しあわせになりたいわに
1.鋭い爪では触れられない ///
「マライア」
広間でソファに腰掛けていた俺の前を赤いフードが通り過ぎていく。いつものように、つい目で追いながら声をかけた。立ち止まったマライアが首だけで振り返る。
「……なに?」
さらりと彼女の銀の髪が揺れる。気だるげな目が邪魔をするなと言いたげに睨みつけてきていた。そんなつもりはないと手を顔の前で振れば、ようやく全身で振り返って、話を聞く気になったらしい。
彼女は、つまり女性故になにか小言を言われるのではないかと気を揉んでいたのだろう。
「気をつけろよ。」
俺はただそれだけを言いたかったのだ。一瞬虚を突かれたマライアから張り詰めた空気が損なわれる。いつもどおり、時折一緒にお茶を飲む彼女の雰囲気が帰ってきていた。ずっとそのままだったらいいのになと思いつつ、いやしかし、真剣な空気をまとった彼女もなかなか美人だった。
「あら、心配? 珍しいわね。」
くつくつとマライアの笑い声。大丈夫だと彼女はいう。そんな保証はないというのに、まぁ強気なところも彼女らしいかと諦め半分に息をついた。
「悪いか、俺が心配しちゃあ。」
「別に? ただ、私が負けると思ってるのかと思っただけよ。」
口元で笑っている所を見ると、怒っているわけではないらしい。肩をすくめてみせながらいいや、と首を振った。
「思ってはいない、がな。」
「そ。せいぜい、杞憂だったってあとでがっかりして頂戴。」
満足そうにしながらひらりとマライアが手を振った。背を向ける。俺がそうだな、と返したのを気に留めてもいないんだろう。
すでにタロットの啓示を受けた奴らはほとんどが敗れ去った。ンドゥールさえ敗れている。それを俺はテレンスから聞いていたし、そうでなくとも、館にいればわかることだ。
まったくもって、怒涛の数十日である。
「マライア。」
「なぁによ。」
ふと、忘れていた”土産”を彼女に軽く放り投げた。受け取ったマライアが首をかしげた。
「……何これ?」
「土産だ。」
「そ。」
中身を見ることもなく彼女は礼を述べて去っていった。
結局、マライアは俺のことをまともに見やしない。そりゃあそうだろうな。彼女はDIO様にしか興味はない。
まぁ、プレゼントが捨てられなかっただけ良かったとしようか。きっと彼女はそれを手にしたままジョースター一行のところに行くのだろう。
「気をつけろよ。」
杞憂であるなら本当によかったのだけれども、あいにくと俺は彼女のスタンドがどれほどのものか知らない。バステト女神の名を持つことは知っているが、能力がどんなものかは知らない。強力な能力を持っていることは聞いているし、彼女が勝つことを願ってはいる。
(勝てるとは、思わないな。)
一人になった広間。ふと、もうここに訪れる人間がそう多くはないことに気がついた。マライアが今出て行った。屋敷から遠のいていく気配をぼんやりと感じながら、あと何人が残っているか考える。
デーボたちはもとより、ンドゥールさえもうここには来ない。ヴァニラは何やら落ち着かない様子であるし、テレンスも気を揉んでいることだろう。ペット・ショップの警戒はアリ一匹逃さないとばかりであるし。
そろそろ身の振り方を考えるときに来ているのかもしれない。
マライア。君に上げたのはただの石塊だ。君が中を見ることはないとわかっていたから、ただ使い道もない、赤く綺麗なだけの石を入れた。
人はそれを宝石と呼ぶが、大したものじゃないだろう。本当は、その石を使ったネックレスでも贈れたらよかったのかもしれないが。
「さて、」
そろそろ行こう。アレッシーも出て行った。マライアと共同戦線とは、なかなか羨ましいじゃあないか。
「テレンス、行ってくる。」
「はいはいお気をつけて。」
ひらり。いつものように手を振った。ペット・ショップが俺を見て、きょおんと声を上げた。
mae ◎ tugi