Attention
・勢いで書いたお遊び的な内容のためバダップのキャラ崩壊注意(かっこいいバダップはいません)




 バダップ・スリード。この言葉は、大国士官学校である王牙学園では完全無欠を意味するものであった。名を冠する人物は、容姿端麗、成績優秀なだけでなく、氏素姓もすこぶる良い。この世に存在する美辞麗句の数々を並べつくしても表現できないのではないかと思わせてしまうオーラをまとい、見る者全てを圧倒する。何もかもが完璧で塗り固められ、最早一種の神々しさを放っていた。

「バダップ、この間の試験はまた君が一番だったね」

 彼の学友であるミストレが朗らかな声を放つ。
 廊下を歩いていたバダップは足を止めると、視線だけミストレに向けた。切れ長の瞳が、線の細い少年を捉える。
 大半の者はバダップが目を向けただけで身を強張らせるが、ミストレは臆することなくバダップに近付いた。
 そして、今度こそ君を打ち負かしてあげようと頑張ったんだけどな、と苦笑する。
 
「本当に敵わないよ。完璧と形容せざるを得ないね。君は」

 理知的な色を湛えた大きな瞳がゆっくりと細められた。まるで花が咲き誇るような笑顔は、周囲にいる女子がほうっと溜息を漏らすほどに美しい。ゆえに異性から恐ろしいまでの人気を博していた。彼もまた、バダップに引き続き王牙学園において特別なオーラをまとう人物のひとりなのだ。しかしバダップの神々しさは、プライドの塊であるミストレの精神を易々と打ち砕くほどに鮮烈で、絶対的だった。
 
「おいバダップ、ミストレのやつやっぱり虎視眈々とお前の座を狙ってやがるぜ。ま、お前に限って寝首を掻かれるなんてことはないだろうけどな」
「うるさいよエスカバ」
「本当の事だろーが」

 ミストレとバダップの前に現れた人物は、やはり同じように学園内で絶大な支持を得るエスカバだった。彼もまた、バダップの強烈さに打ち負かされた一人である。
 そんな影響力のある二人がバダップに添うことにより、彼の地位は何者にも破ることのできぬ堅牢な城となってそびえ立つ。
 しかし、至極御大層なものを持ちながらも本人はたいして思う所もないようだった。仕方ない。バダップは生まれてこのかた常に人の上にあり続け、誰よりも優位に立って生きてきたのだから。彼にとっては特に誇るべきでもなく、当然の日常なのだ。
 バダップは小言を言いあう二人から視線を外し、講義が始まるぞと短く告げてその場を去った。


ジーザス!


「……はあ」

 人工的な建物が並ぶ中、唯一木が生えている中庭のベンチに腰を掛けみさこは溜息を漏らした。悲愴感に暮れる表情は今にも泣き出しそうで、強靭な戦士を育成するこの王牙学園には全くと言っていいほど相応しくない。
 将来上に立つ人物を育成するための第一段階を担う王牙学園では、周囲は全て敵と教え、闘争本能を煽ることで常に人の上に立つべき人格を形成していくカリキュラムが組まれているのだ。そんな場所に、ぐすぐすと鼻を鳴らしてうずくまっている少女は異質とも見て取れた。

「今日はね、戦闘訓練があるんだよ。あれ、すっごく嫌いなんだ。だってみんな目を血走らせて襲ってくるんだもん」

 みさこは涙交じりの声で語る。

「いくら訓練だからって、怖すぎるよ。……私は別に人の上に立ちたいとか、思ってない。そんなことどうでもいい。将来は平和であったかい家庭を築いて笑って暮らせたらそれでいいのに」

 しかし、彼女の周りには誰もいなかった。
 中庭には現在彼女一人しかいないのだ。
 みさこは、水をすくうかのように合わせた掌をそっと自分の目の高さまで持ち上げた。そうして悲しげな表情からどこか不満げで怒りを含んだ表情に変化させて、唇をつんと尖らせる。

「平和主義者な乙女が、なんでこんなおっかない学校に通わなきゃいけないの?いくらお母さんだからって娘をこんなところに入学させるなんて酷過ぎる」

 ね?とみさこは目の前のものに問いかけた。しかし返事はない。

「そう思わない?カマキリさん」

 なぜならば、彼女の話し相手は人間ではなく虫だったのだ。
 このような光景を見かけた場合、大半の人がみさこのことを電波的な要素をもった変わり者だと思い、やや遠巻きにするだろう。科学技術が著しく発達した現在、オカルト類のものは忌避されるのだ。
 しかしみさこはそんなことは百も承知だった。虫と会話など出来るわけがないことも知っている。ではなぜ中庭で一人ベンチに腰掛けカマキリに愚痴っているかと言えば、答えは簡単だった。彼女には学友と呼べる友達が一人もいなかったのだ。
 平和主義をモットーとし、争い事から極力避け続けてきた幼少期。将来の夢は一戸建てに住み、大きな犬を飼って夫と子供と仲良く暮らしていきたい、という微笑ましいものだった。しかし彼女の両親は生粋の軍人であり、特に母は「女が男に負けていてはいけない」という強い思想を持った人物だった。それゆえ、迷いもなくこの王牙学園にぶち込まれ、戦闘オタクと呼んでも遜色ないプライドが凝り固まって出来たような人達に囲まれて、日々戦々恐々とした生活を送るはめになっている。
 周りは全てが敵、と教えられる彼らに取って級友とう言う概念は薄く、みさこがひそかに憧れている、放課後に買い物へ行ったりアイスを食べに行ったりといった学生の代表的な行為は行われる気配すらない。それ以前に、暇あらばこの国の行く末を愁い、戦闘フォーメーションについて議論しているクラスメイトとは全くもって話が合わない。根本的に性質が違ったのだ。
 だからみさこは愚痴を言う相手すら持つことが出来ず、孤独に耐えかね虫に話しかけることにしたのだった。
 小さな頃から広大な庭で遊んでいたため、虫に対する恐怖心は皆無だった。蜘蛛が出ようが、台所の黒い住人と出会おうが悲鳴ひとつ上げることはない。むしろ、ここ最近彼女にとって虫は親近感を持つ存在となり、彼らを見つけると手に載せては切々と自分の不幸を嘆いていたのだった。

「あ、もう授業が始まっちゃう!」

 みさこは慌てた。講義に遅れると罰が与えられるのだ。
 せっかく出会った友(といってもカマキリである)との別れは名残惜しかったが、罰は受けたくない。みさこは急いで中庭を後にした。
 中庭は校舎と校舎の間にある小ぢんまりとした空間で、建物を繋ぐ渡り廊下から屋内へ入ることが出来る。急いで渡り廊下まで戻ると、ドアの前で友達を持ったままだということに気づいた。いけない忘れてた。
 はやく草むらに返してあげないと、とそう思った時、スライド式のドアが音もなく開いた。

「あ、」

 みさこは瞠目した。
 目の前に現れたのは、バダップだったのだ。この学園の王と崇められている最も平和とかけ離れた怖い人物だ。
 バダップはドアの目の前に突っ立ていたみさこに驚いた。ドアを開けた瞬間に人が現れたのだから無理もない。双方が固まると言う奇妙な沈黙が数秒続く。
 
「あっ!」

 静寂を破ったのはみさこだった。それと同時に、バダップの視界に緑の物体が飛び込んでくる。パタパタと小さな羽音が聞こえたかと思ったらそれは彼の髪にとまり、一体なにがと考える暇もなく、ぼやけるほど近くに虫独特のギラリと不気味に光る眼が飛び込んできた。
 
「――っ」

 全身が総毛立つ。
 吐き気がしそうなほどの嫌悪感が押し寄せ、思わず口から短い悲鳴を漏らしていた。普段は冷静沈着を保っている彼だったが、今だけは思考回路がショートし、よろめきながら無我夢中で自身の髪に掴みかかっていたカマキリをはたき落とした。
 バダップに叩き落とされたカマキリは地面に落ちると、かさかさと草むらめがけて去って行った。
 節足を動かして歩く様を忌々しげに睨みつけ、バダップは乱れる呼吸を静めようとした。今の彼は心臓がばくばくと心拍数を上げ、浅い呼吸を繰り返すほどに息を切らしていたのだ。

「気味の悪い化け物め……」 
 
 バダップは歯噛みした。
 完全無欠と謳われた彼にも、一点のみ恐怖するものがある。それが虫だ。複数の細い足を蠢かせ何百匹ともわからぬ大群をつくる様子は不気味以外のなにものでもなく、ありとあらゆるところを這いまわる様はこの上なく醜悪だ。虫は、彼の美意識をこれでもかというほど逆なでてくる。技術が発達した現在、バダップはあまり虫と接する機会を持たなかったためどうしても虫の恐怖を克服できずにいたのだ。弱点とも言えなくもないこの汚点を克服せねばとは思っていたものの、生理的に受け付けないものはどうあっても受け付けない。
 
 突然バダップは、はたと我に返った。
 そして幽霊でも見るかのような奇妙な表情を浮かべながら、目の前で呆けているみさこを見た。
 心臓が再び鼓動を速めていく。
 見られた。
 自分がたじろぐ姿を。

 その事実に愕然とした。
 今まで何もかもを完璧にこなし神童と崇め奉られてきた彼にとって、他人に動揺する姿を見せる事は恥辱に値する。それだけではない。この王牙学園で完璧を謳われているのにも関わらず、自分が不得手とするものを知られればそれはたちまち弱点になってしまうのだ。戦闘において少しの動揺が決定的な障害になる。それに何より、虫が怖いなど知られれば恥さらしもいいところだ。

「お前……」

 それなのに、こんな奴に。
 バダップはみさこを睨みつけた。
 その怒気に我に返ったみさこは顔を真っ青にして震えだす。驚愕の表情が一瞬にして恐怖に変わった。
 バダップは焦りをねじ伏せ冷静さを取り戻すと、みさこへじわじわと圧力をかけた。人を屈服させる方法などいくらでも心得ている。ミストレやエスカバのような切れ者と称される者でさえ圧倒した彼なのだ、みさこのような平和ボケした少女一人など赤子の手を捻るよりも容易い。

「今ここで見たことを――」

 さて、どうやるのが一番良いものか。そう頭の中で思考を巡らせていたが、彼の言葉と共に思考はぶつ切りにされる。
 恐怖で思考回路が麻痺したみさこがくるりとバダップに背を向けると一目散に逃げ出したのだ。
 そのあまりにも潔い逃げっぷりにバダップは一瞬圧倒されてしまった。泥棒もびっくりの素早さだ。
 
 しかし、このまま逃がすわけにはいかなかった。
 なんとしても捕まえなくては。
 バダップは再び歯噛みすると、小さくなりつつあるみさこの後ろ姿を追った。




 が、しかし結果から言うとバダップはみさこを捕まえられなかった。
 彼は今自身の教室で眉間にしわを寄せている。こんなに感情をかき乱されたのは本当に小さな幼少期以来だった。その相手がちんちくりんの小娘だったということがとてつもなく腹立たしかった。
 自然と刻まれたしわが深くなる。

 鬼ごっこの末バダップはすぐそこまで追いつきはしたものの、すんでのところでみさこが女子トイレに逃げ込んだのだ。女子トイレは女の聖域であり、決して男子が踏み込んでよい場所ではない。非常事態のためそうも言ってらなかったが、扉を開けた瞬間、たまたまトイレに来ていた女生徒と鉢合わせ悲鳴を上げられた。そんな状況に晒されてはさすがのバダップも引かざるを得なくなり、悲鳴を聞きつけた教官が集まってくる前に、間違えた、となんとも苦しい言い訳で彼女を無理やり納得させて教室へ帰ったのだ。
 内心ひどく混乱していたせいでもあった。誉れ高きスリードの姓を持つ存在が、女子トイレに侵入しようとしたなどという噂が広まれば末代までの大恥だ。

――まさか自分がこんなにも失態を重ねるとは。

 未だかつて経験したことのない事態に、バダップは困惑しつつもめらめらと闘志を燃やした。これまで常に成功は彼と共に在り屈辱や混乱は与えるものに他ならなかった。
 それなのにこんなにも自分を混乱の境地に陥れ、あまつさえ弱みを握って逃亡をしてのけたあの女を、必ず見つけ出してやる。
 バダップはそう心に誓った。
 記憶力はいい。そのためバダップはみさこ顔も声も態度も、顔にあるほくろの位置でさえ鮮明に覚えており、絶対に見つけ出せるという確固たる自身があった。

「今に見ていろあの虫女……」

 小さく小さく呟かれたバダップの呟きは、講義をしていた教官の声にかき消された。



 そんなバダップの決意を知らないみさこは、学園の王から逃げ切ったことに安堵し、バダップの『完全無欠』にヒビを入れてしまったなんてことを知る由もなく呑気に一息ついていたのだった。



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