■カブトムシ なんとか出来上がったカレーの味を、とりあえず吾郎も真吾も気に入ってくれたようだったので薫はホッと肩をなでおろした。 次回はもう少しくらい手際よく作れるように練習しておかなければならないなと密かにひとり決意しながら、薫はソファーで眠ってしまった吾郎に軽い布をそっとかけた。 「風邪ひくぞ。ピッチャーが肩冷やしてどうすんだ…まったく。」 たらふく食べてお腹がふくれたことで満足したのか、薫の呟きにも気づかず吾郎はそのまま熟睡しているように見える。 ちょこんと少しそばに座って、斜め少し上にある吾郎の顔を見つめた。 無邪気に寝息をたてている姿には自然と笑みが溢れてきた。 「…寝顔だけは、可愛いんだけどなぁ…」 そう独り言ちながら、目の前の相手から先ほど言われた台詞がまた頭に浮かんできて薫はふたたび思い出したように憎らしい気持ちになった。 “ なんだよ。お前、俺に惚れてんのか? ” お母さんが入院している産婦人科まで一緒に自転車で案内してあげたのに、こいつのデリカシーのかけらもないようなあの言い草はいったいなんだ。 あまりにも無神経な言葉にカチンときて、その場ではつい言い返してしまったけれど…。 「…そうだよ。昔から、ずっと…」 あたしはお前に惚れてるんだと、そう伝えたら吾郎はいったいどんな顔をするんだろう。 それでも今まで通りこんな風に気軽に喋ったり、気楽にそばにいることができるのかが薫にはわからない。 もし想いを伝えて今まで以下の関係になってしまうのなら、それは薫にとって何よりも怖いことに思えて、相手の気持ちを確かめることはまだまだできそうになかった。 (またしばらくは、会えなくなるんだろうな…) きっとまたすぐに吾郎は野球漬けの生活に戻って、持ち前の負けん気で彼らしくその道を突き進んでいくのだろう。 それを考えると薫には今日の出来事はとても貴重でかけがえのない1日であるように思えて、昼間たまたま出会えた偶然に感謝したい気持ちになる。 想い人の寝顔を今だけはひとり占めしたい。そう思いながら薫は優しい瞳で吾郎を見つめ続けた。 するとその瞬間に、吾郎の頭がガクンとバランスを崩して薫の方へと倒れこんできた。 「…っ!」 声も上げられずに驚く薫が体を固まらせると、舟をこいでいたその頭はやわらかな彼女の膝の上にそのままゆっくりと着地する。 誰がどう見てもこれは、いわゆる膝枕の状態だった。 (ど…どうしよう…。動けないんですけど…) 目下には無防備な子供のような顔をして眠る吾郎。 気持ち良さそうな寝顔を見ていると、無理矢理叩き起こすわけにもいかない。 薫は膝に乗った吾郎の頭の感触に困惑しながらドキドキと心臓を高鳴らせるしかなかった。 「あーっ、吾郎兄ちゃん。」 先ほどまでゲームに熱中していたはずの真吾が急にこちらを向き、大きな声で指を指す。 「あはは。何だか、お姉ちゃんに甘えてる赤ちゃんみたいだねー?」 「し、真吾君っ!?」 真吾は無邪気に見たままの感想を口にしたが、見つかった薫は瞬時に顔を真っ赤にして大声をあげる。…と同時に、間の悪いことにというべきか、近くで聞こえる騒ぎ声に反応してあくびをしながら眠りから覚める人物がいた。 「…なん、だよ…うるせーな…」 寝起き特有のぼうっとしたような頭で今の状況がよくわかっていない。 妙に心地の良い感触がして何やら良い夢を見ていたような気もする、と吾郎が思ったとき、自分の家の天井と、そして頬を赤らめて気まずそうに自分を覗き込む幼馴染みの顔が目に飛び込んできた。 そこでやっと吾郎は自分が薫の膝で寝ていたことを把握して、驚きもそのままにソファーから勢いよくずり落ちるのだった。 「な、なっ…何だっ…清水!?」 「…あ、あの…オ、オハヨウ…、ゴザイ、マス…。」 この状況の恥ずかしさに何を言ったらいいかわからない薫も、うわずったような声を出し片言になっている。 「おっ、おはようございますじゃねーよ!お前、俺の寝込みを襲う気か?」 「バッ…バカっ…!本田が勝手にもたれかかってきたんだろ!このスケベ野郎!」 結局その日の茂野家には家族が二人いないにも関わらず、いつも以上に騒がしい声が夜遅くまで聞こえてくるのだった。 (なんで、吾郎兄ちゃんもお姉ちゃんも顔が赤いんだろう…?) 先ほどまでとても仲良くしていたようなのに、突然いきなり激しくケンカするふたりの理由がまったくわからず、真吾はその間でキョトンとしていた。 みなさま「つかの間の夏休み」は好きですか?私は大好きでーす。 “あんなにいい雰囲気になっておいてどーしてそこで寝るんだお前は!ラブコメか!?ラブコメなのか!!”とか思ったので更に王道展開にしてみました。 必殺・膝枕!自分で書いてて、楽しいやら恥ずかしいやら…。 タイトルはaikoの曲から。薫には片思い乙女の歌詞が似合いますです。 ↓オマケ 「吾郎、真吾。今帰ったぞー。」 「おお、オヤジか。」 「おかえりなさーい。」 「あれ?吾郎がカレー作ったのか。珍しいこともあるもんだなぁ。」 「違うよ、お姉ちゃんに作ってもらったんだ。」 「清水さんが夕飯まで作ってくれたのか?優しいな。」 「おいしかったねー、吾郎兄ちゃん。」 「まあ、なんつーか…いろんな意味で奇跡のリンゴカレーだったのは確かだな…」 「…それはそうと、吾郎。」 「なんだよ、オヤジ。妙に真面目なツラして…」 「清水さんは、ちゃんと遅くなる前に帰したのか?」 「あー…実はついさっきまでいたんだけどな。」 「え?こんな時間までか?」 「暗いし送るっつったんだけど、あいつが『自転車で帰るからいい』って聞かねえからよ。」 「あのねー。吾郎兄ちゃん、お姉ちゃんに膝枕されてたんだよー。」 「ばっ、ばか真吾、黙ってろつったろ!」 「ゴホン。その…なんだ。まあ、きっとお前らも長い付き合いなんだろうから…」 「何の話だ?」 「吾郎。お前…清水さんと、どこまでいってるんだ?」 「………………あ?」 「お前も海堂の寮から帰ってきたばかりだし、付き合ってる彼女に久しぶりに会えるのは嬉しいんだろうが、お互いまだ高校生なんだからそこは我慢を…」 「ちょっ、ちょっと待てーーーー!」 「まあ、そんな怒るな。男として気持ちはわかるが、これも人生の先輩からの忠告だと思ってだなあ。」 「だーかーら!聞けよオヤジ!なんにもねーし、あるわけねーだろ!!なんで俺が清水と付き合うんだよ!?」 「なんだ?じゃあお前、まだ……なのか。」 「…う。」 「親に向かって『やることやってたんだな』なんて生意気なこと言うから、てっきり、とっくに…」 「…っ!るせーなっ!ほっとけ!」 顔をこれ以上なく赤くした吾郎はドスドスと音をたてながら廊下を歩き、その場から逃げるように自分の部屋へと向かった。 自分が思っていたよりもまだまだ子供のように幼い息子の反応に、父親はついつい笑いをこらえきれなかった。 薫が帰った後の父親と息子の会話。自己満足です。 原作で妹ができたとわかったときに、親に言った吾郎の例の発言がひどすぎて「チェリーボーイの吐く台詞じゃねえ」と思ったので、茂野パパにつっこんでもらいました。 |