しあわせになりたいわに
エメラルド・シャーベット///

 真っ暗な病室だった、と思う。月明かりが入り込んでいたかもしれないが、ともあれ、そのときは目を塞いでいたために知ることができなかった。光には触れることができないし、同じように、影も触って確かめることなどできないのだから、当然かもしれないが。

 あれは真夜中のことだった。

 体を休めることが大切だとは理解していても、ひとりきりになってしまった病室がどことなく落ち着かず、眠ることができずにいたのだ。
 先のンドゥールとの戦いにおいて目を負傷してしまい、一時的に戦線を離脱することとなった。早く治して、追いかけなければと思いながらも傷が早々簡単に治ってくれるはずもない。
 気持ちだけが先へ先へとせいてしまい、尚の事おとなしく休むことができずにいた。

 さらにここは敵地といってもいいほどDIOの館が近づいてきたエジプト。いつ、どこで、DIOに今の居場所を知られるかもわからない。万が一にも刺客がやってきたら…と警戒を解くこともできないでいた。

 こんなにもひとりでいることが、心落ち着かないなんて。

 思ってもいなかった事態に、体を横にしていても休養とは程遠い。承太郎たちは今、どうしてるだろう? ポルナレフはまた無茶を言っていないだろうか。アブドゥルさんに迷惑をかけてるんじゃないだろうか。ジョセフさんも、頼りにはなるけれど、時々突拍子もないし……

「やぁ、花京院くん。」

 そんな時だった。病室にしらない声が聞こえたのは。

「……どちら様で?」

 当然、敵だとおもった。DIOの刺客に違いないと思った。今ここにいるのは僕だけで、そのぼくは目が見えない状態だ。弱っていると表現しても差し支えがない。ジョースター一行の戦力を削ぐにしたって、今が絶好のチャンスであることには間違いがないのだ。

 だが、ひっかかりを覚えたぼくは、彼にすぐに攻撃をすることはできなかった。
 もちろん、味方の可能性がないわけでもなかったからだとか、いくらでも言いようはあるけれど… 本当の理由は違う。僕の名前を呼んだその人の声に敵意を感じなかったからだ。事務的というわけでもない。友人を呼ぶように親しいわけでもない。だが、明確に、敵でもない気がした。 

 それに、もしかしたら… ひとりで置いてかれたのが、少しだけ寂しかったのかもしれない。ひと月以上も毎日誰かがいたんだ。それが突然、いなくなってしまったのだから… 理由がどうであれ、多少は気が弱るというものだろう。

 病室にはみっちりとハイエロファントの結界を張り詰めていた。だが、彼は、声の主はそのどこにも引っかからなかったようだ。見えているとしか思えない。きっと、スタンド使いなのだろう。もしそうだとしたら… 少し面倒なことになった。
 室内を覆っている結界の糸のどこにも引っかからないなんて、なにか厄介なスタンドを持っているか、本人のポテンシャルが高い可能性がある。僕一人で、どうにかできるだろうか、と少し不安もよぎる。

 だが思えば、この時からぼくは彼のことをどことなく信用していたのかもしれない。そうでなれけば、僕は何故、彼の返事を待ってしまったのか、今一度考え直さなければならないのだから。

「俺は…まぁ、DIO様の下僕だな。一度あったことはあるんだが、覚えてないか?」

 警戒はそのままに彼の返事をまっていたところで、彼はそう答えた。

 やはり、と思いながら、その言い方にひっかかりを覚える。まるで、彼の言い方は「とりあえず部下やってます」とでも言いたげなほどに軽いものだったからだ。まだこれまでに観てきた刺客のほうがきちんとビジネス関係が成り立っていたように思える。ンドゥールなどという熱狂的な信者にも遭遇したばかりで、尚の事、彼のあまり深い思い入れのなさそうな言い方に違和感を覚えたのだ。

「…生憎だが、覚えていないな。あの時は、肉の芽を植えつけられていたし」
「あぁ、あの気持ち悪いうにょうにょ! そうか、覚えてないか。んじゃあ、それでいいさ。ンドゥールに目をやられたと聞いたが、どうだ?調子は?」
「あ、あぁ。治るそうだし、今のところはとくに… まぁ、少し不便だが」
「そっか。そりゃあよかったなァ」

 二三、と話を続けてもその声の主がどんな人物なのかはぴんとこない。あったことがあると彼はいうが、これっぽっちも思い出せない。敢えて言うのなら、タバコを吸っていそうだなとだけ思ったのは、一瞬タバコの匂いがしたからだろう。

 彼はよかったな、と言いながらいつの間にかすぐそばまできていたらしい。あまりにもふつうに… そうだ、あまりにも普通だったんだ。彼は。
 敵かもしれないし味方かも知れないと思わせるそれよりもはるかに、目には見えないが男の振る舞いが普通すぎたのだ。どうりで、すんなりと近くまで寄らせてしまったわけだと今後のそう長くはないだろう旅で一層気を付けようと思いつつ、困惑してしまう。

 心底普通に、まるで知り合いの見舞いに来たかのようなノリで彼は僕に「よかったな」と言った。それが普通のはずなのに、あまりに不釣り合いで… きっと僕の眉間にはシワが寄っていたことだろう。

「お前は…何をしに来たんだ?」
「んん、何をしに、か…単刀直入っていうやつだな。実はな、花京院。俺には与えられていた任務があったんだが無視してしまってな… DIO様曰く、だ」
「は?」

 突然何を言い出すんだこの男。
 おもわず素っ頓狂な声を上げてしまったが、僕は続く言葉に閉口するしかなかった。

「ジョースター一行を殺したらお咎めなしにしてもらえるそうだ」
「!」

 視覚を奪われていることは、代わりにほかの感覚を鋭くさせていたらしい。
 彼が「殺したら」と口にしたその瞬間、静かに流れていた空気がぴりりと張り詰めたのを感じた。油断させるつもりだったのかと冷や汗が流れる。だが、僕は一拍ほど行動が遅れた。この至近距離だ、なにか攻撃を仕掛けられては… もしかすると、命はないかもしれない。

 ハイエロファントグリーンの触腕を男の周囲にぐるりと配置できたのは幸いだった。相手の出方次第では、すぐにでも縛り上げなくては… と、僕にでもどうにかできるだろうことを作戦として組み立てていたところで、彼は気の抜けた声ではぁ〜、とため息をついた。

「…が、しかし。俺はお前と事を構えるつもりはない」
「なに?」

 だからそんなに警戒するなって。
 男がからからと笑ったことが、空気の揺れで感じてとれる。ハイエロファントはそのままに彼がいるであろう方向をじっと見ていれば「無理なんだ」と乾いた笑いを浮かべてるだろう男が続けた。

「ジョースター一行に挑んで勝てるとも思わない。そういう能力じゃねぇからなぁ」
「なら、わざわざこんなところまで何をしに来た?」

 さらに彼がぼそりと、「花京院にだって勝てるか怪しい」とまでいうのだから、彼のスタンドとはどういうものなのだろう。そしてやはり、スタンド使いだったかと思いながら、彼につられるように肩から力が抜ける。
 もしもこれが僕を油断させるための作戦だったのだとしたら、この策は大成功ということになる。だが、やはり、彼にそのつもりはないらしい。

「あー、なんていうか…口添えしてもらいたいんだ、お前に。俺のことはまぁいいんだが…その、俺の好きな女がいてね」
「……はぁ?」

 急に何を言い出すんだ、と思った僕は悪くないだろう。

「彼女、マライアっていうんだけどさ、マライアのこと助けてやって欲しいんだ」
「……なぜ、僕に」
「ん? そりゃあ、お前が今こうやって一人ぼっちでさみしい思いをしてるから、かな。あいつ、ジョセフとアブドゥルに挑んで負けちまったんだよ。それで、まぁ、そっちで保護して欲しいんだ。代わりに、ほれ、おまえにこれやるから」
「……? これ、は…ネックレス、か?」

 いまいち彼の行動や、言い分が理解できなかった僕は間違ってないだろう。というか、だれが対して知りもしない相手の、しかもおそらく敵であろう男の意図することが理解できるというのか。
 そもそも、だ。僕は今戦線を離脱しているわけで、それを理由にするというのもあまり納得がいかない。彼なりの理論あっての結論なのだろうし、予想するに最も手薄な僕に危害を加えないことで敵意がないことの証明にでもしたいのだろうとは思うけれど… それにしたって、彼はあまりに突拍子もないことばかりを言う。
 ポルナレフとか、ジョセフさんみたいなやつだなとどこかで思ったのは間違ってない感想だったのだろう。

 しゃらり、と静かな夜だからこそよく聞こえる細い音がした。僕の右手を彼が掴んで、手のひらを上に出させられる。意外にも男らしいしっかりとした手の感覚に一瞬驚きながらも、手のひらに乗せられた音の正体を探るために指先にあたる感触を確かめる。
 艶やかな触り。冷たく、硬いそれの色はわからなかった。だが、細い細い鎖が、あの繊細な音の正体なのはわかった。小さな石のついたネックレス。なぜそんなものを。
 やはり何を考えているのかわからないやつだなと思いながら答えれば、「あたり」と男が満足そうに言う。
 じつはディオのところからかっぱらったネックレスなんだけど、などと彼が言ったのは聞かなかったことにしよう。

「そう警戒するなって。それは俺のスタンドが憑いてるネックレスだよ」
「なっ!?」

 スタンドがついてる、などといわれておもわず落としそうになる。当たり前だろう。スタンド、といわれて警戒も、驚きもしないスタンド使いがいるのなら是非会ってみたい。きっとそいつは恐ろしく強くて絶対的な自信を持っている…DIOみたいなやつか、今しがた目の前で軽く笑ってそうな雰囲気を持ってりる、恐ろしく愚鈍なやつのどちらかだろう。

「ま、お守りってとこだ。俺のスタンドはそういう能力でね」
「……守護一辺倒、ということか?」
「そゆこと。だから、頼んだぜ、花京院」

 曰く、それがスタンドの要となるらしい。つらつらと男が簡単にネックレスの詳細を語っていく。いまいち、男に対して仲間としての信頼を持つことができない僕に気がついたのか彼は、不安ならあとでジョセフさんやアブドゥルさんに尋ねればいいと言った。明日にでも電話くらいならできるだろうか。連絡手段が全くないわけではない。ありがたく、そうさせてもらおうと思いながらこくりと頷いた。

「お前のことは俺が守ってやるから」

 だからそう気張るなよ、と言いながら彼の手が不意に、僕の頭を撫でていった。突然のことで、またぎくりと身をこわばらせた僕を彼は笑うことはなかったが。

「だから今はゆっくり、休むといいさ」

 おやすみ。
 彼は僕にそう言った。

 高くない、低い男の声だったけれど。対して親しくもなければ、顔もしらない相手だったけれど。誰かにおやすみと言われるのを待っていたのだろうか。するりと肩から余計な力が抜ける気がしたのだ。だって、仕方がないだろう。このひと月あまり、毎日誰かにおやすみといって、おやすみと言葉を返してもらうような、ひとりじゃない日々を送ってしまったのだから。

 気が付けば、すっかりと僕はこの男に対して敵だとは信じられなくなっていた。きっと、彼が敵ではないとどこかで信頼してしまっていたのだろう。浅はかだと思わなくもないが、それでいいと思わせる何かがこの男にはあった気がする。

 そういえば、彼の名前はなんだったろうか。
 ふと思い出したが、すでに彼の気配はなかった。

 ジョセフさんとアブドゥルさんなら知っているかも知れない。次にあった時までにはきっと知れることだろう。あるいは、また本人に聞けばいい。

 また、などと思っている自分に驚きながら、僕はゆっくりと意識を眠りの中に沈めていく。指先でゆるく握ったままのネックレス。その色を見れる日が、どことなく待ち遠しかった。


mae  tugi
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