はあはあ、酸素を補うように肩が激しく上下する。
階段を登りきって、そのまま足を止めずに扉へと手をかけた。
銅でできた取っ手が手のひらにひんやりと当たる。
勢いよく開けた先から、潮の香りをまとった風が吹き込んだ。
 
 
「あ、ヴァイル。お疲れさま」
 
 
海が見える場所。
細かい模様が編みこまれた厚手の布が地面に敷かれ、その上には二人分の料理と食器。
そしてレハトがぺたりと座りこんでいた。

 
「えっと、うん。遅れてごめん」
「はは、そんなに待ってないよ」
 
 
だから落ち着いて。
息を整えるために扉の前で立ったままでいると、レハトはそう言いながら立ち上がって俺のそばまで近寄ってきた。
 
 
「ああ、すっかり髪も乱れてしまって。準備は済んでるから、ヴァイルも座ろう」
「あ、ありがと」
 
 
長い指でそっと俺の髪を整えて。レハトはそのまま俺の左手を掬い上げた。
引かれるままに絨毯まで導かれ、座ると隣にレハトも腰を下ろす。
 
 
「申し訳ないけど、少し離れていてもらえない?」
「ですが、レハト様」
「お願い、ローニカ。久しぶりの夫婦の時間なんだ」
 
 
右手で俺の左手を包んだまま。
レハトの言葉に困ったような表情をした初老の従者は、しかし諦めたように溜息をついて、ではあちらに居りますともう一人の従者を伴って俺たちから距離をとった。
なにかあったらすぐに駆け付けられる、だけど話し声までは聞こえない程度の場所だ。
それを見届けたレハトは満足げに笑い、手を離した。
 
 
「よし、食事にしよう。ヴァイルはどのお茶が良い?」
「えっ、いいよ自分で淹れる」
「いいから。ほら、どれがいい?」
 

伸ばした俺の手をそっと元の位置に押し戻して、茶器を手に取る。
じゃあと指差した茶の葉を蒸らしながら、今度は皿に食べ物をよそる。
甲斐甲斐しく動くレハトに、自分でできるよと言っても笑って流されてしまった。
 

「はい、ヴァイルの分。ちゃんと豆も食べるんだよ」
「……えー」
「えーじゃない。ヴァイルが食べられるように、味付けを濃くしてもらったんだ。ほら」
 
 
豆の乗った匙が唇に押しあてられる。
しぶしぶ口に入れると、レハトは良い子、と笑う。
濃くしたという味付けは、レハトの仕草に反応してどきどきとうるさい心臓のせいで全然わからなかった。
 
心臓が持つかどうか不安なまま食事は続いて。
二人して絨毯の上に座り込んだまま、レハトは時々思い出したようにパンやら豆やらを俺の口に運んだ。
逆らえずに口に迎えるけど、味わう余裕なんてなくって。
夫婦になって2年が経つのに。レハトへの耐性はつかないまんま。
ちぎったパンを咀嚼したレハトは、俺を見ながら嬉しそうにはにかんだ。
 
 
「なに、俺の顔になんかついてる?」
「いや、ごめん。こうして二人で食事するのが久し振りだから、少し浮かれてしまって」
「……そんなの、俺もだよ」
 
 
食べ終わった皿に視線を落としながら答えると、レハトがさらに笑みを深めたのがわかる。
照れてるのがばれたくなくて顔を俯けたままでいると、レハトは俺の手の中から皿を取った。
かちゃかちゃと音を立てながら植物の蔓で編まれた籠に食器を入れていく。
絨毯の上には茶器だけ残して、レハトはまた俺のほうへ顔を向けた。
 
 
「ヴァイル」
「ん、なに?」
「おいで」
 
 
呼ばれた名前に返事をすると、レハトは横座りした自分の太ももをぽんぽんと叩いてほほ笑んだ。
 
 
「え、や、」
「ほら、おいで」
 
 
戸惑う俺の腕を掴んで、押しつけるように腿の上に横たえる。
頬に伝わる柔らかな感触に体を強張らせると、宥めるように肩をなでられた。
 
 
「私との時間のために、仕事頑張ってくれたんだろう。ありがとう、うれしい」
「……最近、二人で居られる時間、無かったから」
「うん、ありがとう」
 
 
頭の後ろで結った髪を指で梳かれる感触に、力が抜けていくのがわかる。
もう二度と伸ばすもんかって思ってたけど、レハトが似合うと言ったから伸ばし始めた髪は最近やっと肩についた。
腹側に向けていた顔をそっと動かしてレハトを見上げると、見下ろす瞳と目が合う。
細い肩に流れる髪。
黒くまっすぐなそれは腰のあたりまであって、つやつやと輝いている。
触るとするりと指から逃げるから、俺はいつまでもそれを触っていたくなってしまう。
 
そっと手を伸ばして、切れ長の瞳の下を撫でる。
くすぐったそうに目を細めて、どうした、と穏やかな声でレハトは囁いた。
 
 
「隈、出来てる」
「そう? 気付かなかった」
「嘘。結構濃いよ。レハトも忙しかったんでしょ、知ってるよ」
 
 
睨むと困ったように笑うから。
頬にあてたままの手にレハトの手が重ねられて、暖かい。
 
レハトが担当する仕事の中で、一番やっかいなのが古神殿との揉め事に関するものだ。
俺が王になるずっと前から、古神殿と王城の間にはいざこざが多かった。
もちろんそれは俺の代でも変わらなくて。幼いころから神殿が苦手だった俺は、王になる前からそのことを考えて憂鬱になっていた。
王配になって、一番最初にレハトが「自分がやる」と言い出したのが、その古神殿との話し合いの仕事だった。
神官に親しい友人がいるからと言ってレハトは笑ったけど、本当は俺が神殿を嫌っていることを知っているからだってわかってた。
 
 
「従者に聞いたよ。昨日夜遅かったの、古神殿に行ってたからなんでしょ」
「……参ったなあ、言わないようにって言ったのに」
「隠し事なんてしないでよ」
「ヴァイルにはかなわないなあ」
 
 
手のひらに小さく唇を落とされて、ごまかされそうになる自分を叱咤する。
 
 
「レハトはそんなことしなくていいって言ってるじゃん。古神殿のやつらなんて放っておけばいいんだ」
「そうもいかないよ。古神殿との揉め事は政の障害になる」
「だからってレハトがしなきゃいけない理由はないよ。本当だったら俺がやるべきことなんだ」
「……ヴァイルの嫌がる顔、見たくないんだ」
 
 
悲しげな目が俺を見下ろす。
頬を撫でられても目を逸らさないでいると、余計に困ったみたいな表情になった。
 
 
「俺だって、レハトが疲れた顔見たくないよ」
「でもねヴァイル」
「でもじゃない」
 
 
思わず強い声が出て、はっと我に返ると、レハトは悲しげな顔のままゆっくりと俺の髪を撫でた。
 
 
「ヴァイルだけ大変なのは、嫌なんだ。私はただそばにいるだけの王配にはなりたくない」
「なんで。俺はいつでもレハトにそばにいて欲しい」
「私だってそうだ。だけどそれよりもずっと、ヴァイルを支えていたい」
 
 
そっと顔が近付いて、長い指が前髪を避ける。
露わになった印の上に、やさしく唇が落とされた。
お揃いの印。俺とレハトが一つなんだって証明。 

 
「ヴァイルがとても大事だから、ヴァイルの嫌がることはみんな取り除きたいんだよ」
 
 
もう一度、今度は唇に落とされて俺は何も言えなくなる。
ね。まつ毛の触れそうな距離で囁かれて、思わず頷いてしまう。
ほんとに俺、レハトには一生慣れそうにない。

 
頬に触れる髪に指を絡めながら、今度は俺から口づけを返した。
 
 
「せめて、明日一日でいいから休んでよ。お願いだから」
「ん、ヴァイルがそういうなら」
 

でも、明日の朝には元気になる方法があるのだけど。そう笑うレハトに思わず首を傾げる。
 
 
「今夜、ヴァイルが同じ寝台で寝てくれたら」
「ばっ、ちょ、」
「だめ?」
「だ、めじゃ、ない、けど」

 
レハトは嬉しそうに楽しみだ、と笑った。
 
 
「あんたさ、そんなこと言って恥ずかしくないの」
「全然。思ったことを言ってるだけだもの」
「……あっそ」
 

「俺も」だなんて、絶対に言えない。
レハトの細い腰に熱くなった顔を埋めて、そう思った。
 
 
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