■やさしいライオン


沖縄キャンプから神奈川に帰ってきた次の日。
そろそろアメリカに発たねばならない俺は、清水に会う為に彼女の家に向かった。

(また、しばらくは会えなくなるな…)

そんなことを思いながら、家のインターホンを押す。
ピンポ―ン、と軽快な呼び出し音が鳴りしばらくして出てきたのはパジャマにカーディガンをはおった姿の清水で、聞けばどうやら風邪をひいてしまったらしい。

「…親が旅行?大河はどうしたんだよ。あいつもいねえのか。」
「うん…夜まで帰って来ないんだよね…」

あきらかに不安そうにしているくせに、本人は俺に『あんましあたしといないほうがいい』なんて強がっている。
まったく、こいつは素直じゃねーな。

「そんじゃ俺、帰るわ。」

俺は清水にそんな言葉を残して、部屋を出ていく。
もちろん、病人をひとりで置いてマジで帰ってしまうような薄情な真似はしない。
看病に必要なものを買いに出ることを、誤魔化す為の冗談みたいなもんだ。
しかし、言ったときのあいつのあの顔に自然と思い出し笑いが込みあげた。

(ははっ、ありゃ本気にしてショック受けてたな。)

買い物を終えると、俺は少し早足で清水の家に戻った。
やっぱり、あいつをひとりにしたまんまってのも心配だったから。玄関から階段をかけ上がり、勢い良く清水の部屋のドアを開ける。

「おい、清水!果物とか風邪薬とか買ってきてやったぞ。」

すると声をかけた病人は、何を思ったのかカーテンにくるまり赤くなって慌てた顔をして慌てたように笑っている。
何やってんだ、こいつは。熱でとうとうおかしくなったのか?
奇行にうろたえる俺に、カーテンの中から首から下をまったく見せない清水が呼びかける。

「…あっ、あのさ…本田…悪いけど、一瞬だけ部屋出てって!」
「はぁ!?」

何だそりゃ。体調悪いんだから遊んでねーで、早く寝ろよ。

「お前、いったい何をやって…」

近づこうとすると、ますます顔を赤くして大声で制す。

「ちょっ、ちょっと!来ないで!お願い!」

説明もないその拒絶した態度にムッとしたが、ふと部屋の床に目がいく。
清水がさっきまで着てたはずのパジャマが脱ぎすててある。しかもそれは上下とも。

(…アレ?つーことは…今コイツ、何も服着てねーのかよ…!)

「わ、ワリィっ!」

やっと察した俺はとりあえず即座に部屋を出た。
こんな場面にばっかり遭遇しちまう自分が幸か不幸かわからない。
モヤモヤとした気分で部屋の前に立ちつくしていた。
たぶん今、自分の顔は赤いんだろう。
間もなくしてドアが開き、隙間から清水がおずおずと顔を出した。もちろんだが、新しいパジャマを着ている。

「…お、お待たせしました…」
「お、おぉ…。」

部屋に招き入れられたはいいが、何だか妙に気まずい空気になってしまった。
とりあえず俺は買ってきた物の入ったビニール袋を清水に渡す。

「…ホラよ。いろいろ入ってるから、これで夜まではなんとかなんだろ?」
「あ、えっ…こんなに?…サンキュー、本田…」

それを受け取り、驚きながらも嬉しそうに感謝の言葉を伝える清水に俺はホッとした。

「熱は?」
「さっき計ったら…8度5分くらい…」
「ゲ、やべーじゃん!寝てろよ。おしぼり持ってきてやるから。」

立ち上がって部屋を出る。
清水んちの風呂場から洗面器を借り、それに水を入れながら俺はふと、今の状況を確認してみた。

“家族が誰もいない彼女の部屋でふたりきり”

こんな状況で、絵に描いたような据え膳を目の前にして俺はどーすりゃいいんだ…。自慢じゃないが、俺は禁欲には自信がある方だ。海堂にいた頃に夢島で鍛えあげた成果だとも言える。しかし。

(…キスくらい、いいんじゃねーのか?)

そんな考えがふと浮かぶ。
まあ、相手は病人だから襲いかかるわけにもいかないだろう、とは思うが。
そんなことを悶々と考えているうちに、部屋の前に戻って来ていた。
開かれたドアから見える清水は、ベッドの中で小さく咳を何度か繰り返している。
ああ、やっぱりこんな弱った相手に何かを望むのは酷な話だろう。
俺は煩悩を振り払い、持ってきた水の入った洗面器を床に置いて苦しそうな様子に声をかけた。

「大丈夫かよ、清水。」

俺は水で濡らした布をしぼり、慣れない手つきでそれを額にそっとのせてやる。


「…少しは、マシになったか?」

すると、その声に反応した清水は目をスーッと閉じながらうわ言の様に呟く。


「…ん、…気持ちい…」
「…っ…!」

いやいやいやいや、“冷たいタオルが”ってことはわかってるぞ。うん。
そりゃ、わかってるんだけど…

(…あのー清水さん。ヤバくないですか、その台詞?)

潤んだ瞳と赤く染まるその頬、そしていつもよりかすれた声が妙に色っぽい気がする。
風邪で熱があるからと言えばそうなのだろうが、こいつは…。
さっきのパジャマのことを思いだし、また心臓がバクバクし始めた。
いったいなんなんだ今日は。欲求不満なのか、俺。

「…ねぇ、本田ぁ…」
「へえぇっ!?」

いかがわしい妄想をしていたのがバレてしまったのだろうか。
急に名前を呼ばれてギクリとした俺はすっとんきょうな声をあげてしまう。

「…ごめんね…」
「はぁ?何がだよ。」

俺にはわけがわからない謝罪の言葉で清水は弱々しく小さな声で謝りだした。

「…だって…こんな、看病までさせちゃってさ…。アメリカ向かうのに、風邪うつしちゃったらいけないから…無理しないで…」

なんだか申し訳なさそうに呟いているが、いったい何を言い出すかと思ったら、まったく。
こいつは本当に甘えるのがヘタクソな奴だと思う。
病気のときくらい素直に「そばにいて欲しい」と堂々と言えばいいものを…。

「あのなぁ…バカかお前は!こんなときに気ぃ使ってんじゃねーよ。人のことはいいから、病人はおとなしく寝てろ。」

そんな風に、ついそっけなく言い放ってしまう自分の口が憎く思えた。

“俺にもっと頼っていいんだよ。”

思ってはいても、そんな恥ずかしい台詞はきっと言えやしない自分の口がうらめしい。
しかし、そんな俺に清水は柔らかく微笑んでいた。

「…ありがと。ホントのこと言うとね、さっきまで心細かったんだ…。だから本田が戻って来てくれて、すごく嬉しいよ…」

かけ布団で顔を半分くらい隠し、うるむ瞳だけを覗かせながら言葉を続けた。

「…本田が優しいから…たまには風邪もいいかもな…」

そう言って、へへっと照れたようにはにかむ。
熱があるからなのか、いつもよりずっと素直で可愛く見えてくる清水の態度が不意打ちで、ドキッとした。
そのまま胸が早鐘の様に高鳴る。

(キスしたい。)

さっき浮かんだ考えがまた頭を支配する。あさってには俺はもう清水がいるここ、日本にはいない。

(…そうだ、今しかない。)

風邪がうつろーが、相手が病人だろーが知ったことか。
むしろ、こんな状況でまったく何もしない彼氏という方が問題ではないのか?そう思った瞬間、俺を抑えていた何かが崩れていくのを感じた。

「清水。」

俺は相手の名を呼び、その肩を両腕でガバッと捕まえる。
そのやわらかくあたたかな体温を直に感じて胸が高鳴るのを抑えられない。
そして俺はそのまま清水の顔を見つめようとした………が、目の前の肝心の相手は飲んだ薬が効いてきたのか瞳を閉じてスースーと心地よさげに寝息をたてていた。
その姿にガックリと肩を落としてうなだれる、ものすごく可哀想な俺…。

「おっ前…そりゃあねえだろうが…」

せっかくその気になったのに、なんなんだこの仕打。
俺は想いがおさまらず、そのまま清水をぎゅっと抱き締めた。
そのまま引き寄せた体はやはり熱のせいでかなり熱い。
清水の赤く火照る頬に自分の手をそえると一瞬、表情を優しく緩めたような気がした。
その無防備な様子は可愛らしくも憎らしく思える。

(…ったく。子供みてーな寝顔しやがって…。)

想いに任せてこのまま寝込みを襲うのはきっと簡単だが…それも何となく躊躇われた。
せっかくのお互いの初めてならば、相手がきちんとわかるときの方がいいはずだ。
10年間も幼馴染みだった俺らのことだ。
今更、そんな焦ることはないのかもしれないし、その方が自分達らしいのかもしれない。そんな風に思い直しながら、自分の胸の中で寝息をたてている清水を起こさない様にそのままゆっくりとベッドに寝かせた。

(大切な相手だから大事にしたい。)

今どき古臭いヤツだと、誰かに馬鹿にされて笑われようが、俺はそう思ってる。
野球という夢を追っていても、相手を想うその気持ちは嘘じゃない。

「今は…これで我慢しといてやるよ。」

眠りに落ちている清水の前髪を優しく撫でながら顔を寄せ、その額に口づける。
触れた唇から伝わるその熱は熱く、まだ下がらない高い体温を知らせるものだった。

「早く治せよな。お前がそんなんじゃ、俺も調子でねーよ。」

清水の寝顔を見つめながら、その彼女の部屋でゆったりとしたときを過ごす。

(…案外、こんな時間も悪くねーもんだな…)

俺はそんなことを感じながら、目の前の寝顔につられて一緒にうとうとと、まどろんでいくのだった。





キリ番・11000で頂いたのは“吾郎君にはガバっといってほしい!”という同感しまくりなリクエストなのに結局寸止めですいません…。

吾薫好きには大好物56巻は薫嬢視点でしたので、こちらは看病をする吾郎視点の脳内補完です。実は寝てる間にデコチューを奪われていたという設定を捏造してしまいました。

いろいろ中途半端な内容で、申し訳ないですがこちらは荻崎ヒカル様へ。





























↓オマケ↓




俺は買ってきたものの入ったビニール袋を渡した。

「薬もあっから、飲めよ。」
「うん…ありがと…。薬飲むなら、何か食べなきゃな…。」

熱でボーッとした顔でそう言いながら、清水は俺が買ってきたいくつかの果物をテーブルに出していた。そして、とびこんできたその姿に俺は目が点になる。それは、バナナをぱくついている清水の様子。ちょっと待て!

(…お、お嬢さん…?ええーと…見ようによって…ソレは…あの、その…)

って、だぁ――――――っ!!!何考えてんだ、俺は!!

「…どうしたの…?」

赤い顔で頭をぶんぶんとふってる挙動不審な俺を、不思議そうに見つめる清水と目が合う。

(頼む…頼むから、トロンと熱でうるんだ上目づかいで、パジャマ着たままこっち向いてバナナ食うんじゃねえ…!)

って、コレはそもそも俺が買ってきちまったんだけど…このままでは、めくるめく妄想がどんどん広がってしまいそうだった。

「みっ…水!水くんできてやるよっ…!」

あさってにはアメリカに戻るからなのか、普段より今日はいくらか余裕がない今の自分ではそのまま病人を別の意味でベッドに押し倒しかねない。その場から逃げる様に俺は部屋を出ていった。

「…何、慌ててんだ…アイツ…?」

部屋に残された彼女には意味がわからず、そのまま無邪気に彼氏からのお見舞いの品をもぐもぐと食べ続けているのだった。




●あとがきというより、いいわけ
ごめんなさい…吾郎がナニを考えてるかわからない良い子は、そのままでいて下さい。

買ってきてた果物にこれが入っていたので(56巻P107)この妄想は基本かな…と思ったんですがいろいろ考えて入れるのをやめた部分だったりします。

…大変失礼致しました。




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