みさこは転入生だった。遠方の地からはるばるここエイリア学園に転入が決まったのがつい先日。大急ぎで手続きを済ませ、今日初めて学校を訪れた。晴れて明日からここの生徒になり新しい学園生活がスタートするわけだ。

手続きも終わり、帰路につく。見馴れぬ校舎を見上げると心がざわついた。

中途半端な時期の転入は不安になるものだ。それは転入生だけがもつ悩みであり、両親に相談するも、すぐに友達できるわよなんて楽観的に返されてしまう。他に相談できる友達も身近にいないため、みさこはその不安を緩和させるために少し校内を歩いてみることにした。少しでも気が紛れてくれればいい。そんな思いで舗装された道を歩いて行く。


「わあ…」

なだらなか坂を上がれば、開けた場所に出た。広がるのは一面の天然芝。
そこは大きなサッカーグラウンドだった。奥に並ぶのは部室だろうか。幾つかの建物が等間隔に並んでいる。
以前通っていた学校からは考えられない設備に、みさこはゆるゆると引き寄せられるようにグラウンドへ足を運ぶ。エイリア学園はサッカーが盛んだと聞いてはいたが、その優遇度合いに度肝を抜かれていた。みさこがいたサッカー部なんて、週の半分校庭の半面を使えればいいほうだったからだ。

「…おい!もう一回だ!」

かつての学校に思いを馳せていると、グラウンドの端から怒鳴り声が聞こえてきた。声のしたほうを見れば人影が二つ。逆光でよく見えないが、どうやら二人は言い争っているようだった。
遠目にも雰囲気が悪いことは見て取れる。

触らぬ神に祟りなし。
先人の遺した言葉はどこかしら的を得ている物が多い。それに習って、諍いには関わらないのが一番だ。
みさこは急いで踵を返した。

もう、家に帰ろう。

思わぬものを目撃してしまい、みさこは萎えた。喧嘩ほど見ていて嫌なものはない。

一歩踏み出した所で、先程まで気色ばんでいた怒鳴り声が再び聞こえた。
それは会話というよりは、何かの単語を叫んだみたいだった。耳慣れない言葉に何かの呪文だろうか、と一瞬激しく興味そそられる。そしてみさこはつい振り返ってしまった。

次の瞬間、衝撃と共に彼女の視界は暗転した。


紅蓮の君


ゆらゆらと意識が揺れる。そんな中でみさこはひんやりしたものが額に当たるのを感じた。
次に、二人の言い争うような声が聞こえる。それは先程耳にした声であった。しかし今は、怒気は孕んでおらず、どこかしら控えめな様子が感じられた。

一体誰なんだろう。
みさこの意識は段々と浮上していった。

「…ん」

意識が覚醒し、みさこはぼんやりと目を開ける。その際に額がずきりと痛み、思わず顔をしかめた。一体何が起こったのか。確か、グラウンドから帰ろうとしていたはず。
ゆるゆると動き出す頭で今の状況を考えていたが、降ってきた声にそれは中断されてしまった。

「君、大丈夫か?」
「……?」

今だはっきりと焦点が合わない視界に、白銀の髪をした少年が飛び込んでくる。ぼーっと彼を見つづけるみさこに再び大丈夫か、と彼は問い掛けた。

「頭、いた……」

どこか中性的な顔立ちの少年は、返事をしたみさこを見て少し安堵したように小さく嘆息した。
そしてすまないと小さく詫びた後、険しい顔付きで顔を上げた。

「おいバーン、彼女に謝ったらどうなんだ」
「るせーな」

頭上から降ってくる不機嫌そうな声にみさこは聞き覚えがあった。先程。そうつい先刻怒鳴っていた人物の声だ。
彼を辿って視線を上げると、そこにはもう一人少年が立っていた。燃えるような深紅の髪に、ぎらぎらと強い光を放つ金色の瞳。薄い唇は見事にへの字に曲がっている。
バーンと呼ばれた少年は不機嫌そうにみさこを一瞥した。そして直ぐに視線を反らす。


「あ、の…私一体」

幾分か回復したみさこはゆっくりと上半身を起こし、睨み合う二人を見た。状況がいまいち理解できない。

「すまない。こいつが蹴ったボールが君に当たったんだ」
「ガゼルが避けるからいけねーんだよ!」

バーンのでかい声がずきずきと鈍く痛む頭に響き、みさこは右手で額を押さえる。

「いっ……!」

触れた瞬間、ズキリと痛みが彼女を襲った。

「額は暫く触らないほうがいい。打ち身になっている」

ひんやりと額に氷が押し当てられる。ガゼルからそれを受け取りながら、みさこは状況を把握しようとする。

つまり。バーンが蹴ったボールがみさこに当たり、気絶してしまった。そして二人が介抱してくれていたというわけだった。
ボールが当たって気絶した自分に動揺したが、とりあえずみさこはありがとう、と二人に言おうと思った。ボールはぶつけられたが、とても痛かったが、わざとやったわけではない。それに迷惑をかけてしまった。わざわざアイシングまで用意して介抱してくれたのだ。その厚意にはやはり感謝すべきである。

「おい、いつまでそんな顔をしているつもりなんだバーン。ぶつけた本人が謝らないでどうする」
「ふん」
「…お前は常識すらわきまえていないのか」

しかし再び彼らの舌戦が勃発し、とても口を挟める余裕はなさそうだった。

「君はすぐにカッとなる癖をいい加減直したらどうだ?バカがより引き立つだけだよ」
「バカっつったなガゼル!」
「ほらまたすぐ怒鳴る。まるで餓鬼だ」
「グラウンドに出ろ!アトミックフレアでぶっ飛ばしてやる!」

激しい言葉のぶつかり合いに、おろおろと二人を見ていると、急にびしっと指を指された。びくりと体が強張り反射的にその人物を見る。指の持ち主はバーンだった。

バーンはひどく不機嫌そうな顔をしていた。初めからそのような感じは受けていたが、よりイライラが増したような。見下すような目線でみさこを睨んでいる。

「大体避けなかったお前が悪いんだからな!ボールが飛んできたなら普通避けるだろ!ぼーっと突っ立ってんじゃねえよ」
「……!」
「どうせいつも見てる女子だろ。誰目当てか知らねーけど、お前らいっつもギャーギャーうるせーんだよ。迷惑考えてんのか」
「……!!」

憎々しげにバーンはそう吐き捨てた。あまりの衝撃にみさこは思考が停止していまい、いまいちバーンの言ってることが理解できなかった。ぎこぎこと錆び付いた思考回路が軋む。

避けなかった
お前=自分

悪い


要するに、ボールがぶつかったのはぼーっと突っ立っていたみさこがのせいであり、蹴った本人には全く何の非もないのだと。そう解釈していいのだろう。
一拍遅れて、ようやくバーンの言っていることが理解できた。同時に、みさこの中でぷつりと何かが切れる音もした。

「おい!バー…」
「ふざけんなぁっ!」

がきっと耳障りな音が夕方の空気に響く。

咆哮とともにバーンが受けたのは、みさこのきれいな右ストレート。一瞬にして怒りの臨界点を突破したみさこは手を開く余裕もなく、勇ましくグーで彼を殴り付けていた。ボールの当たった頭が痛いとか、殴った右手が痛いなんてことは感じていなかった。
頭に血液が我先にと駆け上がり、アドレナリンが大量に分泌されているからだ。

そんな興奮状態のみさことは対極に、彼らは呆気に取られていた。殴られたバーンはおろか、彼を諌めようとしていたガゼルですら、瞳を大きく見開き口をあんぐりとあけていた。

暫く、空気が、というか世界が止まってしまったかのように、三人とも微動だにしなかった。


「何なのその言い草…」

静寂を破ったのは、腹の底から出したような低い声。

「人さまにボールぶつけといてなに開き直ってんの?こっちが悪いとか聞いて呆れるわ!」

地面に尻餅を付いていたバーンを、今度はみさこが見下しそう言った。

みさこは完全に怒気をみなぎらせていた。わざとじゃないなら取り立てて怒る必要もないと思っていた。しかしそれは相手が謝ってきて、初めてそう思えることである。あのように開き直り、なおかつこちらが悪いと指を指されれば、気にしないで、なんて感情はあっという間に弾け飛んでしまう。
ここで怒るのは自然な流れだろう。

「言っとくけど、私はぼーっと突っ立ってなんかいませんでしたからね!歩いてたら突然あんたのボールが飛んできたの!この下手くそ!」
「…っなんだと!?」

みさこの暴言にはっとしたのか、バーンが立ち上がり負けじと大きな声をあげた。

「お前誰に向かって下手くそなんて言ってんだ!」
「あんた以外に誰がいるわけ?このノーコン!」
「ノーコン!?」

生まれて初めて浴びせられた言葉にバーンは素っ頓狂な声をあげた。今までサッカーにおいては、上手いすごいと持て囃されてきたことはある彼だが、ノーコンなどと評されたことは一度もなかったからだ。

「しかも!私は転入生だから今日初めてこの学校に来たの!あんたのことも知らなければ、ギャーギャーうるさい女子でもありませんから!」

言いたい事を全て吐き出し、みさこはあはあと肩で息をする。目の前に立つバーンがすごい形相で睨んでくるが彼女はひるみもしなかった。むしろ負けてたまるかと言わんばかりにガンを飛ばす。

すると、不意にぽたりと地面に何かが落ちるのを感じた。不思議に思い視線を落とすと、ぽつりとできていたのは赤い丸。

「え」

それは血だった。
今の状況とは不釣り合いの鮮血。
なんで血が、と思ったところで、目の前のバーンが狂ったように笑い出した。弾かれたように彼を見る。

「お前鼻血でてんぞ!」
「えっ…うそ!?」

思いもよらない事態に、慌てて指で鼻を触る。すると確かに手にぺとりと血が付いた。

「怒って鼻血出すやつなんて見たことねーぜ」
「あ、あああんたがボールぶつけたからでしょうが!」
「はあ?人のせいにすんなよ鼻血女!」

慌てて鞄からタオルを取り出し顔に当てる。
バーンは面白いものでも見たかのようにみさこをからかってきた。それに激しく羞恥心が刺激される。
こうなったのはバーンのボールが当たったからであるが、頭に血が昇ったせいも少なからずはあるかもしれない。
人前で鼻血が出ただけでも恥ずかしくて泣きたくなるのに、このタイミングは女の子には残酷すぎる。
なおも笑いつづけるバーンにみさこは軽く殺意を抱いた。
こんなのは人間のクズだ!と。

「死ねっ!」

みさこは渾身の力を込めて、持っていたアイシングをバーンに投げ付ける。そして脱兎のごとく校門へと走り出した。
笑い転げているバーンの顔面に、アイシングは見事にクリーンヒットした。氷の痛みと同時に衝撃で袋が破れ、入っていた水がバーンにかかった。

「…っあの女ぁぁ!」

夕暮れのグラウンドにバーンの怒声が響いた。しかし、カラスがなくばかりで声は返ってこない。覚えてろよ、と怒りに狂ったバーンは、後ろでガゼルが声を殺して笑っているのに気づかなかった。


―――――
一等星とどっちを連載にしようか迷った作品の一話目(^O^)血気盛んなヒロインが書きたかったのでかなり強い子になっています。ちなみにバーンとガゼルに挟まれる話。



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