潮の香りを帯びた風が頬を掠める。
アキラは風に吹かれて首に巻きついたターバンを外し、釣竿を握りなおした。
 
船長・歩が操縦する青春丸の上。
土曜日の今日、丁度予定が空いたからと言う歩の好意に甘えて、
いつもの4人、ユキ、ハル、夏樹、アキラは晴れ空の下仲良く釣りを楽しんでいる。
騒がしく会話をしながら釣りをするユキとハルと夏樹。
そんな彼らの方に視線を向けながら、アキラは小さく「またか」とつぶやいた。
 
アキラの視線の先、赤茶けた髪が帽子からはみ出しふわふわと揺れている。
うっすらと日に焼けた手はスマートフォンを持っていて、目はじっと文字を追っている。
そんなユキの様子にハルと夏樹は気づいた様子もなく何かを話していて、
アキラは胸の内にもやもやとしたものが蠢くのを感じた。
 
真田ユキの持つ癖に、アキラ・アガルカール・山田は以前から不満を抱いていた。
何か自分が知らないことを言われると、それを誰かに聞かずにすかさずスマートフォンを取り出す。
調べてもわからなかったときはただ肩を落とすだけ。
それを言った本人に尋ねれば済む話なのに、赤毛の少年はそれをしない。
 
(理解できない……)
 
その癖に気付いたときから、アキラはずっとそう思っている。
 
くいっくいっ、と手に持った釣り竿が上下に動く。
手慣れた手つきでリールを巻く。相手の動きに合わせながら、慌てずゆっくり。
わあと後ろで上がる歓声。どうやら夏樹が何か大物を釣り上げたようだ。
 
「ナツキ、これなんていう魚!?」
 
甲高いハルの声を聞きながら、アキラは仕上げとばかりにぐいと釣竿を持ち上げた。
 
 
最初は、おどおどとした態度の割にやけにプライドの高いやつだなと思っていた。
 
ハルには遠慮せず大声で注意することもあるのに、夏樹やアキラの前ではどこか怯えたような表情をしていたユキ。
今は夏樹にも心を許してきているようだが、アキラの前では相変わらずだ。
 
腰が低いようにも見えるが、けして誰かに何か尋ねることをしない様子を見て
プライドが許さない、というやつかと鼻で笑ったのはそれほど前のことでもない。
弱そうなふりをして一丁前に、と。
 
しかし。
 
アキラは釣り上げた魚を小さなバケツに入れ、視線を3人に向ける。
ハルに腰に抱きつかれ、よろめきながらも困ったように笑っているユキ。
 
JF1ーもといハルを監視している中で自然と目につくようになった少年。
彼がわからないことを他人に聞かないのは、くだらないプライドからなんかではないことにアキラは気付いた。
 
それは今日のように歩の船の上で釣りをしていた日。
何の話だったかもう忘れてしまったが、その時もユキは何か自分の知らない単語を耳にしたようだった。
 
(やっぱり誰かに聞こうとはしないんだな)
 
どう見ても「なにそれ」といったオーラをまきちらしておきながら、一向に誰かに話しかけようとしないユキを
アキラは冷めきった目で観察していた。
 
そのとき強い風が吹いた。
 
ユキから少し横にずれた位置から観察していたアキラには、風で髪が吹き上げられたユキの顔がすっかりおでこまで見ることができた。
複雑そうに下げられた眉。何かを探すように揺れる目。
25年間の人生を経験してきたアキラは、それがプライドに固執するような人間のする表情でないことはすぐに分かった。
 
(あれは、子どもだ)
 
まるで誰もいない場所に迷い込んだ子どものような、途方に暮れた表情。
一瞬でそれは消えて、いつも通りにユキはスマートフォンを取り出したが
アキラの目はその一瞬の映像を消し去ることができなかった。
 
(初めて見る顔だった)
  
あれから、何度か同じ顔のユキを見ることがあった。
いつも決まってポケットに手を突っ込む一瞬前。
わからないことがあるたびにあの顔をして、そして一瞬で諦めたような表情に戻る。

聞かないのではない。聞けないのだ。

だからなんだ。ただの臆病者だろう。俺が気にすることではない。
そう自分に言い聞かせながらも、気づけばアキラはユキを目で追うようになっていた。
 
「ユキー、僕も水飲む!」
「わかったからおとなしくしてろって!」
 
しがみつこうとするハルを避け、ユキがアキラの方に駆け寄ってくる。
恐らくアキラの背後にあるクーラーボックスが目当てだろう。
案の定ユキは慌ただしくボックスの蓋を開け、ミネラルウォーターを取り出し始める。
 
「ナツキ、さっきの魚、どうやったら釣れる?」
「ああ、あれは今までのと違って底引きするんだ」
 
ハルと夏樹の会話が聞こえる。
そしらぬ顔でユキの様子をうかがっていたアキラの目に、ぴくりと背中が動くのが映る。
 
「底引き…?」
 
小さな声。そっとハルと夏樹の方を見たユキの横顔はあの表情をしている。
怒られるのが怖いから、『わからない』が言えない子どもの顔。
すっとポケットに向かう右手。
気づけばアキラは口を開いていた。
 
 
「ルアーを海底に引きずるように動かすこと」
「…え?」
 
 
驚いたように見開いた目で自分を見るユキに、アキラはハッと我に返る。

(何を言ってるんだ俺は)
 
放っておけ、そう自分に言い聞かせてきたのに。
ゆらゆらと揺れる瞳を見つめていたら無意識のうちに声を掛けてしまった。
自己嫌悪に陥りながらはあ、と深くため息をつく。ぴくりとユキの体が怯えたように動くのが見える。
面倒だな、そう思いながら意識して柔らかい声を出した。
 
「だから、底引き。」
「あ、えと……」
 
アキラの目線の先のユキはポケットに向けていた手をふらりと下ろして、
ぼうとした目でアキラを見返している。

気まずい。
アキラはただひたすら自身の行動を後悔した。
いつの間にか操縦室に居たタピオカが側まで来ていて、そちらからも強い視線を感じる。
またため息を吐きそうになったアキラに、ユキはうつ向き気味だった顔をそっと上げた。
 
「あの、」
「…ん?」
「えっと…」
「……」
 
何かを言おうとしている。
それはわかるが、うじうじと逸らされる目線にアキラの胸中にまたもやもやとした何かがあふれ出す。
ああ、面倒だ。なんでいらないことを言ったんだ自分!そしてそんな目で見るなタピオカ!
表情には出さずにいらいらを募らせるアキラに、ユキは意を決したように息を吸った。
 
「ありがとう、アキラ」
「……」
 
雲の隙間から光が差すような、そんなすがすがしさを、アキラは感じた。
紅潮した頬、上がった口角、目はやんわりと細められている。
 
「ユーキー!水ー!乾いちゃうー!」
「あーもう、今行くって!」

ミネラルウォーターを3本小脇に抱えて立ち上がったユキは、
もう一度ありがと、と呟いてアキラの後ろを走り去る。
 
(な、なんだ?今の)
 
ユキの笑顔と共に、胸の中のもやもやを一気に取り去ったあたたかな何か。
心臓をくすぐられるような感情に困惑しそわそわと動くアキラを
タピオカはもっちゃもっちゃとハムを咀嚼しながらただ見つめていた。
 
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