甘い死に歌
甘い死に歌13///
日が暮れてきた。立派なコンクリートで固められた、およそ景観をぶち壊す無粋なビルの中からチョコラータとリゾットはその外を眺めている。
ベッドサイド。昏昏と眠り続けたままの二人の男のうちの片割れ、ソルベがそこで眠っていた。傷まみれでいまだ完治には程遠い身体のままの彼らは、安静にさせられて長い期間がたった今でも不規則な覚醒と休息を繰り返していた。
その面倒を毎日飽きもせずに見ているのはやはりリゾットである。彼は今日も担当医であり上司であるチョコラータの手を煩わせ、機嫌を損ねまいと日々気苦労が絶えない。
この高いビルはパッショーネが所有する建物で、堅牢に固められたコンクリートには誰も知らぬまま死んだ無数の死人が埋められている。
死体と血と石灰で建てられた呪われた檻の中。そこがチョコラータにはどこよりも住み慣れて居心地のいい住居である。このビルの上層の階はチョコラータに与えられており、そこで不自由ない暮らしを続けてはや数年が経とうとしていた。
直下の階にはチョコラータが診察や治療を行うために取り揃えられた施設が存在し、医療機関へは足を運びにくい面々や、表沙汰にするには少々厄介な事情を持ったけが人、そして彼女によって”荒療治”を施される組織を逸脱した者がよく運ばれてくる。
リゾットにとっては居心地の悪い部屋。だがチョコラータには心底落ち着ける白亜の部屋だった。
「なんで俺がここにいるのか、わからないお前じゃないだろう。」
外を見たままだった黒い目をチョコラータへと移した。女のその翡翠と呼ぶには澱んだ色の瞳は外を眺めたままである。ぱくりと応えるために開かれた口の中の赤い色だけがリゾットの全身において唯一鮮やかな色彩として映えた。
「……お前は、組織に組み込まれたが組み込まれていない。」
「あぁ。」
「いわば部外者のままだ。俺たちとは一線を画している。だが、踏み越えすぎた。」
「そのとおり。」
満足そうに女は笑った。
「俺は医者だ。親衛隊と名を連ねていても、結局扱いは医者で、お前らのような兵士じゃあない。それはあのボスも同じことだ。兵隊にはならず、だが兵隊を扱い、時にお前らよりも残忍にためらいなく人を殺す。それを評価されている。」
なんともひどい話だろう。チョコラータが嘲笑った。
医者でありながら医者ではない。この女は誰よりもなによりも、人殺しに過ぎない。そこにちょっとばかしの器用さがあるばかりの、殺人鬼だ。己の快楽のためにあらゆる生命を踏みにじることを好む。
唾棄されるべき存在。だからこそ、怨嗟の呪詛が塗り込められた牢獄に追い込まれたのだ。まるで清廉潔白を示すかのような白衣を纏ったままで。
己よりも遥かに”酷い”存在だ。リゾットは思う。
少なくとも……例えばそれが言い訳にしかならないような理由であったとしても…… それなりの事情を抱えて身をやつした自分たち。あるいは捨て去ることのできない人としての尊厳やそういった矜持を秘めたまま生き続けている自分たちとははるかにかけ離れている。
事実だけを見ればやっていることは変わらないのだが、だがかけ離れた存在だとリゾットたちは彼女を見ていた。
「納得がいかないだろうなぁ、お前には。」
見透かしたようなその瞳。その澱んだ色は狂気を灯し続けて、人々を陥れていくというのに。一体どれほどの人間がこの女の、まっすぐに深淵を覗き込みすぎた狂った瞳に見つめられながら弄ばれたことかと考えさせる目。犠牲者の数を考えるだけで、ぞっと鳥肌が立つようなチョコラータの瞳。
その目がぎょろりとこちらを向いた。
「……納得、とは」
「そのまんまの意味だよ。私とお前たちのやってることにかわりはあるか?」
なにを。
声が上ずりかけるのを、何も思っちゃいないような顔で飲み込んだ。この女はいつもこうだ。ちょうど考えていたことをぴったりと当ててくるし、よりによって一番答えにくいことをずけずけと聞いてくる。だから、そういうところがなによりも嫌いだった。
質問に答える代わりにリゾットは沈黙を返す。
無い。
あるはずがないのだ。
どちらもただの、人殺し。
チョコラータとリゾット。あるいは親衛隊たちと暗殺チーム。やっていることに違いがあるはずもない。
だがそこについてきた結末はこうもことなる。その理由がわかるようで、しかしわからない。結局、納得の行かない行き場のない感情だけが湧き上がってはくすぶり続けている。それはかつてもいまも、大差はない。つまり。
納得などできうるはずがなかったのだ。
ぎちりと奥歯が音を鳴らした。あまり噛み締めるなとチョコラータの白い手がリゾットの頬を撫でた。
「だから、お前は飼い殺されるんだろう」
その手をリゾットが叩き落としながら首を振った。そしてそうだろう、とその黒々とした瞳をまっすぐに向ける。
チョコラータの目が僅かに開かれた。にまにまと三日月のように弧を描く口元はいつもと変わりがなかったが。
白い塔。まるで幽閉塔のようにそびえるこのビルに押し込められている彼女のことをリゾットは罪人とも思った。あるいはただの怪物だとも思っていた。少なくとも自分たちとはまるで違う気の狂った化物だと信じて疑わない。
それは彼女も同じことだった。
まっすぐに自分を射抜く力強い目。空洞のようで、しかしオニキスのようにきらきらと輝く漆黒の宝石。そんな目をもつ無数の怪物。あるいはヒュドラのような、頭を九つ携えた一つの化物。人の命を喰らい咀嚼し、我が身に変えながらもそれを誇り高いと吼え讃える彼らのことを到底理解の及ばぬ存在だと思っていた。
だからこそ鎖に繋がれる。その長い首に噛み付かれては痛くてたまらないから、と。
チョコラータはいつも思う。
そして、やはりそうであるからこそ、この男たちのことが可愛くて仕方がないのだ、と。
「いいや、それはお前だリゾット。」
確信を持った声でチョコラータは答えた。
「矜持なんざ、誇りなんざとっとと捨てちまえばいいのに、お前たちは捨てられない。暗殺者だからころ命に高値を付けずにはいられない。俺と違って、お前たちは俺たちがとうに捨てたものをいつまでも捨てられない。捨てたその日、お前たちはお前たちの価値を見失ってしまうから」
だからお前たちは都合よく首輪をかけられる。
だからお前たちはそこから逃げられない。
だからお前たちは俺とともにはいられない。
だからお前たちはいつか殺される。
「かなしい話だなぁ? その結果に待ってるのは結局、俺もお前もあいつらも、死ぬという運命だけだ」
ただ少し、違うものがあるとしたら。どう戦ったか、だけだなんて。
彼女は思わず笑ってしまう。どうせ死ぬだけという事実にかわりはないのに、人びとはなぜこうも、その理由を求めたがるのか、と。
無数の命を食いつぶして食いつぶして食いつぶして。いくつもの体を刻んで刻んで解体して解体して、そのすみずみまでを調べても、人の身体に違いなどなかったのに。
全く同じような姿かたちをしてもなお、人と人はまるで違うものを求めている。
まるでいまここにいる、ひとりとひとりのように。まるで分かり合えない。
「……なぜそんな話を」
それ始めた話を戻そうとしたのか。それとも、たんに興味がない話だったからかは分からないがリゾットがそう口にする。
にまにまといつもどおりに笑ってるはずの女の笑い顔になにか焦燥の色を見出してしまったからだろうか。それとも、その女の目が一瞬、澄んだ色に錯覚してしまったせいだろうか。いつもであれば延々と好きなだけ喋らせておくというのに、今日は思わず口を挟んだ。その理由はおそらく、本人ですらわからないだろう。
「あぁ、まぁなんだ… ボスの忠告は聞くものだぜ? おっと、ボスとは言わねぇか、リーダーか? だがそれはお前の役割だしなぁ… 大ボスとは違うが、俺のこともボスだと思ってくれてるんだろ、リゾットよぉ。」
「……まぁ、役割でいえば確かにお前はそう呼ばれるだろうな」
「ならそういうことだ」
「忠告のつもりなのか?あれが?」
「そういうなよ、Gattina mia」
「だれがお前のだだれが」
そらみろ、鳥肌がたった。真顔だったリゾットが思わず顔をしかめる。冗談だ、とけらけらと笑う女はまるでいつもどおりだ。
さっきのは与太話か、それともちょっとしたからかいだったのか。気にするだけ無駄だったな、と思いながらリゾットはそろそろ帰るかとチョコラータに背を向けた。
「耐えろよ」
すれ違いざまに一言。確かにいま。それなりに聴き慣れてしまったチョコラータの声がそう告げた。
何を、と振り返ったところで外を見たままのチョコラータに真意を問うことは叶わなかった。
mae ◎ tugi