僕たちの一生
僕たちの一生3///

▼黄金の風

 その日、イタリアに風が吹いた。黄金の風が吹いたのだ。それを知る者は、少なくはないが、決して多くもなかった。ただ、その日、大きなことが起きていた。雨がしとどと降る明け方に気高い風が、あらゆる暗雲を吹き飛ばしていった。それだけが事実であった。

 そして、ひとりの男が華美な椅子から姿を消した。生きながら死ぬ、男が生まれた。その椅子の傍らにいつもいた、誰も知らない存在もまた、姿を消した。けれども、その存在は……消えたことすら曖昧であった。

 少年が夢を叶えた。そのために、幾人かが舞台を降りた。それだけの、そう、それだけの話であった。






▼夜明けのディヴェルティメント

「ジョルノ、これを見てくれないか。」
「? ……写真立てですか。随分と……古いもののようですが。」

 ポルナレフがデスクの上からジョルノを呼んだ。違う箱を漁っていたミスタ、それとトリッシュも、釣られるようにして視線を寄越す。
 場所はとあるホテルの一室。ちょうど、ジョルノたちが勝利を収めた日から、泊まり人が帰ってこなかった部屋である。その部屋の壁にはジョルノやブチャラティをはじめとした面々や、対峙した暗殺チームの写真や資料がびっしりと貼られていた。残された資料はどこを見てもパッショーネにまつわる内容が詳細に記されており、この部屋にいた人物が誰であったかを明確に伝えた。
 ギャング・スターという夢を叶えることとなったジョルノ。その下につくことにしたミスタたちは、ひとまずのところ、パッショーネの内状を知る必要があった。そのため、前任のボスであったディアボロが潜んでいた場所をこうして探し出し、その資料を丁寧に読み込んでいたのだ。

 そんな折、亀の中に魂を置くポルナレフが見つめていた資料の影に、ひっそりと写真立てが伏せられていた。どうにか表を返してみても、そこには何も写っていない。いや、正確には中の写真が裏返しに収められていたのだ。実態のない姿ではどうすることもできず、ポルナレフがジョルノを呼んだ。
 白いだけの写真には、小さく、文字が書かれている。木の枠で大半が隠れてしまい、読むことができないそれに興味をそそられて、ジョルノは蓋を外した。

「これは……。」

 同じように写真が気になったミスタとトリッシュも、ジョルノの背後から覗き込み目を丸くした。続いてみたポルナレフも、同じようにしながら、まじまじとその写真を見ていた。
 写真に写っていたのは、紫の髪の人物であった。カメラを向いて、随分と嬉しそうにしている。少年か少女かの区別ができないほど柔らかに光を背負っている。彼、あるいは彼女の背後には美しい海が広がっており、ジョルノたちにはそれが見覚えのある海だと気がついた。

「サルディニアの……? ということは、これは、ディアボロの?」
「あれほど過去を嫌っていた男が、自身の写真を残すとは思えんが……。」
「違うわ、これは、あいつじゃあない……。」

 サルディニアの海を背に笑うその人が一体誰なのか。ここにいる誰もが、名前さえ知らなかった。ふと、ポルナレフが、自分が敗北したコロッセオのことを思い出す。

「いや、まて、その髪の色は……そうだ、あの男の半身……! あの時私は君たちに言ったな、そしてジョルノ、君が見抜いた。ディアボロは二重人格で、だから、魂の移動が自由に行えたと。それで、そうだ。この……少年は、あの男のもう半分だ!」
「半身? ……たしか、ちょっと待ってください……あった、この資料。唯一、ボスからの指令が別だったんです。見てください、この人物が、ほかの幹部に情報を伝達していた。ペリーコロさんにもです。」

 ぺらりとジョルノがいくつかの書類を取り出した。そこに踊る文字は無機質なゴシック体であったが、それだけが注意深く扱われていたことだけはよくわかる。そして、その事実に驚きの声を出しながらミスタが写真をもう一度食い入るように見た。

「ってことはよ、この、虫も殺せなさそーな顔のやつもボスだったってことかぁ?」
「少なくともディアボロの側近として働いていた。わたしがディアボロを近づけてしまったのも、その少年の姿を借りていたからだ……。」
「あぁ、ポルナレフさん、そんなことも言ってたな、そういや。」

 へぇ、とかなり古い写真の中で笑う存在に感心の声を漏らす。ふと、ポルナレフが写真の裏側に目を留める。ジョルノもそういえばと、ミスタの手から写真を受けとり裏を返した。

「……Repose del mio.」
「この字、まさか……。」

 女が書くにしては、あまりに角ばった神経質そうな字。すでに年月とともに色あせている文字は、唯一残された筆跡であった。書かれた一文の上に、うっすらと消した跡が残っている。ジョルノが注意深くその文字を拾い上げ、ぽつりと呟いた。

「アンナへ。」

 資料と合致しない名前ではあったが、彼らにはすんなりと理解できた。あれだけ、執拗に過去を消した男だ。そして写真の中で何も知らない無垢な顔をしている少年はその片割れであるのだから、当然、資料にあるのが偽りの名なのだろうと納得がいく。

「……それって、女の名前じゃねぇか? まさか、性別まで変えれるなんて言わねぇよな。」
「さぁ。そうでも、ディアボロには謎が多いですからね。魂を二つ持っていた時点で、普通とは違うと考えるべきでしょう。どのみち、もういないんです。確かめるすべもありませんよ。」
「それも、そう、だな。」

 今一度、ジョルノが写真をみた。少女なのか、少年なのか。彼には判別ができなかったが、その顔が安心しきっていることだけはわかる。果たして、誰がこの写真を撮ったのだろう。果たして、この子はどこへいってしまったのだろう。
 そこまで考えて、窓から風が吹き込んだ。

「トリッシュ、これは貴女に。」
「え? ……でも。」
「好きにしたらいい。捨てるにしても、僕より……君の方がいいだろうから。」
「……そう。」

 手渡された写真を、トリッシュはじっと見ていた。ぴちゅりと爽やかな鳥の声。いくらかの紙が室内でまい上げられ、ミスタがああと声を漏らす。ポルナレフは何事か考えているような表情で、ジョルノはといえば、ふと外を見た。

「……あぁ。」

 ちょうど、空から天国の梯子が降りてきた。イタリアの、美しい空。誰かがあの梯子を登っていったのだろうか。いつか、誰からか聞いた話に想いを乗せる。もしかすると、紫の少年かもしれない。はたまた、少女だったのだろうか。どちらにせよ、そんなことを考えながら外を見た。そして、仲間たちが逝ってしまったその向こうを見ようとするように、黄金は目を細めるのであった。



Repose del mio=私の安息

mae  tugi
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