古びた紙の香りがつんと鼻をかすめる。
昼下がりの図書室。
見渡せる限り、無愛想な司書を外せば居るのは数人の文官や神官のみだ。
経営学に関する本を返却し、今日の目的は終わる。
いつもであればこのまま自室へ帰るのだが、日の光が薄いレースで編まれた上品なカーテンを通って床を照らし出す様子に、なんとはなしに扉へ向けていた足を再び室内へと踏み出した。
 
入口から数えて4列目。
農業に関する本が集められた本棚を目でなぞる。
そのうちの一冊。
手に取り開いたそれはずっしりと重い。
目を落としたページには黄金色の茎にずっしりと穂を実らせた植物の絵が大きく掲載されている。
 
「寒さに弱く、収穫時期は赤の月から黄の月にかけて……」
 
3日ほど前、母から与えられた領地を訪問した。
あと二月後には私が治めることになる予定のそこを訪れるのはこれで5度目だ。
前回は街の中心部を視察し、今回は農地を見て回った。

写実的に描かれた絵を指でなぞると、ざらりとした紙の感触が指を伝わる。
 
「冷害が起きた際に予想される被害総額、農家に対する保護も考えなければ」
 
頭の中、飛び交う知識をまとめるために小さく声に出す。
人影の少ない図書室でそれを咎める者はおらず、閉じた本をそっと元あった場所へと戻した。
 
あと二月。たった二月で、やるべきことは数え切れない。
土地を治める。そのために必要な知識が私には圧倒的に不足しているからだ。
時間が足りないことを嘆く暇も、真面目に学ばなかった今までの自分を悔やむ時間も無い。
無理に知識を詰め込んででも、守らねばならない者ができたのだから。
 
本の背表紙を指でなぞり、緩んだ口元を引き締める。
 
少々疲れが溜まっているようだ。鈍いだるさを訴えるこめかみをぐいと押す。
久しぶりに詩集でも読もうか。
思えばここ数日、文学に全くと言っていいほど触れていなかった。
息抜きに気に入りの詩集でも読むか。
思い立ち、歩を進めた。
 
詩、戯曲、小説。そんな類のものは、図書室の中でもずいぶん奥まった列へとまとめられている。
以前までは図書室で最も利用する場所だったそこが、今ではすっかり懐かしく感じられる。
私もずいぶん変わったものだ。
とはいえ、その変化が不快では無いのだから仕様が無い。
らしくもなく苦笑を漏らしながら辿り着いた本棚には、既に先客が居た。
 
「…っ」
 
名を呼びそうになり、あわてて息をのみこむ。
長いまつげを伏せ、立ったまま本へ目を落とすのは紛れもなく私の「守らねばならない者」だ。
その人――レハトは私の存在に気付いた様子も見せず、ただ黙々と手に持った本を読みふけっていた。
 
分化して4か月ほど。
レハトは、見ただけではヴァイルとともに侍従を困らせていたあの子どもだとはわからないほど、すっかり"女"になった。
顎までしかなかった髪は肩を越え、体は丸みを帯びながらもすらりと成長した。
田舎者めと陰口を叩いた貴族たちは、今では「どんな手を使ってモノにしたのだ」と私を妬む。
文字を追う黒曜石の瞳。
星を抱くそれを見ながら、そっと気づかれぬように距離を縮めた。
 
彼女の左側。寄り添うように並んでも一向にレハトは文字から目を離そうとしない。
相も変わらず警戒心のない奴だ。
漏れそうになる溜息を耐えつつ、わざとレハトの前の本へと指を伸ばした。
 
「……?」
「やっと気づいたか」
「タナッセ!」
 
影を作っていた前髪に腕が当たり、そこで初めて向けられた視線に視線を返すと、レハトはまるで子が親を見つけたときのような表情を浮かべた。
 
「いつ帰ってきたの!?」
「し、声が大きいぞ」
「あ、ごめん」
 
みっともなくにやける顔を隠すように手に取った本を広げる。
レハトはそんな私の様子を気にも留めず嬉しそうな声を上げるものだから、慌てて人差し指を唇の前へ当てた。
 
「3日前には戻ってきていたのだがな、色々と仕事が有り会いに行けなかった」
「そっか、……ふふ」
「なんだその顔は、だらしのない」
「だって、タナッセと会えてうれしいから」
 
くふくふと本で口元を隠して笑うレハト。
胸にこみ上げるむず痒さをごまかすようにそのやわらかな頬を軽くつねる。
 
「ふふ、いたあい」
「嘘をつけ。そんなに力はこめていない」
 
天窓から差し込む光がレハトの髪をきらきらと煌めかせる。
息を交わすように会話をしていると自然と距離が近くなり、自然と触れた指先に体が固まる。
レハトはそんな私を大きな瞳で見上げながらそっとはにかんだ。
 
「今日ね、本当は借りてた本を返しに来ただけで、すぐに部屋に戻ろうと思ってたの。
 だけど、なんとなくもうちょっと居ようかな、って気分になって。ここでタナッセの詩を読んでた」
 
ひそひそと伝えられる声に、レハトが手に持つ本へと目を向けると、そのタイトルは確かに見覚えのあるものだ。
 
「約束もしてないのに、偶然こうやって会えるって、なんか。とっても嬉しい」
 
にやけちゃう。そう触れたままだった指を絡めながら言うものだから。
私の婚約者殿はもう少し慎みを持ったほうが良いと思うのだ。
とはいえ。
 
「…私もだ」
「ん?」
「今日は本を返したら部屋へ帰ろうと思っていた。ここに来たのは偶然だった」
 
細く頼りない指を傷つけてしまわぬよう、そっと絡め返す。
 
「だから、その、私も今、……嬉しいと思っている」
 
慎みを持てないのは、私も同罪だ。
 
きちんと聞こえているか、我ながら不安になるほど小さな声だったが。
レハトは指をさらに強く絡め返した。
 
「……タナッセ」
「……何だ」
「だいすき」
「ばっ、」
 
囁かれた言葉に、かあっと頬に熱が上る。
思わず声をあげて本からレハトへと顔を向けると、思っていた以上にその瞳は側にあって。
 
「……ん、」
「……っ!おまえは、こんなところで、」
「好き」
「っ」
「大好き」
 
唇に押しあてられたやわらかな熱に、咎めようとした声も遮られる。
私の肩までしか無い、小柄な体躯。
レハトは頬を花弁色に染めたままひたすらに私を見つめ返した。
絡め合った指をほどけないまま、伝わる想いに息が苦しい。
 
「……その、だな。そういうことは、女からするものではない」
「……どうして?」
「それは、恰好がつかないだろう、男が」
「じゃあ、正しいやり方、教えて」
 
目を逸らさず、交わしあう声が本棚と本棚の間で氾濫する。
タナッセがおしえて。もう一度、ねだるような声に、気付けば体を近づけていた。
 
恋について、くだらない想いを象った文字の海に隠れて。
 
「……どうだ、わかったか」
「……わかんない」
「……」
「もう一回教えてくれなくっちゃ、わかんない」
「……仕様のないやつだ」
 
分厚い本を片手に持ったまま、降らすように唇を落とした。
 
 
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