二人を照らす唯一の光源である蛍光灯が頼りなく点滅した。一度点滅し始めたそれは、まるで最後の命を振り絞るように点いては消えてを繰り返し始める。 ただでさえ暗いのに、蛍光灯が弱ったせいで辺りがことのほか薄暗く感じた。本来なら視界が悪くなったことに困るのだが、みさこにとっては好都合だった。しょぼくれた自分の表情を見られないし、何よりも不動の表情が見えないことが有難い。 きっと怒ったような呆れ顔してるんだろうな、と考えると気持ちの柱にびしりとひびが入る。 もし今ここで暴言が飛んできたら簡単に折れてしまいそうだっだ。 「あとは私がやっとくから、不動君は休んで」 少し素っ気ない言い方になってしまったのは、声の震えを悟られないためだ。みさこは自分の中でぐるぐるととぐろを巻く感情を押さえつけようと唇を噛んだ。悲しくて、恥ずかしくて、すごくやるせない。そんな思いを。 不動は言葉を受けて黙り込んでいた。重い沈黙が降ってくる。なんだか居心地が悪い。 さっきあれほど帰りたいって言ってたのに、何でこっちが了承したら居座るんだ。天邪鬼も腰を抜かすほどのひねくれ者なのか、という理不尽な怒りが込み上げてきた。 GASSYUKU!7 「もしかしてお前、昼間のこと気にしてんの?」 静寂を破ったのは不動だった。 心の痛いところをぴたりと言い当てられて微かに身体が震える。昼間の不動の怒りっぷりを思い出し、口の中が急速に乾いていった。 「……ごめんなさい。あんなの飲ませて」 「粉飲まされてる気分だったぜ」 「申し訳ないです……」 「すっげー不味かった」 「返す言葉もないです。本当に」 「口ん中ざりざりするし味残るし、最悪」 ああ、言葉って凶器になるんだなあ。 みさこは感情が溢れだすのを頑張ってこらえた。先ほど暴言は聞きたくないと思ったばかりなのに、容赦ない言葉の棘が心に刺さる。不動に対する苛立ちと申し訳なさ、そして自分の不甲斐なさなど色々な感情が交錯して涙が出そうだった。だけどここで泣いたらこの上なく鬱陶しい奴になってしまう。 悪いのはこっちなのだ。それを指摘されたら泣くなんて、そんな女々しくてずるいことはしたくなかった。涙は女の武器だというが、それは言い逃れをするために使われる言葉じゃない。 みさこは俯いた。そしてさっきよりも強く唇を噛み締める。 「おい」 本当に早く帰ってくれ。 そう思っていたが、不動の声が結構近くで聞こえたことに気づいて、顔を上げた。そして硬直する。暗いせいで距離感が分からなかったが、結構近くにいるといっていいだろう。不動はずいっと身体を乗り出してみさこの顔を覗き込んでいた。きりっとしているがどこか気だるげな双眸がこちらを見ている。 手に持っていた食器が派手な音を立てた。スプーンが転がり落ちる。そして二、三歩後ずさった。 「……なに遊んでんだよ」 「ふ、不動君が急に近付くから!びっくりしたじゃん!」 思いもよらない行動に涙の波が遠ざかる。 不動はわざとらしい溜息をついて、みさこが落としたスプーンをゆっくりと拾い上げる。自分で拾おうとしていたみさこが制止の声をかけたが、きれいに無視して砂だらけになってしまったスプーンをもとあった場所へ戻した。 「ドジ」 そして何を言うのかと思えばまた暴言だった。どこか楽しげに紡がれた言葉に気持ちがざわつく。 「な、今のは不動君が急に近くに来るから……!」 「そういうのなんて言うか知ってるか。言い訳」 「はあ!?」 「素直に自分が鈍臭いって認めろよ」 不動は自分を怒らせたいのだろうか。 みさこは気色ばんだ。 先ほどまで胸を占めていたやるせない思いがあったけど、それよりも理不尽な物言いに怒りがわく。確かにマネージャ―業は駄目駄目で嫌な思いをさせてしまったけれど、誠意をもって謝ったつもりだった。それでも許せなくて、嫌がらせをしてまで貶したいほどに自分を嫌っているんだろうか。そう考えるとちくりと胸に刺さるものがあったが、不動が突っかかってくるとどうしても反発する気持ちが先行してしまう。 そこまで私が嫌いなら金輪際あなたには話しかけませんからどうぞご安心ください!と、心の中の毒を吐き出してしまおうか悩んでいると、不動は涼しそうな顔をして頭の後ろで腕を組む。そしてゆっくり歩きだした。睨みつけるような視線で不動を追うと、蛍光灯の近くでくるりとこちらへ向き直った。 「明日はもうちょっとマシなの作れよ」 その瞬間、点滅していた蛍光灯が一瞬だけ光を取り戻して明るく輝いた。 だから、みさこの目に不動が笑っている様子がしっかりと映り込んだ。 それは決してやさしいものではないけれど、冷たく突き放されるようなものでもなかった。 (――な、なんだ。この感じ……) みさこは、心臓が鷲づかみにされたのではないかと思うほど胸に圧迫感を感じた。それに伴い心拍数が少しだけ上昇する。 得体のしれない感覚に戸惑い呆然と突っ立っていると、不動が不機嫌そうに、おい、と呼んできた。 それにはっとする。 「ぼけっとしてんじゃねえ」 「へ?」 「行くぞ」 「い、行く?」 「オレは疲れてんの。早くしろって」 頭の回転がひどく鈍くて、みさこは不動の言っていることが理解できなかった。 とりあえず条件反射で不動の許へ走って行くと、手に持っていた皿をひったくられた。けっこう乱暴だ。 本来なら粗野な振舞いに小言のひとつでも言っているのだが、不動の予想外の行動にみさこは驚くばかりだった。これは、一緒に行ってくれるんだろうか。そう理解するのに数秒の時間がかかった。 そんなみさこを待ってくれるほど不動は優しくないらしい。山を下る道へむかって一人で歩きだしていた。このままぼさっとしていたら多分不機嫌そうに鈍間だとかオレを疲れさせんなといった暴言が飛んでくるだろう。それに、早く持っていかないと秋と春奈に迷惑がかかる。 みさこは考えることを断念し、急いで不動に声をかけた。 「……不動君!」 「ぼさっとしてんじゃねえ。早くしろって言ったのお前だろ!」 「そ、そうだけど。でも……洗い場はそっちの道じゃないよ!」 「……」 自然と笑みがこぼれた。 ぴたりと動きを止めたあと、怒ったような顔をしている不動が――恐らく照れ隠しなんだろう――可笑しいこともあるが、それよりも不動のある一面を見れたことに対する嬉しさのようなものが心にじわりと暖かさをもたらす。 みさこは、お前いいかげんにしろ!と少し焦ったようにがなる不動を宥めながら、バスの中での出来事を思い出していた。 「不動君」 「あぁ!?」 「明日は頑張るね」 怖いだけではない。ちゃんと、優しい面も持っているんだ。 そう思うと少しだけ素直になれた。 「ありがとう、励ましてくれて」 「……オレはドジはドジなりに頑張ってろって思っただけだ」 「そうだね。私なりに出来ることから頑張るよ」 「勝手にしろよ」 「うん」 相変わらずつっけんどんな態度だし突き放した物言いだったが、冷たいとは感じなかった。 お皿を持たせるのは悪い気がしたので、みさこは不動からそれを受け取り洗い場へ続く道へ進む。これ以上遅くなると本当にまずい。不動を急かしつつ、二人で宿舎の前を横切ったところで、みさこは名前を呼ばれた。 宿舎の方から聞こえた声に振り返ると、そこには綱海がいた。 「みさこトランプやろうぜー!」 一階の窓から身を乗り出し、手をぶんぶんと大きく振っていた。 他のメンバーも集まっているんだろうか。後ろからがやがやとした雰囲気が漂ってきた。 「今からトランプ大会始まるからよー!外にいねーでこっち来いよ!」 「あ、でも私今は――」 「隣のお前も……って、不動!?」 誘ってもらえたのは大変うれしいが、今は洗い場へ行かなくてはいけない。それを伝えようとみさこが息を吸い込むと、綱海は素っ頓狂な声を挙げた。心底驚いているのが伝わってくる、少し裏返ったような声だった。 そして何を思ったのか窓からぴょんと飛び下りると、勢いよくこちらへ走ってくる。靴は履いていない。さすが沖縄暮らしだ、とみさこが驚いている間にもう目の前にいた。 「なんで不動と一緒なんだ?」 綱海は少し困惑した表情を浮かべた。そしてみさこの隣で不機嫌そうに睨みを利かせる不動を見やる。 な、なんか空気が悪くなっているような、気圧がどんどん低くなっているような、そんな気がするのは私だけだろうか。みさこは胸中で叫び声を上げた。不動が不機嫌そうなのはいつも通りなのだが、なぜか今はそれに拍車がかかっている気がしてならなかった。さっきまでのちょっと優しい空気はどこにも感ぜられない。それに綱海もなんだかむっつりとした顔で不動を見据えていた。 沈黙が、鉄のように重たい。 「あ、あの…私たちこれから――」 「不動、みさこにあんま冷たく当たるなよ」 「……はあ?」 「今日一日見てたら、お前けっこうみさこに対する当たりがきつかっただろ。人間生きてりゃ失敗することもある。小さなことで目くじら立てるなよ。みさこがかわいそうだろ」 「綱海君、ふ、不動君はそんな――」 「……ぎゃーぎゃーとうっせー。何かと思えば説教かよ」 「悪いところを悪いって言ったまでだ」 「あの!私の話を――」 「自分の価値観押し付けんなよ。うぜぇ」 「なんだと!」 「ちょ、ちょっと、喧嘩はよくないよ!」 ことごとく言葉を遮られていたみさこだったが、さすがに雲行きが怪しくなったところで止めに入った。 激しく怒っている綱海を宥めにかかる。 喧嘩は良くないが、綱海は自分のために怒ってくれている。そう思うと少し申し訳ない気持ちになった。 綱海にきちんと説明して不動の誤解を解かなくては、とみさこは強く思っていた。綱海が心配してくれたことはとても嬉しかったが、不動は彼が思うような人ではない。確かに初めは怖くて乱暴で近付きたくない人だと思っていたが、向き合ってみれば優しい面もちゃんと持っている。性格が災いしてそれがなかなか理解されないだけなのだ。 そう思って口を開こうとしたら、強い力で肩を掴まれる。 みさこが驚いていると、不動が、貸せ、と言って皿をひったくっていった。 その少し荒々しい態度に再び綱海が怒りだす。 「みさこ、こんなやつにかまうこたぁねえ。部屋に戻ろうぜ」 「あ、ちょ、ちょっと待って……」 みさこは不動を追いかけようとした。 だが、綱海は不動に対する恐れから出た行動だと勘違いして、気にすんなと言って手を離してくれない。そこにわらわらと他のメンバーも出てきてしまえば、綱海の腕を振り切ることができなくなってしまった。それによくよく考えると彼はみさこのことを気遣ってくれたのだ。振り払ったら失礼になる。そう思うと脱力してしまった。 結局みさこは、不動が闇に消えていくのを見ていることしかできなかった。 |