことに気づいていなかった。
正面に立つシーフォンをゆるりと見上げれば、その顔はどことなく不機嫌そうにも見えた。


「っ、何いきなり、喧嘩なら「アベリオン、」


あんなに目の前まで来ていた眠気はどこへやら、吹き飛んでどこか遠くにいった。
見上げたシーフォンは背に枕を隠し持っていたようで、ぼふ、と音を立ててそれが顔面めがけて飛んできた。
予想外の嫌がらせを見事に食らい痛む鼻頭を押さえながら、不満を露に睨む。
すると、シーフォンは首もとに顔を埋めて向かい合うようにして膝の上に座り、そろそろと腕を首に回してきた。
何が起きたかうまく理解しきれずに思わず固まる。

もしかして、これ甘えられてる……、の……?
……お前さあ、1回攻撃してこないとデレられないわけ。
なんとも面倒くさい性格をしてるものだ。
はあ、と吐きたくなるため息とこみあがる笑みを噛み殺して背に腕を回す。
より密着すればふと鼻腔を抜けた匂いに何やら煽られてしまって、その、なんていうかまずい。
こんなこと滅多にないのに手出したら、ほんともう一生なくなり兼ねない。
そんなことは重々承知だ、そしてそれはできれば避けたい。
どうしても伸びる手を誤魔化すように鎖骨を擽る髪を撫でれば、顔があげられて目と目が合う。
その直後に向けられたはにかむように目元を緩めた笑みにくらりとする。
にやりと笑うでもない憎たらしいほどに表面だけは可愛らしく映るのだから、ああくそ。
こいつ俺がこれに弱いってわかっててやってる、絶対。
それでも誘われて手出したら大抵拗ねるかキレるかされんだから、理不尽にもほどがあると思わない?
俺はこれでもお前が結構好きなわけで、だからそれが無音詠唱からの屠りの剣と並ぶ威力だとわかった上でやりやがれこのばか。


「……目、瞑んなよ」


端的にそう告げると同時にシーフォンは目を閉じてそっと距離をつめてきた。
あ、わかった、これは夢なんだきっと、まだ覚めないってことは明晰夢なのだ。
さっきは眠たかったし、そうだきっと、じゃなきゃありえねえ。
期待したらきっと起きたときに地味なショックが胸を埋め尽くす。
わかってはいても、どうしたって目の前の光景はリアルで戸惑う。

シーフォンからする、なんて恐らく今までになかった気がする。
だって、俺からするにしたって逃げるし拗ねるし怒るし……と後が大抵面倒くさくなるため必然的に減る。
一応そういう関係なんですよね、と聞きたくなるくらいだ。
どうせ聞いたって、はあ?とかキモッとか返されて終わりだろうけど。
ヤるのよりキスとか抱きしめるほうが高確率でダメってわけわかんね。
普通逆だろ、根っからの快楽主義者だとでも?
まあ人間なんて大概そうだけどさあ、とくに男はね。
そんなんだから正直こいつに好かれてる自信はなくて、だからどうしようか、にやけそうで本当に無理。

……ああ、だから夢なんだってば、期待すんな俺。
そんなぐちゃぐちゃとした頭でいまいち理解できないまま固まっていれば、唇が重なる寸前で止まった。
後頭部を掴んで引き寄せたくなるのを我慢していれば、むす、とした目が向けられる。


「……目瞑るなっつっただろ」
「え、だから瞑って……」


ないだろ、と言いかけてテーブルに置かれたカレンダーが目に入って納得した。
ああ、今日ってエープリルフールなんだっけ。
何かと馬鹿にする態度を取る割りにはこういう季節もののイベント好きだよなあ、なんて思う。
夢の中でもそうなの、ていうかこれ、え、もしかして夢じゃなかったり……するのだろうか。
動揺が抜けないまま意図を組んだ旨を示し大人しく目を閉じてやれば、そろそろと唇が重ねられた。
ほんの1秒ほどで離れていったそれを物足りなく、恋しく思う。
夢であるものか、この感覚を間違えるはずもないとほぼ言いきれる。
春の陽気は、こんなところにまで影響を及ぼすらしい。


「もう満足なんだけど」
「僕だってもういらねえし」


つん、として言った台詞とは裏腹に伏せられた睫毛。
嘘……、でいいの?継続してるってことでいいんだよね。
素直じゃないんだけど、素直すぎて本当にどうしてくれようか。
調子に乗ってしまいそうだ。
だって、あーちくしょう可愛いんだけどこいつ。
こみあがるものを吐き出せないまま、今度はどちらともなく口づけて、啄むようなキスを繰り返す。
相手がこんなんだから甘い雰囲気にはそんなに慣れてなんていない。
そのせいか無駄に暴れる心臓が格好悪くてしょうがない。
絶対シーフォンにも聞こえてる、やたらばくばくいってるし。
いつもこうならいいのに、と思う反面にシーフォンがひねくれててよかったとも思う。
こんなの毎日だったら俺とっくに死んでる、じゃなくとも早死にするのは確定だ。
息苦しそうな声が洩れたところで離してやれば、蕩けた眼差しが向けられる。
……ああ、もう、少し大人しくしててくれないかな、俺の心臓……!
そろそろ限界なのを隠すべく抱えるように抱くと、もごもごと「すげえ楽なんだけど」と不満そうな声があがる。
紛らわしい言葉遊びはいつまで続くやら。
「なら良かった」とだけ返して今は顔を見られたくないため、少しだけ腕に入った力を抜いてやる。
胸元の服の余りがしっかり掴まれているため、抱きしめていること自体は赦されているらしい。


「……こうされんの、一番嫌なんだよ、居心地悪いし最悪、すぐ離れたくなるし、だからやめろ」
「っ……ああ、もう、」


こんの天の邪鬼、と叫んでやりたい。
初めて聞いたんだけどそんなの。
嫌なんだろうけど流されてしまってんだろう、くらいにしか思ってなかった。
一番などと分けてるってことは他もそんなに嫌じゃないってことだろ。
なんだそれ、ほんと、すげえ振り回されてる。
まだくだらない遊びは続いてるってことでいいのだろうか。
不埒な手を押し込めて押し込める。
押し倒しなんかしたらきっとその時点で強制的に終わる。
わかってんのに、こんな素直に(いや、素直じゃあないんだけど)色々話すことなんてない、ないんだからがんばれ俺。


「もうさっさと離れろよ、嫌で嫌でしょうがないんだからさ」
「…………っ」


死ぬ気で平静を装ってそう吐き捨てれば、息を飲むような音がした。
そしてシーフォンは押し黙ったままぎゅう、としがみつくように抱きつく力を増す。
身体が少し震えている気がして、不安になって声をかける。
シーフォン?と呼べば、数拍置いてからそろそろと顔があげられる。


「僕だってやだし、お前なんて、アベリオンなんてきらいだ、だいっきらいだ生きろ」


何なの、この可愛い生き物。
もう本当いい加減にしてほしい、俺の頭ぜったい沸いてるけど四月馬鹿だからしょうがないってことにさせてほしい。
頬を紅潮させたまま吐いた台詞はいつも通りでも、今日は、今日だけは意味が変わってくる。
死ねは余計だけど、ああ、やばい、頬緩みっぱなしで大変気持ちの悪いことになってる。
予想通りに「キモっ」と声があがる、反転されてないから、それ。
素直に悪態つかれても、それでも平静を装いきれないんだけどどうしてくれんの本当。
嫌いだからとオウム返しにしてやりたくとも、思わずそれと逆の言葉が出そうだ。
子供にするみたいに額にそっと口付けて頭を撫でれば、少し不満そうな顔をしながらも、擦り寄ってくる。
素直じゃないんだけど、素直すぎて本当にどうしてくれようか。
今日1日だけはずっと甘やかしてようかな。


「なあ、夕飯何がいい?」
「……シチュー以外ならなんでもいい」
「牛乳は好きなくせに」
「まず……うまいんだからしょーがねえだろ」
「シチュー作らなきゃいいんだろ、手早いし楽なのに」
「ダメなの?」
「あー…うん、だめ」


思わずいいって言いそうになったのは不可抗力だ。
ややこしくて紛らわしくて頭がいい加減こんがらがって来る。
元がひねくれにひねくれたお前と違って、俺はやりづらいことこの上ないんだけど。
お前もまずいとか言いかけてたしね。
それでも「もうやめよう」ならぬ「まだ始めない?」が言えないのは猫のような気まぐれが珍しく続くからだ。

シチューならば時間をかけて弱火でじっくり煮込んだほうが美味いんだけど、まあいいか。
閉じた魔導書を拾い上げて、俺の腹に背を凭れさせるように向きを変えたシーフォンはまだ暫くは居座る気らしいし。
満更でもなくまた緩む頬をバレないようにつねってから「暫く寝かせて」とだけ伝える。
意図は会話の流れでわかるだろうし、温かな体温と気に入りの匂いに満たされて寝るのはこの上なく幸せに思えた。




正直者の甘やかな午後
嘘吐きの苦々しい午前

(おい起きろよ、もう夜なんだけど)(あー……もうちょい早く起こしてくれてよかったのに)(いいからとっとと作れよシチュー)(暫くかかるけど)(まだ腹減ってな…(今の音は何なんすかね)(るさい、はやく)






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