■マーメイド 晴天の空に、どこまでも遥かに広がる海。こんな景色を前にして開放的な気分になるのは、誰しも仕方のないことで――― 休日のビーチにはたくさんの人が溢れ、お決まりのような浮ついた言葉があたりを飛び交っている。そして、ここにも。 「ねーねー、どこから来たの?」 「君みたいな可愛い子がひとりー?」 浜辺にさしたパラソルの中で休んでいた薫に声をかけている二人組の男達がいる。海から上がってきた吾郎はその姿を見つけて溜め息をついた。 (…またかよ…) これには多少うんざりしていた。いったいこの光景を見かけるのも今日でいったい何度目だろうか。ちょっと目を離すとすぐこれだ。 「オイ、清水っ!」 妙な虫を追い払うように、わざと大きな声で彼女の名を呼んだ。 「チッ、なんだよ…男連れか。」 案の定、吾郎を見るなり二人組の男は捨て台詞を吐いて退散していった。 「…お前なぁ、何度捕まりゃ気がすむんだよ!」 「何だよ!別にあたしのせいじゃないだろ。」 そんな台詞に吾郎は少し眩暈を覚えた。目立つ雰囲気に加え、実はスタイルがかなり良いということに、まったく気付いていない彼女はむしろ自分では足が太いと思っているらしい。ナンパ目当ての野郎がウロウロするビーチで男ウケするビキニなんて着ようものなら、狼の群れのなかに肉を放り投げるようなものだというのに。そんな事を思うが、この彼氏にはそれを伝える力量がない。 (少しは自覚しろよ、コイツは…) 妬いていると思われるのもしゃくに感じて吾郎はこんな言葉を吐くのが精一杯だった。 「…モノ好きが多いからって嬉しがって、よろこんでんじゃねーよ。」 「誰がよろこぶか!断ってるのに、あいつらがしつこいんだよっ」 そうして、いつもの口喧嘩が始まる。 「だいたい本田だって悪いんだろ!」 「あぁ?何で俺が…」 「何でじゃない!彼女と海に来てまで、筋トレやってる彼氏がどの世界にいんだよ!」 「あれは筋トレじゃねーだろ、普通に泳いでただけだろうが。」 「海水浴でマジ泳ぎするやつなんて、お前しかいねーよ。速すぎてついてけねーだろ!」 「何だよ…じゃあせっかく海に遊びに来て、泳がずにいったい何するってんだ。」 「えっ?…えーと、それは……」 聞かれて薫はとっさに答えにつまった。自分は正直なところ、ふたりで一緒にいられれば何だかんだ言いながらもそれだけで楽しいのである。海でデートというのは、普通のカップルなら具体的に何をするものなのだろうか。何やら考えこんでしまった薫の頭にふと、古典的な絵が浮かんだ。 「笑いながら、渚をふたりで追いかけっこ、とか?」 「…いったいいつの時代の話なんだ、そりゃ…」 昔の少女マンガじゃあるまいし…、と全身脱力しながら答える吾郎にバカにされたようでつい薫はムキになった。 「いーじゃん!デートなんだからたまにはそれっぽいことしようよ!」 「は?」 「…じゃ、本田が鬼な!」 「…って、オイコラ、清水!」 『絶対やんねーぞ』と言いかける吾郎を置いて薫はすぐさま駆け出そうとした。 「うわっ!」 しかしその瞬間、足元の砂に足を取られて薫は豪快にすっ転んでしまった。 「…いたたた…」 「あーあー、ひとりで何やってんだよ、お前は…」 完璧に呆れはてた声で近付く吾郎に清水はバツが悪そうに立ち上がる。 「う、うるさいな…!あ、痛っ!」 「どうしたんだよ。」 「…ううう。もしかして…足、ひねっちゃったかもしれない…」 「ハァ!?…ったく、お前はそれでもスポーツマンかよ、あるまじき鈍臭さだな。」 図星ではあるが、容赦なく降ってくる優しくない言葉に『少しは労れ』と薫が文句を言おうとした瞬間。 「…しゃーねー。オラ、乗れよ。」 「へっ?」 目の前にしゃがみこんだ吾郎。薫の目の前には、ほどよく日に焼けた力強い大きな背中が広がっている。 (まさか…) 吾郎が言わんとすること、やらんとしていることに気づいた薫は、ゆでダコの様に真っ赤な顔をブンブンとふって退く。 (よ、よりによって水着でおんぶなんて…恥ずかしすぎて無理…っ) 背を向けられているので吾郎がどんな表情をしているのかがわからないままに、薫はとにかくうろたえている。 「い、いいっ!いーよ、本田!あたし、自分で歩けるから、大丈夫っ!」 「うだうだ言ってねーで早く乗れっ。俺は腹減ったんだから、とっとと飯食いにいきてえんだよ!」 いつまでも同じ体勢でしびれを切らしたのか、吾郎は前を向いたままでこちらを振り返らずに怒鳴っている。そのいつも通りの色気のない返事に薫は拍子抜けしてしまった。 (…もしかして…本田にとっては、何でもないことなのかな…?) その吾郎の勢いに押されてそんな風に思った薫はついその背中に体を預けてしまう。お互いの肌と肌が触れ合う一瞬。薫の頬に負けないくらい吾郎の耳が赤かったように見えたのは、はてさて気のせいだろうか。 「あ…あのさ…や、やっぱり、やめといたほうが…。」 この上なく緊張しながら、あまりに落ち着かない感触に薫はおそるおそる尋ねる。 「…安心しろ。お前の体重でもつぶれたりしねーよ。」 しがみついた相手から聞こえてきたのはいつもの憎まれ口。ホッとしていつものように返事をした。 「いつも一言多いんだよ、バカ本田!」 「ぐぇっ、テメー、清水っ!首しめんな!」 そうやって、ふたりのいつものやりとりは果てしなく続いていくのであった。 晴天の空に、どこまでも遥かに広がる海。こんな景色を前にして開放的な気分になってしまうのは、きっと誰でも仕方のないことだ。 もしも、隣に誰よりも愛しいひとがいるとするならば……尚更。 キリ番・20000に頂いたリクエストが“海に遊びに来た吾郎と清水”という事でしたので…ついにやっちゃいました、61巻裏表紙の妄想! 水着でおんぶですよ!おんぶ!これが公式絵だというおそろしさよ… しかし自分で書いておきながら、とにかく死ぬほど恥ずかしいやつらだ…もしも海でこんなことしてるカップルを見かけたら絶対に直視できないよ、私は…。 リクエストありがとうございました!こちらは暮野様へ。もしもお気に召せば幸いです。 |