夜の女王
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 裸足のまま覚束無い足取りで夜の街を歩く女。男はその数歩後ろを歩いていた。ぺたりぺたりと微かな足音をかき消さないように、金髪を月あかりに光らせながら男は慎重に足音を消して歩いていたのだ。

「なぁ、どこ行くんだ。」
「さぁ。」

 くぁ、とあくびを零した彼女の、夜風にはためく白いワンピース。男がもう一度、「なぁ。」と呼びかける。
 何か言いたげに男が口を開いたが、二三度ぱくぱくと口を動かしただけで、結局、なにも言うことなく再び口を閉じてしまった。
 一瞬、夜の静けさに全てがかき消された時である。彼の耳に鯨の声が聞こえたのだ。夜の街を深海から響く唄が流れていく。空を見上げた男の目に映るのはいつもどおりの星空だけで、鯨なんてどこにもいなかった。
 もしかすると、遠くから聞こえていたその声はもっと近かったのかもしれないし。もしかすると、足元から響いたのかもしれない。
 ともかくとして、自分が鯨を見つけられることはないだろうと男は再び前を向く。

 数歩先で背中を向けていた女がこちらを振り返って立っていた。裸足のまま、彼女は石畳を踏みながら、なんてこともないようにあくびを一つ。

「メローネ。」
「なんだい。」

 男は、メローネは彼女と向き合ったまま言葉を待った。こちらを見る真っ黒な瞳を緩やかな笑みを浮かべたまま見つめていた。
 彼女はにこりと笑うこともなにもせず、ただゆったりと瞬きをした。

「おやすみなさい。」

 彼女の姿は夜霧に溶けるように消えていく。不可思議である。メローネはひとり、夜道の街道に取り残される。
 ぽつりぽつりと石畳の夜に明かりが戻ってくる。遠くから、近づくように増えていくあかり。どこからともなく戻り始めた雑踏。賑やかなイタリアの夜が帰ってきた。

 メローネはまっすぐに、彼女が姿を消した道の先を見つめている。往来の真ん中で、ぼんやりと立っている男を人々は怪訝そうに振り返りながらも通り過ぎていった。

「あぁ、おやすみなさい。」

 きっと彼女には届いているだろうと確信をもって、道の先に声を投げかけた。答えるように、鯨の声が聞こえた気がした。



mae  tugi
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