朝は一緒に登校するっていう約束を交わしていたので、翌日私はグランと待ち合わせをしている場所にいった。 その道は、学校の通学路より一本奥にあるせいか、朝にも関わらず人通りが少ない。 私が到着するとグランはもう着いていた。 「おはよう」 相変わらず爽やかな笑顔だ。今までグランの笑顔を見ると神経が逆なでされて仕方がなかったのに、今は不思議と嫌な気がしなかった。たぶん昨日グランの色んな表情を見たからかもしれない。今まではただの最低なやつだったけど、それだけじゃなくなった。グランも自分の中に抱えてるものがあったんだ。 でも、やっぱりやり方は最低で褒められたもんじゃない。相変わらず私はこの人が好きじゃないし、殴らせてくれるなら喜んでほっぺたに拳をお見舞いするくらいには恨んでる。 「行こうか」 「待って」 静止の声をかけると、グランはきょとんと私を見てきた。 「私ね、昨日考えたんだ」 「……なにを?」 「最初、グランのこと人間のクズだと思った。人の気持ちをおもちゃみたいにいじくりまわして笑って、生きてる価値ないんじゃないのって何回も思ったよ」 「朝から随分キツイこと言うね…」 「でも、昨日グランの話を聞いて、その最低な行動にも理由があったことを知ったよ。まあやり方は褒められたもんじゃないけど」 私は昨日一晩考えたことを話す。 グランを取り巻くものが何なのか。今の状況をどうすればいいのか。でも材料が完璧に揃ってないせいか良案は浮かばなかった。私自身もまだきちんと一昨日の事に整理が付けられてないせいもあるんだろう。結局考えがまとまらなくて参ることになったんだけど、でも、それでも考えたなりには行動してみようと思った。 私は顔を上げてまっすぐグランの瞳を見つめる。グランも私の目を覗き返してきた。 いつも婉曲な表現ばっかり使ってかわすような態度を取られてきたから、本当の意味で初めてグランと話すような気がした。この辺りがグランにも一応誠意ってものがあるんだということを知らせる。 それが私の決断を後押しした。 「ムカつくけど、一昨日の事は許してないけど、でも、もう片足突っ込んじゃったし――」 「……みさこ?」 「付き合ってあげるよ。グランの茶番に」 私の言葉に、グランの双眸が見開かれる。 切れ長の目が今は真ん丸になっていた。 「その代わりグランは考えて。これは最善の方法なの?」 私の至った結論とは、とりあえずはグランの意識を変えることが一番いいんじゃないかというものだ。 人を好きになる気持ちが理解できないのはわかった。グランの話を聞いてたら納得も出来た。でも、だからと言って人を思いやることまで出来なくなっちゃうわけじゃないと私は思う。嫌がる人を無理やり彼女にして、自分も私も周りの女の子も傷つけていく。今の方法じゃ誰も救われない。みんな心を痛めてるだけだ。 いくらグランが抱えてるものが大きかったとしても、やっぱり今みたいな状況は間違ってる。正しくないと、私は思った。 だからグランにはそれを考えてもらわなきゃいけない。 自分で気づいて変わってほしい。 そう意思を込めてグランの瞳を見つめると、困ったような顔をされる。 「……君ってお節介だって言われない?」 「言われるかも」 「だろうね。一晩オレのこと考えててくれたのは嬉しいけど、黙ってオレの彼女を演じてくれればいいんだけどなあ。そっちのほうがみさこにとっても楽じゃないか?」 「そんなの嫌だ」 「この間みたいなことはもうしないよ」 この間の事、と言われて少しだけ心がちくちくした。でもいつまでもくよくよしてたって仕方ない。諦めは心の養生っていうことわざがあるみたいに、いつまでもグランを恨んでいたって精神的に辛くなるだけだし、時間だって無駄になる。悲しきかな彼に全く相手にされてないってわかったなら、思い切って彼女の振りをしてやろうって思った。 私は、一歩グランに近付いた。 「私、多分、かなりお節介なんだ」 「今身にしみてわかったよ」 「うん。だからね、ひねくれた最低野郎がほっとけないんだ。真剣に向き合って更生させてやろうって思っちゃうんだよね」 グランにされた様ににっこりと笑い返すと苦虫を噛み潰したような顔をする。それが少しだけ愉快だった。 「オレは人選ミスしたかもしれないな」 「なら今からやめる?そうしてくれるなら泣いて喜ぶんだけど」 泣き真似をしておどけてみれば心底疎ましそうな視線を向けられる。結構結構。 ここ数日で気付いたけど、グランと対峙するためには奴のペースに呑まれるのが一番厄介だってことに気付いた。頭に血が上って食ってかかったらあっという間に上手く丸めこまれちゃう。だから冷静に対処することが必要になってくる。 どうするの?とわざとらしく問いかけると、グランはため息をついた。がしがしと頭をかく仕草は普段グランがまとっている優雅さとはかけ離れてて、年相応の少年に見えた。 「…考えても変わらないと思うけどなあ」 「でも考えないよりはずっといいよ」 「……」 「考えてくれる?」 グランは嫌なものでも見るみたいな視線を寄越してきた。でも今までの貼紙みたいな笑顔より断然いい。だってあれ人間味が感じられないんだもん。何考えてるかさっぱりわかんないし。だったら今みたいに感情が剥き出しのほうが真剣に向き合っていける。 生徒たちの雑踏が次第に大きくなる。もうすぐチャイムが鳴るんだろう。この道にもちらほら人が通り始めたから、もうそろそろ話しにケリをつけた方がいい。 「グランが真剣に考えてくれるなら、私も彼女のふりに付き合う」 私の言葉を咀嚼するように、グランが皓皓とした瞳でじっと私を見つめる。私も負けじと見つめ返した。 グランは今までこうやって正面切って人と向き合うことを避けてきたのかもしれない。それよりは波風立たないようにかわしたり一人歩きする噂も放っておくことを重視して自身を守っていたのかも。誰かと付き合っただけであんなに騒がれるんだから、それも十分考えられる。でもそんな脆い保身は続かない。いつか壊れる日が来る。 暫し沈黙が続いた。 横を通り抜けた生徒は、言葉を交わすでもなく睨みあう様に対峙してる私たちを見て不思議そうな視線を送ってきた。静かな道にも少しずつだけど生徒の姿が増えていった。 「……わかったよ」 そろそろまずいかな、と思いかけた頃にグランが溜息と共に呟いた。 自然と顔が綻んだ。富士山の頂上に登ったんじゃないかってくらいの大きな達成感が溢れてくる。 「みさこって本当に今まで周りにいなかったタイプだよ」 そんな私とは対照的に、グランは不満顔だった。あ、なんかすごくすっきりした。してやったり、っていうのかな。こういう感覚。今まで散々引っ掻き回されたからそのお返しだ。 「そう?」 「うん。笑って話せば大抵の女の子はここまで刃向ってこない」 「ちょっと甘いこと言えば、皆浮足立って思い通りに丸めこめるしね。あー怖い怖い」 「……厄介なもの引っかけたかもしれないな」 「私にとってグランだって厄介以外の何ものでもないんだから」 「気が合うね、オレたち」 「やめてよ気持ち悪い……」 「みさこってさあ、女の子なのに全然可愛くない」 「別にグランに可愛いなんて思ってもらわなくて結構」 「口も悪いし」 「グランだって性格悪いでしょ」 「ああ言えばこう言う」 「自分もそうだって自覚してる?」 少しの間、程度の低い舌戦が暫く繰り広げられた。 そうしている間に時間がずいぶん経ってたらしく、予鈴が鳴った。それにハッとする。やばい。 あと5分で門が閉まる。 「や、ば!遅刻するっ!」 「みさこのせいだ」 「は!?」 「みさこの話が長いからだよ」 「自分だって黙ってる時間長かったじゃん!って、そんなこと言ってる暇があったら走って!」 開き直ったように文句をたれるグランの腕を引っ掴んで、私は無我夢中で走り出した。 月に遅刻を4回すると裏庭の草むしりっていう最悪のペナルティが与えられる。朝に弱い私はすでに2回分たまってて今日遅刻したらリーチがかかっちゃう。一大事だよ!中庭みたいな馬鹿デカイとこの草むしりなんて絶対やりたくない。むさ苦しい熱血体育教師と仲良く雑草刈りなんて想像しただけで泣きたくなる。 全力で走ってるからかローファーが脱げそうになった。やばい、これはいつか転びそうな予感。 「変な走り方だね」 「これはっ!ローファーなんだから仕方ないっ!」 人が一生懸命走ってるのに、グランは涼しそうな顔をしながら人の走り方にケチを付けてきた。いつの間にかグランは笑ってていつもの調子を取り戻したみたいだ、って思ったけど純粋に私の走り方が面白くて笑ってるみたいだ。その割に足は遅いんだね、なんて小馬鹿にしてきた。な、なんか態度違うんだけど! 「ほら、頑張って」 「う、わ…っ!」 さっきまで私が引っ張っていたのに、いつの間にか私がグランに引っ張られていた。さすが体育会系。私なんかよりもずっと速い。速いけどぐいぐい引っ張られるから、あ、足が、もつれそう! なんとか踏ん張っていると、門の近くまでもうすぐになってた。 あと少し!よかったこれなら間に合いそう! 滑り込みセー…… 「グランてめぇ!」 しかし私の願いはもろくも崩れ去ることになる。 キキーッとタイヤが擦れる音が、鼓膜に暴力的な振動を伝えてきた。次いで、強く腕を引かれる。 びっくりして振り返れば、目の前に、ほんと30センチくらい前に自転車が止まってて、心臓まで止まるかと思った。思わず地面にへたり混んでしまう。 あ、危な!轢かれる所だったんじゃない!?これって。 「おい危ないだろ!」 「ったく…なんで避けたんだよ!当たっとけ」 「ふざけるなよ!」 突然の事態に、私の頭は勝手に臨時休業の看板を掲げ出した。思考が働かなくて、いまいち事態が掴めない。頭のすみでグランが慌てたような声を出してるなんてぼんやり考える。 とりあえず吹き出す冷や汗をぬぐいながら、ゆっくり自転車の持ち主を見上げる。 そこには、燃えるように赤い髪が印象的な男の子がいた。 |