龍を見送る女の話///

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※※注意※※

※ゼノス
※暁月クリア必須

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『君の世界をつまらなくしているのは、君なんじゃない?』

 かつてそう笑った女がいたな、と男は思い出していた。鉄臭い絶望の匂いが漂う雪原のただなかで、赤く染まった空を見上げながら、ながらく忘れていた人物のことを思い出していた。
 あの女は、死んだだろうか。
 自身でさえも珍しいと感じながら、男は他人の生死に意識を割いた。あの女なら、あるいは自身の状態について、何か口を開いたのではないか。そんなことを考えながら、男は雪原を彷徨っていく。考えてみろと投げつけられた言葉の、その意味を思惟しながら。

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 祈る人々の静寂。その張り詰めた空気を足音が振るわせた。ごつり、ごつりと石の階段を踏む足音は重々しい。その人物の体躯を思えば、その音の重さもまた納得のものであった。
 同時に、その姿を視界に入れた人々は息をのみ、一層空気が重く張り詰めていく。

「…あなたは」

 真っ先に驚愕を含んだ声を上げたのはクルルだった。「なぜおまえが」と人々の間には動揺と、恐怖が伝播していく。そんなオールドシャーレアンの人々を微塵も意に介すこともなく、現れた人物は求めている人物の行方を尋ねる。

「…あの人は、今、」

 クルルが答えながら、空を見上げる。赤く燃え上がる幻視がよぎる、暗い空。その天球の遥か彼方、宙の向こう。黒く寒い宇宙の向こう側を見ながら、そこにいるのだと答える。
 求めていた答えを得られる限りは静かなのか、それとも本当に興味がないのだろうかとクルルが思案するほど、男は静かに「そうか」と答えた。その姿を見ながら、クルルは一つ、別のことも考えていた。あるいは、この男なら、と。

「ねぇ、ゼノス。あなた、あの人の元に行きたいかしら」

 宙の彼方へも翔けつく方法が一つだけあるのだとしたら。終末の気配はまだ消えない今、遠いこの星から一つでも勝機を手繰り寄せる何かがあるとしたら。終末に打ち勝つ何かがあるのだとしたら。
 それは案外、こういうものなのかもしれないと考えながら、クルルはゼノスへと提案を持ちかけるのだった。

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 それがいつのことだったか、ゼノス本人も良くは覚えていない。ただ、ガレマルドが普通にあって、まだドマをはじめとした属州が独立していない時のことだったのは覚えている。それから、おそらく少年と呼ばれる時代だっただろうことも、辛うじてゼノスも認識していた。
 場所すらも覚えていないが、どこか見晴らしがよく、人気がない場所だったとゼノスは記憶している。一人でその場所にいるとき、その人物がなぜか真横へと座ったことも。
 勝手に座るような不遜な人物へ、一種の興味のようなものが沸いたのか、それとも単なる確認だったのか。その時の感情や理由も覚えていないが、ちらりと視線を向けた先にいたのが自分よりもはるかに細く、弱弱しい女だったことは理解していた。
 それから、その女というのが、ずいぶんとなれなれしく好き勝手にしゃべる女だったということも覚えていた。いや、むしろそういう女だから、偶然覚えているのかもしれないとゼノスは考えていた。

「君の世界をつまらなくしているのは、本当に世界かな」

 どういう話をしていたのか覚えていない。だが、女がそう言ったことは覚えている。そこからの会話だけは覚えていた。

「…何?」
「いや、君はずーーっと退屈そうにしているだろう? その理由だよ」

 その問いに、今答えるとしたらなんと答えただろうか。自分はその理由に心当たりがあると答えただろうか。楽しいと思えるものを一つ見つけたと答えるだろうか。そう考えながら、当時の記憶を思い起こしていく。当時はどうだっただろうか。変わらず、泥のような世界だと思っていたことだろうと自身の記憶をたどる。

「君は世界のことをつまらないと言う。世界はつまらないとして、それは誰のせいなのかと考えてみるのも楽しいかなって。あー、つまりさ…… この世界には君と世界しかないと考えるんだよ」

 記憶の中の女は続ける。だが、曖昧な記憶の姿が揺らぎ、変わる。そういえば、隣に座った女は、そういう小賢しい口ぶりのわりに、自身と対して年が変わらなかったように思える。当時も、まだ少年だった自分とあまり変わらぬ、少女だった…… と、ゼノスが考えると、ふと記憶の中の姿も次第に明確になっていく気がした。記憶の中の少女は話す。

「この世で確固たる存在があるとしたら自己だけだ。目の前のあらゆる存在が虚構だとしても、思案する自身だけはある程度確かだろう? だからさ、この世界には君と君以外の二つしかないわけだ。じゃあ、君の世界と呼ばれるものがつまらないのは、なぜか…… ってこと」

 その理由が知りたかったような、気がする。なぜこうもこの世界はつまらないのか。なぜ、己ばかりが地に足がつかぬような思いをするのか。なぜ、と、今でもまだ悩んでいる気がする。だとすれば、あの頃の自分はあの女の答えに興味を持って視線を向けたのではないか、とも考える。そして、記憶の中の自身は女に目を向ける。

「ほかならぬ君が世界をつまらなくしているんじゃないか… なんてね」

 ありきたりだけれども、と女はそう続けながら、笑った。

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「…ゼノス?どうしたの」

 目の前の巨躯からの返事がないことにクルルが戸惑いながら、見上げる。視線はどこか別のところを見上げており、その表情から何か考えていることは容易に読み取れた。

「何か」

 何か考えているの、とクルルが問おうとしたその時であった。

「おや、ゼノスじゃないか?」

 それまでの緊迫感には似つかわしくない声が聞こえ、人々が振り向いた。ゼノスが来た方向とは逆の人垣が分かれ、ゆっくりとした足取りでその女が姿を現した。
 その声の主へと、これもまたゆっくりと視線を向けるゼノスを見ながら、クルルは意外だとその時感じたのであった。

「ふむ…」

 独特の威圧感を持つゼノスに対して臆する様子もなく女が立つ。周囲の人々がざわめき、中には「おい、あいつ」と密やかに何事か声を交わす姿さえあった。そのいずれも気に留めることなく「遠くから姿を見ることはあったけれど、やっぱり大きくなったなぁ」などと口を開くのであった。

「えっと、あなた…は?」
「私かい? 揚羽とでも名乗っておくかな」
「揚羽さん? はじめまして…かしら」
「そうかも? バルデシオン委員の方と会った記憶はあんまりないし…… あー、えーと、ゼノスとの関係? 知人かな? ね」
「知人……」

 そういいながら揚羽は親しげに、クルルは怪訝そうにゼノスを見上げる。当のゼノスは、揚羽を見ながら、その姿を確認して「生きていたのか」と一言を発した。
 その一言を聞いて、「おや」と揚羽は軽く目を丸くする。それから、からからと笑い、「君もいよいよ育ったねぇ」などと口にした。

「おあいにくと、見ての通りだよ。五体満足というほどではないけれど、死ぬほどではなかったからね。君は知ってると思うけど、君みたいに強いわけじゃないしがない文官だったからね。例のエーテル放射も影響はなかったし、感情起因の終末も影響はなかったけど、何分戦闘はね〜… 君にもう少し教えてもらっておけばよかったとは思ったが…」

 つらつらと話す揚羽の言葉を聞きながら、クルルもゼノスもその姿を見る。最初は気にならなかったがよく見れば片側の目が白濁としており、その顔にもまだ完全とは言えない傷跡が残っている。それから、揚羽の腰に武器らしきものがあること、またそれが刀であることにもその時ようやく気が付く。

「ええと、揚羽さん、それで… えっと… ゼノスに何か用があった、のかしら」

 これまでの経緯らしきものを揚羽はけらけらと話しているが、このままではらちが明かない。そう考えてクルルが口をはさむ。何せ、ゼノスは変わらずじっとりと揚羽を見ているばかりなのだ。

「用…? いや、珍しいなと思ってね」
「え? そ、それだけ?」
「うん、それだけだよ」

 けろりと揚羽がそう答えるものだから、クルルは一瞬あっけにとられる。ゼノスは変わらず、そんな言葉にさえ返事をしない。揚羽もまたそんな様子を気にすることなく、「友人ってそういうものでしょう? まぁ、私が勝手にそう思ってるだけかもしれないけれど」と、やはり明るくからからと声を上げた。

「唯一の心残りだったんだ。君がどうしているのか」

 揚羽は自身に熱心に視線をよこすゼノスを見ながらゆるりと口の端を上げた。

「もちろん、アラミゴでのことも、ガレマールでのことも、仔細は知らずとも顛末は聞き及んではいたのだけれどね。ただ…… 白状すると、思ったより心配はしてなかったし、君がなんだかんだで健在だと知ったときもやっぱりねって思ったくらいだったんだ。でも、さ。君がどう思っているのかとか、君のことはあんまりわからなかったから。わかるとは思ってないよ? でも」

 そこで一呼吸を置き、

「君に会ったら聞きたいと思ってたんだ。あれから、どうだった? …って」

 揚羽はゼノスの目を見る。ゼノスもまた、揚羽の片目へと視線を注ぎ、やはり周囲が珍しいと思うほどおとなしくその言葉を聞いていた。こつ、と軽い足音がする。揚羽が一歩前へ踏み出し、ゼノスへと近づいた。そして、ゆっくりと手を伸ばし、辛うじて触れられる高さにある頬を触る。

「でも、杞憂だったね」

 それに抵抗も、反応もないのもいいことに揚羽はそのまま頬を撫で、その感触に微笑んだ。

「君なりに、楽しく過ごしてたみたいで、よかった」

 揚羽の言葉を聞いたら、きっと宙の向こうの”英雄”や、その仲間である暁のメンバーはしかめ面をすることだろう。そうでなくとも、その姿があることだけで空気が重く張り詰めたものになるのが普通といっても差し支えない。その中で、やはり揚羽は周囲など意に介さず気ままに微笑んでいる。唯一、その近くにいたクルルは、どことなく安堵のような気持ちさえ抱いていた。なんだ、あの男にもこんな相手が残っていたのか、と。

「ええと、クルルさんだっけ? 急いでるよね。邪魔をしてごめんね。これからゼノスはどうするって?」

 クルルがその言葉にはっと意識を目のまえのことに戻し、見上げる。同時に、一瞬「あ」と声が出そうになったのを抑えながら、この後の予定を揚羽へと伝え…… ようとした。

「うん? 宙の向こうまで行く? ああー、なるほどねぇ。友達に会いに行くってことかい? いいじゃないか、いってらっしゃい」

 その時にゼノスが口を開いたため、クルルから揚羽へと予定を伝えることはできなかった。先にクルルと協議した内容を、非常に端的ではあるが揚羽に伝えていく。揚羽はそれを聞きながら、うんうんと頷いている。
 ……ただ、ゼノスがその時に、揚羽の腰をさりげなく引き寄せ、距離をつめ、ほんの少しだけ身をかがめて口を寄せるという動きをしたから、クルルは思わず声を上げそうになったのだ。

 「ふふ」と、揚羽の口から笑みがこぼれる。「あぁ、うん、安心した」と揚羽はやはり笑っている。

「ゼノスは故郷にも同胞にも捨てられたとか、いろいろ聞かされたけど… うん、安心した。むしろ、君は自由になってよかったんじゃないかとさえ思っていたんだ。私の考察も、それなりには合ってたかな?」

 揚羽がどことなく得意げにそう笑い、ゼノスの胸元をとんと軽くたたく。

「ゼノス?」

 ゆるりとゼノスの腕が動き、ゼノスよりもはるかに細く小さな揚羽の体を抱き寄せる。そして、ゼノスが「お前なら、」とゆっくりと口を開いた。

「お前なら、何かわかるのではないかと考えていた。なぜお前にそう思ったのかも、考えていた」
「おや、君が私のために思考を割いてくれたってことかな。それはうれしいね。……うん、それで?」
「やつが俺の”友”ならば…… お前は…それに準ずるものだ」
「……そっか。そっか、君にそんな風に思ってもらえるなら、あの日、君に声をかけてよかった」

 揚羽が一瞬、目を丸くしたが、すぐに破顔する。うれしい、と笑うのはきっと彼女くらいなものだろうとクルルが思うと同時に、だからこそ彼女はゼノスにあれだけ距離を詰められても平気なのだろうとまで思う。
 ゼノスという男は、例えるならやはり肉食獣だ。他の人々は、彼にとっては獲物でしかない。事実、彼はそう告げていた。そんな獣に臆さないものがいるのだとしたら。そんな獣に面と向かって何かを言える存在がいるのだとしたら、それは彼女のような存在だ、とクルルは思う。

「それじゃ、改めて。いってらっしゃい、ゼノス。もしも帰ってきたら教えてね。衣食住に関しては、今や放浪者たる君よりは立場的には”強い”と自負する私が迎えてあげるよ。そして、もしも君が帰ってこなかったら、まぁ、何とか骨くらいは拾いに行ってあげようじゃないか。そういうのも楽しそうだからね。」

 揚羽がその体を軽く押せば、あっさりとゼノスは離れていく。「あぁ」と短く返事を返すだけであった。
 その合図を機敏に感じ取り、クルルが「じゃあ、こっちにきて」とゼノスを先導する。ゼノスはゆっくりとその後ろ姿を追い、揚羽は、その場でそれを見送った。
 揚羽の周りには人はおらず、彼女の周りだけ不自然なほどに人が離れていた。だが、揚羽はそんな周囲に人などいないようにのんびりと歩きだし、どこかへと去っていった。

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 しばらくして、まばゆい光がオールドシャーレアンから柱のように立ち上がった。そして、ひときわ強い咆哮があたりに響く。人々が不安そうにその柱を見上げていた。
 龍が空へと駆け上がっていく。一度も地などみることなく、ただまっすぐに天空を、まっすぐに宙を、まっすぐにその彼方を見つめて。

 揚羽は人込みから離れた高い場所からその龍を見送った。良く見えるところから、その龍を見たかったのだ。
 そして、その後ろ姿が見えなくなった頃に、ゆっくりと歩き始めた。


mae  tugi
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