帝王の花冠
君に捧ぐネリネの色を///

 人ならざる存在は、永遠の命を得た。いつまでたっても、その髪も目も、何もかもが若々しいまま保たれている。対して、彼と夢のひとときを共にする彼女は人だった。
 ディオは彼女がいつか夢の世界から去っていくだろうと思っていたが、彼女はそうはしなかった。彼女の人生がどれだけ進もうと、白花はディオのそばから離れることはしなかった。

 ディオが深海で眠ってからすでに数十年が経過する。すでに外の世界では、彼の知らないものが無限に生まれては去っていった。
 その時間の流れは白花にものしかかっていた。

「……白花。」
「あら、ディオ。」

 うたた寝をしているのだろう。白花はソファにゆったりと腰掛けて、まどろんでいた。声をかければ、彼女は目を開く。黒が美しかった髪もすっかりと色が落ちた。きらきらと輝く瞳は相変わらずではあるが、こげ茶だと彼が思っていた瞳は白い宝石のような不思議な光彩を放っていた。

 ディオが彼女足元に膝をつく。するりと彼女の腰元に手を回して、膝の上に頬を乗せた。まるで甘えるようなその姿に白花はふっと笑いながらどうしたの、と声をかけた。

「……別に。」
「そう。」

 黄金色の髪を彼女がそうっと撫でる。目を細めたディオはその手に甘んじている。

「今日ね、」
「あぁ。」
「孫たちが家に来たのよ。教え子たちもみぃんな集まっててね。」
「…あぁ。」

 ディオが白花の手に触れる。シワが刻まれて、随分と細った手だ。自分とは対照的なその手をディオは握ったまま、指先で緩く撫でる。くすぐったいのか白花が笑いを漏らすのを聴きながら、ディオはそれで、といつものように続きを促した。

「ディオってだぁれ、って。孫が聞いてきたのよ。」
「……なに?」

 驚いたという顔でディオが白花を見上げる。

「それで、お前はなんて答えたんだ?」
「……私の大切な人よ、って。」

 きっと寝言で口にしていたのだろうか。それとも、彼女がうっかりと彼のことを話したことがあったのだろうか。どちらにしてもディオに真相はわからない。だが、きっとこれが最初で最後だろう。白花がディオのことを自分の家族や友人に話すことは一度たりともなかった。これからもありえないとふたりともが確信を持っていた。

 白花の回答にまだ幼い少年は納得をしたのだろうか。ディオは一瞬思ったが、彼女が自分のことを大切だと言ってくれたことの方が彼には重要だったため、すぐに忘れてしまった。

「ディオ。」
「なんだ。」

 白花がかさついた手でディオの髪をもう一度撫で付ける。

「もしも、ね。あの子たちがあなたに会うことがあったら、たくさんお話してあげてね。きっと私の子だもの、あなたのお話を好きになる。」
「……あぁ。」

 その場にお前はいないのか、と。ディオは彼女に問うことができなかった。ただ目を伏せて、いつものように任せろとばかりに答えるだけである。

「ディオ。」
「うん?」
「……なんでもないわ、あなた、ふふ… 子供みたい。」
「……馬鹿を言うんじゃあない。」

 女性の膝に頬を寄せて、髪を撫でられるのを心地よさそうにしている大男が文句を言ったところでなんと説得力のないことか。白花はまた笑いながら、彼の髪を撫でていた。ディオがその目を開いて、おもむろに体を起こす。

 起き上がったディオに、きょとんとした目を向ける。さっきとは打って変わって、彼女が彼を見上げることとなった。
 すいっと顔を近づけたディオが白花の唇に触れるだけの口づけをする。驚く程優しい口づけで、白花はまた目を細めて微笑むのだ。

「白花。」
「なぁに。」

 隣に腰掛けたディオが白花の肩にそうっと腕を回す。彼女に負担をかけないように気を遣いながら、抱き寄せてその頬にもう一度口づけた。

「愛してる。」

 白花がぱっと顔を上げる。驚いた顔をしていた。彼女にしてやったとばかりにディオは笑った。彼の目には彼女がいつかの少女に見える。黒い髪がさらりと揺れて、こげ茶色の目元が愛らしい桃色に染まっているのだ。そんな少女にディオはもう一度口づけた。

 いつも彼はそうして触れるばかりのキスをなんども送る。額に、頬に、瞼に、目尻に、口元に、唇に、鼻先に。指先へ、肩へ、手のひらへ、手の甲へ、首へ。それが彼の精一杯の愛情表現であった。だから時折、白花も彼に答えるように口づけた。同じように、触れるだけのキスに、彼は随分と満足そうにしていた。

「ディオ……」

 白花がディオの、瑞々しい唇へ自分から口づける。不意打ちに驚いてディオは身動きがとれなくなる。目を丸くして、顔を染めて笑う白花につられるようにすこしばかり顔に赤みがさす。

「私も、愛してるわ。」

 唇へ、彼女から口づけたのは初めてのことだった。ディオは、これもまた彼らしくなく、だが白花には見慣れた照れくさそうな笑みを零して白花を抱きしめる。彼女の香りを肺いっぱいに吸い込むように息をしながら、ただ静かな夢の時間に耳を傾ける。

「ディオ、」
「……あぁ。もっと、呼んでくれ。」
「ディオ、今日はいつもより、甘えたさんね。」

 緩やかな声が心地よかった。またいつものように彼女はディオの髪に指を滑らせる。額を彼女の肩にぐっと寄せるディオの名を白花はなんども呼ぶ。その度に、ディオは小さく返事を返した。

「ディオ」
「あぁ」

 応えながらきゅっと絡めた指に力を入れる。

「ディオ」

 応えない代わりにゆるやかに口元が弧を描く。

「ディオ」
「…白花」

 応える変わりに名前を読んで、その頭を軽く抱き寄せた。

「ディオ、」
「…白花、」
「ふふ、なぁにディオ」
「…… なんでもない、もっと、呼んでいてくれ」
「えぇ、えぇ…いくらでも呼ぶわ、ディオ」

 その声が、彼を呼ばなくなるその瞬間まで。

「ディオ」

 彼はただの恋をする男として、彼女を抱きしめて笑っていた。




mae  tugi
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