■幸福論 (目の前であいつがマウンドから崩れるように倒れた瞬間。 ――――苦しさに胸が潰れるかと思った。) 聖秀と海堂との試合が終了した直後、薫は放心状態になり、その場から足が動かなかった。 観客席で見ていた吾郎の最後の様子が脳裏に焼け付いたように離れない。 (あいつの足は、どうなったんだろう…まさか、またリトルリーグの頃みたいに…) 悪い考えばかりが頭に浮かぶ。その恐怖に震えそうになる薫を呼ぶ声がした。 「清水さん。」 「…っ!…」 呼ばれてビクッと肩をふるわせて反応する。振り返ると心配そうな表情をした小森だった。 「本田君…そのまま、総合病院に向かったんだって…」 ―――病院。 その言葉の響きに悪い予感が頭から離れない。 そんな青ざめた顔の薫を小森はいたわるようにしながら言葉を続けた。 「…心配なんでしょ?行ってきなよ。こんなとこでじっとしてたら余計に不安になるだけだよ。」 それは確かに小森の言う通りで、薫は暗い想いが浮かぶ頭をブンと一振りして気持ちをリセットする。 スタンドを後にして薫は急いで教わった病院に向かった。 道中また襲って来そうになる不安を振り払う様に、吾郎からもらった「アタリ」とかかれたアイスの棒をお守り代わりにギュッと強く強く握りしめる。 (どうか…どうか…これ以上悪い事が起きませんように…) -------------------------- 総合病院に着いたはいいが、吾郎がどこにいるのか、あのまま入院となったのかも薫はわからないことに気づいた。 とりあえずは受付の方へ尋ねてみようかと思ったところで、その近くに吾郎の母親の姿を見つけた。 「すいません!」 「…清水さん?」 「あのっ…あいつは、本田は…!?」 息を弾ませながら駆け寄ってきた薫からは、よほど心配していた様子が伝わってくる。 安心させる様に優しく肩に手を置き、相手の目を見ながらゆっくりと桃子は答えた。 「吾郎なら、大丈夫よ。」 「あ…。」 「もちろん決して軽い怪我じゃないんだけど…でも治療とリハビリをすれば、また元の様に野球ができるんですって。」 桃子から希望ある返答を聞くと、薫は顔をくしゃくしゃにして涙をこぼし始めた。 大きな目から滴が次から次へとあふれている様子に、桃子は驚いてなだめるように薫の背中を優しくさすりながら言った。 「ど、どうしたの?」 「さっ…さっきはお母さん、すみません…」 「さっきって…球場で清水さんと会ったとき?」 「あのとき、あたし…偉そうにあんなこと言ったけど本当は…あいつが、もし野球ができない体になったらどうしようって、あたしも、ずっと思っ…」 今まで堪えていたものがこみあげてきたのか、止まらない涙をしゃくりあげながら嗚咽とともに薫は気持ちを吐露した。 「…かった…本当に、良かったぁ本田…」 それはまるで吾郎の無事を自分の事の様に嬉しそうに繰り返す喜びの言葉だった。 張りつめた気持ちが緩んだのか、目の前で大粒の涙を溢しながら安堵する薫の姿を見て同じく桃子も胸に込みあげてくるものがあった。 (…清水さんも、あたしと同じ気持ちだったの…) それでも、その辛い気持ちを隠して影でずっと応援し続けてくれていた。 最後まで目をそらさずに吾郎を見届けてくれた。 それは今だけではなく、リトルリーグのときからずっとずっと。 (この子は本当に、強いのね…) 目の前で泣きじゃくる女の子を黙ったまま優しげに見つめていた。 「…すっ…すいません。な、なんか、興奮しちゃったみたいで…あたし、アハハ…」 落ち着いてくるにつれだんだんと我に返ってきた薫は、人目もはばからずにこんな風に泣いてしまった自分が恥ずかしくなり、相手に呆れられてはしないかと苦し紛れに笑って誤魔化した。 「……ありがとう。」 桃子が思わず溢したそれは、母親として心から出た一言であった。 昔からあんな無茶な生き方しか出来ない不器用な息子のそばで、変わらずに見守ってくれる薫の存在は本当に貴重で有難く感じられたのだ。 「えっ?」 きっとその言葉の意味がわかっていないのだろう、不思議そうに聞き返す薫がなんだか可愛らしく思えて桃子は微笑みを返した。 「清水さん。あいにく今は寝てるけど…吾郎の顔だけでも見ていかない?」 「あ…。え…と、いいんですか?」 「もちろんよ。あたし、お父さんと一緒に病院の先生の所に行ってくるから、ちょっとの間だけでも様子を見ててくれると助かるわ。」 -------------------------- 先ほどの桃子の申し出を快諾した薫が教えられた病室に入ると、静かな寝息をたてている音だけが聞こえてくる。 ベッドを囲うように覆われたカーテンを少しめくって中を覗くと瞳を閉じて眠っている吾郎を見つけた。 普段の意志の強い瞳や、いつもの力強い元気な姿を思い出すと、ギブスをはめてベッドに横たわっている弱々しい吾郎の様子にはやはりとても胸が痛む。 起こさぬように音をたてずにそっと近付くと、薫はそばの椅子に遠慮がちに腰を下ろして吾郎を見つめた。 本田…あたしは、いつも思ってたことがあるんだ。 “自分が、男だったらよかったのに。”って。 そうすれば、お前の役にたてるのに。お前と一緒に戦えるのに。 マウンドにいるお前に、あたしができることなんて何もない。 いつもそれが悔しくて、そんな自分がもどかしかった。 でも、たったひとつだけできることがあるんだって今日改めて気づいたんだ。 それは、闘うお前を見届けること。 お前がどこまで自力で夢を叶えていくのか、あたしは全てを見ていきたい。 …だからもう、絶対に逃げたりしない。あたしの夢はお前なんだから。 薫は密かな誓いをたてる。 いまだ夢の中にいる野球少年の顔を見つめながら。 (…たとえ、今はお前があたしを見てくれてなくても。 あたしはずっと、お前を見ていくから…。) 海堂との試合後すぐ病院に担ぎこまれた吾郎を薫視点で読むと辛すぎです…。 聖秀ナインも怪我しまくるわ、自分は何もできないわで、吾郎がマウンドで倒れたときなんて、もう…ねぇ? 原作46巻あたりで、薫と桃子かーさんの間でこんなやりとりがあったらいいなーということで生まれた妄想でした。 どうでもいいですが、私が薫の独白書くときに吾郎寝てる率高すぎ…ワンパターンを反省。 |