女性を泣かせてしまった。緩やかなウェーブのかかったモカ色の髪が可愛らしいと言える、シフォンワンピースの似合う彼女だったのだけれど、どうしても其の6号サイズの指輪で飾られた指を絡め取って俗に言う恋人繋ぎとやらに興じる事も、ふわふわと揺蕩う髪に口付ける事も、流れに沿って撫でてやる事も出来なかったのだ。
交際期間五十八日、なかなかのスピード破局。二ヶ月目の記念日に何を贈るべきかと頭を悩ませる必要が無くなった事を密かに喜んでしまう辺り、俺は確かに女性を泣かせてしまうような男だ。

だけれど仕方が無い、少なくとも俺にとっては致し方ないんだシフォンワンピースの似合う君。まだ無邪気に好意をばら蒔けた幼少期、何の思惑も無く触れる事の出来た黒髪の柔らかさを忘れたくない。毎日石鹸で手を洗っている時点でそんな抵抗、何の意味合いも持たないけれど。


「…ランボちゃん、ほっぺに紅葉が…」


恐らく相当に驚かせてしまったのだろう。小さな公園の一角に誂えられたブランコに座る俺に右側から声を掛けた彼女は、自らの視点を左側に傾けると同時にそんな台詞を呆けたように呟いた。
Let's see the childish bed,麗しのご婦人。最低限の皺しか無いシーツに寝転んで枕を汚しもしないお子様な俺だ、どうせ軟派で軽薄な発言を無造作に贈りつけたが故に季節外れの枯葉を左頬に貼り付けたとでも思っているんだろ?貴女のそんなあたたかさが俺のくちびるをかさつかせるんだ、口を開けば下唇には血が滲む。痛みが滲む。舐め取れば殊更痛いだけで、けれども毒々しく膿んだ傷みを見せ付ける訳にもいかないから俺は結局自分の傷みを舌で隠して痛い想いだけを抱える。

――傷みが、痛くて、何時かの悼んだ記憶が、

貴女のくちびるは今日も柔らかく潤っている。羨ましい事で。


「一先ず、お家に帰りましょう?冷やさないと腫れが引きませんよ」


腫れている。そう、ご名答だ麗しのジェンティルドンナ。貴女のくちびるよりも赤いこれはモカ色の髪を持つおんなの痛みが浮き彫りになっただけで、俺の心臓を圧迫する悪戯な何かとは全くの別物。分かっているさ、だから貴女は俺の左頬を真っ直ぐに見つめられる事くらい。

キィキィとブランコが鳴く。足元の叢に居座っている詰草を一本、毟り取る。この細い茎が俺に何をした訳でも無いが、生憎と指先で優しく手折ってやれる程の寛容さが今の俺にはごっそり、それこそ根こそぎ欠けていた。あたたかさに溶かされたのだ。膝を曲げて、伸ばす。キィ、…。ブランコが詰草の代わりに鳴いた。


「ランボちゃん、ハルで良ければ帰ってから話を、」
「ハルさん」
「……、…」
「紫色をした詰草の花言葉は、善良で陽気、だそうですよ。優しい花だ。まるで誰からも好かれるような」


だけど其の詰草は、貴女達ジャポネーゼが初めて目にした時には既に蹂躙されていたんだ。江戸時代にオランダから輸入した硝子器の間に挟まれて、乾いた花弁は何の情緒も無く其処に詰められていたと、貴女はきっと知らない。道路の隅で茶色く萎びる椿に美を見出だしはしても、潤いを亡くした白い其れがひしゃげた姿はどう贔屓目に見たって用済みの屑だ。
貴女のくちびるは潤っている。
俺の唇はかさついている。乾いている。今笑えば、恐らく下唇の一部は縦に細く割れてしまう。痛みを生んでしまう。もう痛みは充分だ、棘の無い愛が欲しい。


「…ランボちゃん、帰りましょう」


貴女の声が俺を誘う。俺を刺す。甘い痛み。もう慣れっこだなんて、そんな事は決して無い。心臓は確かに着実に傷んでゆくのだから。子供をあやすように俺の髪を撫でる貴女の爪は、実は地肌じゃなくて心臓を引っ掻いている。其の証拠にほら、俺は胸が痛い。順応なんて出来やしない。


「ホットミルクを作ってあげます。大きめのマグカップに注いで、蜂蜜をたっぷり入れて、クーラーは少し強めに付けて、イーピンちゃんやフゥ太君と一緒に飲んで、贅沢な時間を過ごすんです」


貴女のくちびるが乾燥してかさついてひび割れてしまえば良いのに。そうしたら俺が其の痛みを舐めてあげるよ。
優しく善良で陽気なあたたかい貴女が、慈愛で造った棘を手放すまで、何度でも。


(貴女の武器は涙じゃなくて舌なんだ、早急に気付いて下さい麗しの、)






‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

「春一番」さまに提出


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -