ばらばらのしゃんばら
いのちのおと///

「な……。」

ディアボロは、困惑していた。殺されそうになったことにでも、目の前の女が手を差し伸べていることにでもなく、彼女の言葉にだった。
女はたしかに、自分のことを”私たちのボス”と呼んだ。しかし、ここはどことも知れぬ摩天楼の狭間。少なくとも、もっと美しい海と景観で人々の心を捉えてやまない故郷のイタリアではないことは間違いがない。そんな異国の地で、彼女は的確に己の呼び名を告げたのだ。

すでに奪われて久しい名を。

「なぜ、俺のことを……。」
「それについてもちゃんとお話しますよ。ささ、こんな薄汚い場所でなく、ちゃんとしたところに参りましょうよ、ね? 美味しいお食事も気持ちいいお風呂も穏やかで心地よいベッドだって用意してありますから。」

強引に掴まれた手をつい弾いてしまうのも仕方がないことだろう。近寄る人間は自分を殺す。近寄らなくとも間接的に自分を殺す。関わる全てが狂気で、命を刈り取ろうとする。そんな時間に身を置き続けているのだから、近寄られると怯えるのは仕方がないことだ。
例えそれが、かつての栄光を失ったみすぼらしい姿であろうと、それが今の彼なのだから。

「……信用してくださいとはいいませんよ?」
「あ、あぁ、いや、だが……。」

かといって、一歩も動くことができず、ただ立ち尽くすだけのディアボロに女は苦笑するばかりである。
だが、彼女にも非はある。それにいち早く気がついた、彼女の”相棒”がそっと伝えた。

「あ、なぁるほど。見ず知らずの人間が相手では確かに困惑するわね……。」

伝えられた内容に納得が言った様子で、彼女は改めて名乗った。

「私は恵乃です、ボス。貴方のことは相棒から多少聞いてるの。だから、えぇっと、安心して、付いてきて……くれませんか?ね。」
「…………下手な敬語ならいっそ不要だ。」

ボスことディアボロはといえば、このまま一歩も動きたくなかった。動けば、動くだけ、また新しい凶器が現れると知っているからだ。だが、目の前の女……恵乃も譲る気はないらしい。それに、ディアボロとて恵乃がなぜ自分を知っているのかを聞きたくないわけではないのだ。
こうしていても埒があかない。渋々といった様子で、ディアボロは一歩、恵乃に近寄った。

「守ってくれるんだな?」
「Si、期待してくれてもいいわ。」

さぁ、お手をどうぞ、と恵乃が手を差し出す。エスコートの真似事という様子で、どこか楽しげである。
はぁ、とため息をついてしまったディアボロは、どうせ死ぬのだし、そうであっても死にはしないと矛盾しているがいつもどおりの現象を思い返す。そのうちに段々と投げやりな気持ちに支配され、手を重ねた。

「……遠いのか。」
「ちょっとばかし歩くわね。」

かつりと音を立てて足を踏み出して数歩。あっという間に暗がりから抜け出して、ディアボロは目眩がする思いだった。
路地から抜けても、変わらずビルがあちこちにそびえ立っている。あまりに巨大な森の中のようだが、足元の黒々としたアスファルトは人工物そのものだった。
恵乃に手を引かれて歩く、やけに露出の激しい男にいくらか残る通行人が視線をよこす。車の往来は多くはないが、ゼロではない。時々吹く風はビルの間を抜ける瞬間、時折暴力的であった。
先ほどいた路地からすぐそばの横断歩道で立ち止まる。奇異の目が気にならないわけではないが、どうせ直ぐに誰もが自分を忘れるのだと知っているディアボロは気にすることをやめた。
赤が青に変わり、恵乃が白線に足を伸ばす。ふと、道路に足がすくんだ男は声をかけた。

「おい、言っておくぞ。」
「なにかしら。」

振り向きもせず言葉を返す恵乃だったが、未だ立ち止まっているディアボロに首をかしげながら振り返る。さぁいこう、と少し力を込めて手を引かれ、彼もすらりと長い足で白線を踏んだ。
一本、二本、と白線を踏む。信号はまだ青いライトを光らせているが、視界の端で目もくらむような白が動いた。

「俺は……」

三本、四本。白線を半分ほど跨いだとき、恵乃もようやく気がついた。きぃぃと甲高い音を鳴らして、二人へ車が向かってくる。ヘッドライトの眩しさに恵乃は顔をしかめたが、ディアボロはため息混じりに目を閉じかけていた。
スリップ音にかき消されるようにしながら、男は「すぐ死ぬ」と告げたつもりだった。そしてそれが別れの合図となり、自身の体は言い表しようのない苦痛とともに引き裂かれる、はずだった。

「やぁね、ボスったら。」

急に静かに感じられた。女の、高いが落ち着いた声だけが聞き取れる。
閉じかけていた視界の中で、恵乃は実に俊敏に動いた。
繋いだ手を引いて、ディアボロを背に庇いようにしながら、殺意持つ鉄の塊と向き合う。
なんてことはないようにその右手で拳を作り、今まさに轢き殺そうとする車に向かって、振り下ろした。
その瞬間、彼女の体からぶれるようにして、透き通った何かが現れたのを彼だけが見ていた。
轟音が鳴り響く。突っ込んできた車体もろとも地面をまで粉砕した女は慣らすようにして右手を振りながら、ディアボロを振り返った。
破壊された車に乗っていた見知らぬ誰かは、その圧倒的な力で息絶えている。

「私、約束は守る女よ?」

火を噴きあげる車を背にする恵乃は微笑む。誰が死のうと関係ないような顔である。
その隣に立つ彼女の半身と未だ理解しきれぬ現状に、ディアボロは目を丸くするばかりであった。

mae  tugi
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