夜の女王
19///


 ノッテが話している間。
 メローネは鯨の声を聴いていた。

 リゾットが、ホルマジオが、イルーゾォが。ノッテに聞きたかったことを口にし、カップから甘いカフェラテをすするノッテがぽつぽつと答えている間のことであった。

 ペッシが窓の外を見た。メローネがずっと外を見ていたからで、そんなペッシをメローネ笑ってみていた。

 鯨の声が聞こえる。歌っているようだった。しかし、イタリアの市街のどこに鯨がいるのだろうか。メローネは鯨の唄を聞きながら、たった一人、鯨を探していた。

 ノッテはメローネに気がついていた。ただ、何も言わなかった。

「それで、ノッテ。」
「うん。」
「お前の能力はどういったものなんだ?」

 リゾットが切り出したのはもっとも気になっている事柄だった。ホルマジオも軽く身を乗り出して、俺も気になっていたんだ、と答える。彼は、つい先日彼女にもたらされた情報によって早く仕事を終えたばかりであった。

 メローネをみていたノッテが天井を見上げる。

「夢をみるだけだよ。」
「……夢?」

 そう、夢。
 ノッテが静かに答えた。

「街の夢をね、見るの。」

 街の夢、とリゾットが繰り返した。概要をつかみきれていない声である。ノッテが珍しく、くすりと笑った。

「夢だけど、夢じゃないの。あれは、うん、夢って呼んでるけどね、記憶だよ。私が見るのは街の記憶なの。支離滅裂でたくさんあるから、それのどれを見るか、選ぶのがすごく大変なんだけどね。」
「……つまり、お前の能力は…… 記憶を読む、ということか。」
「そうだよ。」

 けろりとした顔でノッテは頷く。
 リゾットたちはめまいがする思いだった。彼女の言っていることが正しく全てであれば、彼女の価値は計り知れない。

「……大丈夫なの?」
「なにが?」
「街の記憶って、量、すごそうだけど。」

 イルーゾォが聞く。うん、とノッテが頷いた。

「すごいよ。街ってね、一個の生き物みたいなの。あちこちにたくさんの人がいて、生き物がいて、道があって、壁があって床があって、天井があって家があって、椅子があって机があって、テレビがあって水が流れてて。」

 ぼんやりと宙を見ているノッテは、今しがた見ていた夢を思い返しているようであった。

「その全部に、記憶があるの。今も、どんどん増えてる。終わりがない、たくさんの記憶があって、私はそれを見てるんだけどね。」

 彼らは不思議だった。あまりに多すぎるだろう情報量によって、彼女の精神が崩れてしまわないことが。

「全部見てたら死んじゃうから、そこはね、うまくやってるんだよ。」

 しかし、彼らは理解した。彼女の能力を。
 膨大な街の記憶。あらゆる場所にあらゆる時間に同時に蓄積される、無限とも言える記憶の閲覧。気が狂うほどの無数の記憶を夢としてみること。それを調整することこそが真の、彼女の能力であった。

「……とんでもねぇな。」

 ぽつりとホルマジオがつぶやいた。彼はその情報の凄まじさを、今のところもっともよく知っていた。

「その夢は、過去のものなのか?」

 リゾットが続ける。

「過去の夢もみるよ。けど、時間は関係ないみたい。」

 彼が問いかけたのはひとつ、気になることがあったからである。

「未来も見えるんだな。」

 ごくりとだれかの喉がなった。ノッテはゆるく笑って首を振る。否定であった。

「街が生きてるって、言ったでしょ。」
「あぁ。」
「街も、考えてるの。」
「何を?」
「……これからのこと。たくさんの道のこと、ずっとだよ。」

 リゾットは今度こそくらりとした。

「可能性が高い未来を、夢で見てるんだな。」
「そうだね。だから、夢なの。」

 彼女が見るのは街の夢。街に積もる記憶が作る、これからの未来。形なく、常に移ろうそれはまさしく夢である。

 彼女はただ夢をみるだけ。
 人にとってはおよそ遠く、あまりに膨大な、無限の夢をみるだけ。
 ゆるく笑うだけの少女の双眸は、すでに人のものではなかった。

 リゾットたちの背筋にぞろりと寒いものがはしる。唸りのような幻聴が聞こえる夜のことであった。

mae  tugi
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