「あの、ガゼル様」 「何だみさこ」 「大変申し上げにくいのですが……」 「なんだ。言いたいことがあるならはっきり言いいなよ」 「では遠慮なく」 「ああ」 「もう少し身の回りの整頓をなさってください」 ベイビードール みさこはエイリア学園ダイヤモンドダストのマネージャーである。毎日部員たちのドリンクを作ったり、汚した衣類を洗濯したり、散らかった部室を片づけたりと大奮闘中だ。 敏腕マネの呼称相応しく、彼女の働きっぷりは見事なものであった。今まで練習中にドリンクが切れたことは一切なく、その日のメニューも大方タイムスケジュール通り進んでいく。徹底された管理。みさこはそれをそつなくこなしていた。 このチームの影の功労者は間違いなくみさこであろう。誰もがそう認めるくらいにみさこは完璧に仕事そこなしていた。が。 そんな彼女が手を焼いていることが一つだけあった。 「脱いだ服は指定したかごに入れてください」 「ああ、忘れていた」 完璧にマネージャー業務をこなすみさこが唯一持て余しているのが、ガゼルであった。 ダイヤモンドダストのキャプテンにしてエイリア学園の中枢に位置する男。冷静沈着でクールな性分であるガゼルは学園の女生徒からそれはそれは多大なる人気を集めていた。容姿も水際立つほどに整っている。それゆえにこっ恥ずかしいファンクラブまで設立されている。しかし本人にその自覚はなく、気取った様子はまるでない。そこがまた女心をくすぐるようで、今や神聖視されていると言っても過言ではなかった。 そんな学園の王子様。 皆の羨望の対象。 しかし、それは彼の表面上の印象にすぎない。 「あっ!もう鞄の中身を広げっぱなしにしないでくださいっていつも言ってるじゃないですか!」 皮を一枚はがすと、ガゼルはとてもだらしなかった。身の回りが散らかっていてもあまり気にしない性質なのだ。 みさこが部室を綺麗にしても、またたく間に彼が散らかしてしまう。それを指摘すれば、気を付けるという言葉は返ってくるものの、一向に直る気配はなかった。ガゼルが散らかす、みさこが片づける、ガゼルが散らかす、みさこが以下略というのが現在の状況だった。果てしないいたちごっこの繰り返し。 敏腕と称されるみさこはどうにもそれが許しがたく、いつの間にか『部室を綺麗に保つ』ということがみさこの部活動における大きな目標となっていた。 そのためには私物を撒き散らすガゼルを何とかしないといけないわけだ。試行錯誤のうえ、毎度毎度注意をしていくしか方法はないことに気付き、みさこは逐一ガゼルに片づけを呼び掛けていた。 「ほらこんなまたところにお財布落ちてますよ」 「…落ちてるんじゃなくて置いてあるんだ」 少しむっとした表情でガゼルが反論するが、どう見ても床に放置されていたことは明らかだった。わざわざ椅子の下を選んで財布を置いておく人はそうそういない。 「大体君は細かいんだよ。私には私なりの物の置き方がある」 「皆に迷惑かけるような置き方してるからです」 「…生意気なマネージャーだ」 「はいはい。口じゃなくて手を動かしましょうねガゼル様」 「こんな口の聞き方をする後輩は君が初めてだよ」 「私もこんな開放的な先輩は初めてです」 この姿を、噂のガゼルとはまるで違う彼を一度でいいから騒ぐ女子共に見せてやりたいと、みさこは常々そう思っていた。硬派でかっこいいガゼル様は靴下を脱ぎっぱなしにしたり、部室の床を自分の本棚よろしく教科書なんかを置いておく人なんだと。それを怒ると明らかな嘘をついて拗ねるのだと。そうしたらわーきゃー騒ぐギャラリーも少しはマシになるのではないか。これはきっと名案だ。ガゼルの株は暴落するであろうが。 そんなことを考えながらみさこは、慣れた手つきでさくさくと散らかったものをかたしていく。それに対して汚した張本人はマイペースにゆっくりと鞄にものをしまっていた。 毎度のことながらなんと世話の焼ける人なんだ、そう思わずにはいられない。 しかし、そんなキャプテンに愛想を尽かさないのは彼を尊敬しているからだった。普段はなかなかどうして困った人だが、試合になるとキャプテンの貫禄が出る。チームの頂点に君臨する人物になるのだ。 それにチームメイトには優しく接してくれる。クールだが決して冷たくはないのだ。 だからみさこはダイヤモンドダストのマネージャーを続けていた。 「もう、こんなんじゃ将来困っちゃいますよ」 「お前は私の母親か」 そんな嫌そうな目を向けられても。みさこは苦笑した。 ガゼル様がきちんと整頓してくだされば全て解決しますよ。その言葉と共に先ほどロッカーの隅に転がっていた部屋の鍵を拾ってガゼルに渡した。こんな大切なもの床に転がしておかないでくださいという熨斗付きで。 彼女の手から彼の手に鍵が渡る瞬間、何を思ったのか、ガゼルが鍵ごとみさこの手を包み込んだ。 みさこの動きが止まる。 「本当に君はうるさい」 「ガゼル様?」 「あまりにうるさいから、みさこの声が頭から離れなくなるんだよ」 「…どうしたんですか」 急に態度を変えたガゼルに戸惑いの色を隠せなかった。何を思ってのことなのかはわからないが、とりあえずこの手を何とかしていただきたいとみさこは思っていた。握られた手から体温が伝わってくる。自然と頬が熱くなった。 「困ると言ったな」 「…え」 「ならこれからもみさこが片づけれくれ」 ガゼルはそう言うと、相変わらず不機嫌そうな顔でみさこを見やる。しかし、ぱちくりと彼女の瞳が瞬くとガゼルはふいっと顔を背けてしまった。 その頬が心なしか染まっているのは気のせいだろうか。 「それで問題ないはずだ」 静かな室内に、ガゼルの声は良く響いた。 次いで、がしゃんとみさこが抱えていたゴミ箱が転がる音も大きく響いた。 (20091205) |