ばらばらのしゃんばら
えいえんまで///


 シャワーの音。ほどよく温かい水に、ようやく、息をつけた。縁にくるりと丸められたタオルに頭をのせて、長い髪を洗われる。それくらいできると言いたかったが、彼女が頑として譲らなかったのだ。
 狭いからと浴槽に放り込まれ、その瞬間に沈みかけたが、そこは恵乃のスタンドが支えてくれたおかげで無事に済んだ。その時にちらりとそのスタンドの全体を見ようと思ったのだが、腕以外の部分を確認することができなかった。その腕には鈍く光る甲冑のようなものが見えたが、それがまた随分と堅いようで、近接においては相当な力を持っているのだろうとアタリをつける。
 随分と長いこと肩に力が入ったままだったのか、お湯に浸かれど浸かれど疲労による肩の重みがなくならない。わしゃわしゃと髪を白く覆っていたシャンプーの泡が流されていく。あまりされたことがない感覚に、知らず知らずのうちに目を細めた。

「痒いところは?」
「……特には。」
「そう、じゃあ……トリートメントにしておくわね。」

 ふわりと漂ってきたのは花のような甘い匂いだった。いつか使っていた洗髪剤がどんなものだったかも覚えていない。そもそも、だんだんと人と会うこともなくなってしまい、あまり頓着していなかったように思う。
 するすると毛先になじませるように触れられている。頭皮にあまりつかないようにしながらも、絡まりが解けるようにと手で優しく梳かれる。二度三度と往復して、あらかたの引っ掛かりがなくなり、恵乃は手を洗う。

「薔薇の匂いは嫌いだった?」
「いや……別に、なんでもいい。」
「そ。じゃあ、数分このままね。お水とか持って来た方がいい?」
「……いや。」

 そうか、ほんのりと香っていたのは薔薇だったのかと。湯気とともにあたりに立ち込める、どこか人工的なその匂いを吸い込んだ。女物なのだろう。あまり慣れないが、別段、嫌悪するほどきつくもないそれが、何となく懐かしいような気がした。
 少しだけ重く感じる首を、髪が浴槽に入らないように気をつけながら持ち上げる。背後では恵乃が自分の髪を洗っている音がする。この至近距離で、お互い何も思わないのもなかなかなことである。片手で髪を高く抑えながら、首を傾ける。肩もだったが首も相当に凝っているようで、ごきりと嫌な音がした。
 少しだけ深く体を沈め、肩周りを温める。お湯の、わずかな水圧が殺意をもたないことに安堵した。長く息を吐いたところで、きゅっと栓を回す音。シャワーの音が小さくなる。

「肩こり?」
「不本意だがな。」
「死後硬直みたいなものかしらね。死んでないけど。」
「……あぁ、だが死んだ。」
「本当に不思議よね。はい、頭ちょっと貸して。洗っちゃうわ。」

 ふと、いくつかの死んだ時のことを思い出した。体を裂かれたときもあったし、首が落ちたこともあった。言われたとおりに浴槽のヘリに頭をあずけながら、喉元を裂かれた時を思い出して、少しげんなりとした。

「ねぇ、これ、地毛なの?」
「……いや。染めてる。」
「豹みたいな斑、かっこいいわね。」

 僅かに白濁した水が流れていっているのだろう。トリートメントでねっとりとしていた髪がすっかりといい手触りになる。恵乃は満足そうに撫でながら薬剤を洗い落とす。徐々にしっとりとした髪が艶やかに光を返し、すっかりと滑りけがなくなったところでシャワーを止めた。

「はい、これでおしまいですよ、ボス!」
「あぁすまんなドッピ、オ……。」

 声をかけられ、するりと返事が返される。はっとして口をおおうが、すでにでた言葉が戻るわけでもない。つい、聴き慣れた声に聞こえてしまったのだ。そんなことがあるはずはないと分かっていても。あの日、はぐれたきりで。それからゆっくりと思い出すこともなかったなと感傷的になる。
 気まずそうに顔をしかめる様子を見ながら、恵乃は見えないところでひっそりと笑う。それから、ちょっと待っててねとひとことのこして、浴室から出たのだった。




「良かったわね、忘れられているわけじゃあないみたいよ。」

 タオル一枚という格好で、コップに冷水を注ぐ。くいっと一杯を飲み干して、違うグラスにもういっぱい注ぎ入れた。
 独り言のようにつぶやかれた言葉に返事をする人間がいるわけではない。それでも恵乃はゆるく笑ったまま続けるのだ。

「だから言ったじゃない。もう。あの様子じゃ、結構おセンチみたいだし、直接行けば?」

 まるで電話でもしているかのように、問いかける。しかしその手には何もないし、キッチンに電話はおいていない。せいぜい今、手元にあるのは二つのグラスだけ。
 彼は必要ないと言ったが、念のために水分くらい摂っておいたほうがいいだろうと判断してのことだった。なんせ、ディアボロは非常によく死ぬ。
 渡す予定のグラスを手にしながら、恵乃は困ったように笑いながら告げる。

「喜ぶと思うんだけどなぁ。私はまだ会ったばかりでしょう?警戒していないわけじゃあないと思うの。だから、代わりに行ってくれれば、ボスのためにもなると思うのよ。それに、ほら、君が行かなかったのは怖かったからでしょ? なぁんにも、気にすることないって、わかったじゃない。安心して行ってきなさいよ。貸してあげるから。」

 ひたひたと幾らかの水滴を床に残しながら、恵乃は風呂場へと戻る。どこまでも渋る誰かに、彼女もだんだんと呆れてくる。そして、とうとう、強硬手段を使うことにした。
 ため息をつきながら目を閉じる。その目がゆるりと色を変えたのを鏡は映していた。目を閉じる。瞬きの間に、それは行われていた。

「わ、わぁああ!? なんでそうやって、強引に!」

 かっと見開いた先、鏡に映っていたのは少年だった。紫色の髪が特徴的な彼は、グラスを片手に困り顔で抗議する。恵乃は涼しい声で、それを聞き流すのであった。

mae  tugi
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