ばらばらのしゃんばら
おわりはない///

 それは、イタリア旅行に行ったときのことだった。

 かの有名なコロッセオを見に来て、ふと、ノイズ混じりのその存在に気がついた。ぼんやりとした輪郭に、生気の感じられない様相。まちがいない。彼は死んだ存在だった。

「誰か捜しているの?」
「え?」

 きょろきょろと周囲を見渡しては、時折落胆の色を見せる彼。青年と呼ぶには少し幼さがあるので、少年と呼ぶことにしよう。名も知らぬ不鮮明の少年は人混みを抜けて暗がりでしゃがみ込んだ。
 関わるとろくなことにならないだろうと思いながら、気がつけばなぜか話しかけていた。隣に同じようにしゃがみ込んで、同じように通りに目を向ける。通り過ぎていく人々が興味深げな視線をくれることがあったが。
 話しかけられた少年はぱちくりと瞬きをした。男の子にしては大きくてかわいらしい目だ。哀愁さえも味方にしている。そばかすの目立つ頬は、むしろ愛らしさを強調していた。

「僕が見えるんですか?」
「うん。君みたいなのを昔からみるタイプなの。」
「・・・は、初めてです。僕、初めて、あ、えーっと、こうなってから。」
「うん、そうみたいだね。」

 嬉しさと興奮のせいで言葉がしどろもどろになる少年に、くすりと笑いを向ける。じりじりと赤くなった顔に、ああ、なんで君は死んでしまったのかと問いかける。
 別に放っておけばいいものを、どうしてだか今日は気にかけてしまう日だった。

「ううん、なんていえばいいんだろう。その、体が・・・体が死人と入れ替わってしまって。」
「はぁ、死人と。」
「う、うん。それで、そのまま、僕も死んだ・・・のかなぁ。」
「そうみたいだね。」

 にわかには信じがたいことを聞かされた気がする。曰く、魂だけの入れ替わりという大事件が起きたらしい。そして、そのとき、彼は不幸にも死人の体に定着させられたとか。そして、エネルギーの切れた冷たい体の中で、体の死に連れて行かれてしまった、と。
 本当にありえないことである。だが、誰かはいうではないか。人の頭で考えうるすべての事象は起こりうると。
 事実、その話にどことなくぴんとくるものがひとつだけある。超常現象なぞ、探せばこの世界には山ほどあるのだ。

「でも、不思議だね。体の死に連れられて死んでしまったなら、普通なら消えてしまうだろうに。」
「あ、そういえば、そうですね。」

 また憂いた目をして通りをみていた少年の横顔を眺めながら投げかける。恐らく彼はちょっとしたイレギュラー。あるいはちょっとした、不可思議の固まりに違いない。
 どちらかといえば平穏と安寧を求めている私ではあるが、時折には好奇心に捕まってしまう。退屈は人を殺すのだから、たまにはこうでなければならないのだと自分に言い聞かせて。

「未練でもあった?」
「・・・まぁ。」

 何とも歯切れの悪い返答だった。とたんに悲哀を強める彼の背中をゆるゆるとなでる。どうしてか、ついついかまいたくなる何かが少年にはあるのだ。これは人として当然の感情であって、断じてショタコンではない。

「誰か、探してるでしょ。」

 そこでようやく、少年は私に目を向けた。どうしてと問いかけるようでいて、それ以上聞くなという警戒をちらつかせている。
 幽霊とはかくも面倒な存在である。大半が多大なる秘密と感情が混沌とした不安定極まりないやつらで、時として実に暴力的。大半が干渉する力を持たないくせに、己のフィールドである精神領域においては無類の強さを誇るアンバランスの象徴だ。
 挙げ句の果てに一人一人が異なる性質をもち、人であった以上は同一個体はない。そうとなれば、幽霊と呼ばれる彼らであっても対応は人にするそれと同じでなければならない。なにがいいたいかといえば、人付き合いと同じで至極面倒くさいのだ。
 いや、下手をすれば、こちらの精神あるいは魂といった無防備で不可視の領域をぐちゃぐちゃにしかねない力を備えている。そういった点では、人間よりもおっかない。

 だから普段、関わることはないのだが、今日はついかまいたくなったのだ。それが哀れに見える少年だからというわけではなくて。

「そんな怖い顔、しないでいいよ。詮索しにきたわけじゃあないの。」
「・・・そう、ですか。ごめんなさい、つい、どうしても・・・癖で。」
「癖。癖かぁ。詮索されたら困るような秘密と生きているっていうことかな。そう、きっとそれが未練かな。そしてそれは、君の探し人と密接なんだね。」
「はい。僕の、たった一人の人なんです。あの人のためなら、本当に死んだってよかった。ただ、ちょっぴり、寂しいだけなんですよ。」

 実に悲しい顔をする。想い人と呼ぶには生ぬるい忠誠が見て取れる。一体どんな強烈な人に、その意識を奪われ続けているのだろうか。漠然とした興味が沸いてしまった。
 イタリアのなれぬ土地で、私だけが見慣れた存在に出会ったのが、そもそもの間違い立ったのだろう。だから、こんなにも心が乱されて、正常じゃないんだといいわけをしながら。
 だって、仕方がないじゃあないか。見ろよ、この無垢を体現したような少年の、思慕にも似た狂おしいまでの哀愁を。その奥に潜む、純潔とは正反対の暗闇を。まるでアンバランス。まるで狂気的。だからこそ、愛らしくて興味深いじゃあないか。こんな珍しい存在をみすみす見逃す手はない。

「名も知らぬ不透明な少年君。」
「はい?」
「君はここから動けないんでしょう。」
「ああ、本当に詳しいんですね。そうんですよ。コロッセオの周辺にしか行けなくって。」
「だろうね。うん、じゃあ、連れていってあげるよ。」
「え?」

 彼からしたら、ずいぶんと胡散臭い笑顔が見えるんだろうな。心底驚いたように目を丸くする少年に、私は決意とともに手を差し出す。取るか取らないかは君次第だといいながらも結果の見えているものだ。

「でも、条件があるんだ。それを守ってくれるなら、私は君の行きたいところすべてに足を運んであげる。君が探している誰かを探してあげる。」
「それは・・・。いや、でも。」

 ところで、純真な少年が魂を売るのは神か悪魔と相場が決まっている。彼は彼にとっての唯一を信望しているけれど、それはきっと、神のふりをした悪魔に違いない。本当に神様ならば少年は今頃こんなところにいないだろうし、あんなにどすぐろいくらい目はしないだろう。
 そして私は、決して聖人にはなれない。とっくに手は汚れきっているしそれが心地いいのだから手遅れだ。それでも少年に、努めて優しく微笑みかけては手を差し出すのだ。この手は、そして自分のためである。

「条件を気にしてる?それはね、私の体にとりついてもらうことと、主導権は私っていう二点かな。」
「へ?」
「君が私の体に住んでくれれば、ほかの有象無象が近寄ってこなくなるはずなのよ。これが結構面倒くさくてさ。とりつかれやすいっていうか。」

 恨みを買いやすいからしかたがないんだけど。という言葉はさすがに飲み込んだ。ほら、あの瞳をよくご覧になって。ゆらゆら波打つ眼球のその上辺を。あと一息で、私は安心を手に入れられる。ああ、笑みが深くなっちゃうな。
 さぁ、少年。口にするといい。君がそんなになっても望むものを。そしてよく聞くといい。強固な警戒をも打ち砕く誘惑の言葉を。

「そ、それで、代わりにボスを探してくれるん、ですか?どこに、どこに次、現れるかも、わからないボスのことを。」

 やだな、ついつい、笑ってしまうよ。まるですがりつくような可愛い姿に。手をさしのべたくなっちゃうじゃあないか。そう、これはささやかな、愛情さ。
 ああ、これだから、関わることをやめられない。

「そう。君がボスに会える日まで、探してあげるよ。」

 さぁ、ほら、可愛い少年。私と契約しよう。





 きっと私は、運命とやらに連れてこられたんだろう。そうでなきゃ見てわかるやっかいごとに首を突っ込むはずがないのだ。そうでなきゃ、こんな出会いもなかったろうな。

 一瞬触れた手。ひやりとした感触。すぐに、彼はとろりと姿が消えてしまった。それから、声がする。

「ああ、こうなるんですね。」
「私の中はどんな感じ?」
「んっと、視界は良好ですよ。」
「そうみたいだね。さ、行こうか。もうここには用はないでしょ。」

 頭の奥にひとり飼う気分はどうだい。なんて、誰かに笑いかけられた気がするよ。ああ、ようこそ私の可愛い相棒よ。そしてこれから、よろしく頼むよ、愛しい少年。



mae  tugi
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