グランに手を引かれるまま屋上へ来るとチャイムが鳴った。もう朝のホームルームが始まるんだろう。今更戻るのも教室に入りづらくて、とりあえずグランについて給水タンクの近くまで歩いてきた。

「大丈夫?」

朗らかな問いが耳を打つ。

「何が」
「さっき青い顔してたから」

こちらをにこやかに見やるグランを睨みつければ、苦笑された。

「何か変なこと言われた?」
「別に」
「そう」

ならよかった。そう言ってグランは握っていた手を離した。
今まで奴に手を握られたままだったってことに気付いて私は慌てて腕を制服で拭った。そのあからさまな態度を見て、グランは小言を言うわけでもなく、再び苦笑する。
私は少しだけ違和感を覚えた。なんか、ちょっと昨日と違う?

グランは屋上をぐるっと囲っているフェンスにもたれかかった。
ぎし、と金属が軋む音が聞こえる。それは静かなこの屋上でやけに大きく響いた。
私は顔をしかめた。なんだかさっきの歪な空間を思い出してしまったのだ。

「女の子って本当にああいう話題に敏感だよね」

つくづく参るよ。と小さくため息を漏らした。

「相手がグランだから余計にね」

昨日のことを私はまだ許したわけじゃない。許すつもりなんてない。もう十発くらい殴らせてくれたら考えてもいいけど。
だったらどうして今こうしてグランと向かい合っているかというと、それは奴に違和感を覚えたからだ。昨日と違う態度もそうだけど、それよりも教室で聞いたことが私の中に首をもたげている。
もしかして、グランは自分のことをあることないこと語られてるのを聞いてるんじゃないかな。

「私たちの話いつから聞いてたの?」
「ああ、みさこが大丈夫って言ってくれた辺りからだよ」
「あれは……!ただ、口から勝手に出ただけだから!」
「名演技だったよ。一瞬本気にしそうだった」
「ふ、ふざけないで!私は真面目な話をしてるの!」
「真面目な話?」

私の言葉に、グランがきょとんとした。

「やっぱり何かされたの?」
「そうじゃない」

きっぱりと否定すると、グランは柳眉を寄せた。心底わからないといった感じに。
今まで陶器のような笑顔ばっかり見てきたから、なんだか新鮮かもしれない。と、私の思考が脱線しかけているとグランに名前を呼ばれた。返答の催促らしい。

「……グランは、何とも思ってないの?」
「何が?」

少しためらう。気になったから聞いたんだけど、これ以上尋ねていいのか自信がなくなってきた。だって、自分のこと好きかって言われてるのを聞いちゃって、それをどう思ってるかなんて訊ねては、本人に悪口の詳細を告げるような気分になってくるのだ。下手したら深く心を抉ることにもなりかねない。クラスの子たちに悪気はなかったんだろうけど、あんなこと言われていい気分の人はいない。
だけどグランが催促してくるから私は思い切って聞くことにした。

よくよく考えてみたら、こいつの心配なんて無用だ。

「何がって……自分の事あんな風に言われてだよ」
「あんなこと、って?遊び人とか?」
「それもそうだけど!ま、股がけしてるんじゃないかとか…そんなこと」
「ああ、その事か。別に何とも思わないよ」

あっさりと。グランが否定する。それに面食らった。

「も、もしかして事実…?」
「あはは、流石にそんなことしてないよ」
「一昨日は随分な別れ方してたみたいだけど」
「それは彼女が突っ走っちゃったからかな」
「へー、ふーん」
「信じてないね。彼女が付き合ってって本当にしつこかったから別にいいよって返事したんだ。牽制になればいいかって思って。その時ちゃんと好きじゃないけどそれでもいいならって言ったんだけどね」
「良く成立したねその関係」
「まあね。で、一昨日は私を好きじゃないの?って聞かれて、最初からそう言ってたよって素直に言ったらああなった」

ああなったって。
思わずため息が漏れた。この人女心を最悪の形で打ち砕いてる。相変わらず最低野郎だけど、付き合った相手の女の子も女の子だ。

「じゃあ女の子とっかえひっかえしてるってのは?」
「まさか。女の子から逃れたくてみさこと付き合ってるのに」

言われてみれば確かに。じゃあ、クラスの子が言ってたことは間違ってるんだ。グランがそういうことを彷彿させるような行動を取ってるのも悪いけど、だからって勝手に、自分たちの先入観であんな笑い話みたいにしていいわけじゃない。悪意がなくたって悪口になるんだ。私がもしやられたらすごく腹立つし、悲しくなる。
じゃあ、それを聞かされたグランは?

「グランは勝手にあることないこと想像されて嫌じゃないの?」
「うん」

だけどやっぱりグランから返ってくるのはあっけらかんとした否定の言葉だった。さわさわと吹き抜ける風が赤い髪を弄ぶ。そのせいで良く表情がうかがえなかったけど、多分さっきみたいに笑っている気がした。

「気にならないよ、もう慣れたから」
「慣れた、って…」
「だってそんなこと言われるの今に始まったことじゃないし」
「でも傷ついたりしない?私だったら嫌だよ、根も葉もないこと勝手に噂されるの。そんなの悲しい」
「最初はあんまりいい気分じゃなかったけど、本当に慣れちゃったんだ」
「……」

グランが笑った。人間は適応するからね。なんておどけながら。

「もしかして」
「ん?」
「オレを心配してくれてる?」
「それはない」
「取りつく島もないね」

当たり前だ。なんで私がグランのことを心配しなきゃいけないんだ。ちょっと気になっただけであって、断じてグランを心配して訊ねたんじゃない。そんな私の態度に、はは、っと声を立てて笑うとグランは空を仰いだ。
一回大きく深呼吸する。そしてオレさ、と話し始めた。

「正直女の子苦手なんだ」
「え?」

意外な言葉が出てきたと思った。むしろ女なれしてると思ったのに。

「確かにオレは魅力的だと思うよ。顔もいいし、サッカーも出来るし、お金持ちだし」
「……は?」
「優しいし、頭もいい。非の打ちどころがないね」
「……はい?」

えっと。
どこが非の打ちどころがないのか百回ほど説明してほしい。性格にかなりの難ありですけど。
突如自分のことを自慢しだしたグランに瞼が平らになる。少しだけ奴に同情しかけてたのに、その感情が宇宙の彼方へ飛んで行った。

「でもさ、そんなの――全部表面上なのにね」

だけど、グランが少しだけ寂しそうに笑ったから私は奴に釘づけになってしまった。初めて見たんだ。そんな表情。

「告白してくる子ってさ、大抵オレが優しいって言うんだ。優しくてかっこいいところが好きなんだって」
「グラン?」
「実際のオレは、こんなんなのに」
「……」
「オレは優しくないし、かっこよくなんてない。オレのこと好きっていっときながら、彼女たちは何も知らないんだよ。それなのに好きって言われても困るしかなかったよ。だから女の子は苦手なんだ」
「……」
「ねえみさこ、好きって……なんて陳腐な言葉なんだろうね」


私は、少しだけこの人をかわいそうだと思ってしまった。
さっき自分の事を言われたわけじゃないのに、すごく嫌な気分になった。たぶん怖かったんだと思う。あっという間に負の感情がみんなに伝播していったのが。歪な空間では、こっちの正常は通用しなくて、周り次第でわけもなく異常のレッテルを貼りつけられる。噂と気分と推測で全てが決められちゃう。さっきのグランみたいに。
女の子って集団になってそういうことよくやるよね。まあ私も人の事言えないけどさ。
グランが言ってためんどくさいってこんな感じのことなのかな。常日頃からみんなの注目の的で、何かするたびに持て囃されたり陰で否定されたり。いつの間にか勝手に自分の人格を作り上げられている。
そんな歪な空間から逃げ出したいって思ったのかな。
だから私には、経験のない人にはわからないって怒ったのかもしれない。


「昨日はごめん」

ぼうっとグランを見つめていたら、唐突にそう言われて一瞬何のことか分からなかった。
それまでフェンスにもたれかかっていた身体を起こすと、グランは私の前まで歩いてきた。昨日までの嫌というほどに疎ましかった笑顔の仮面はない。至極真面目な、それでどこか戸惑ったような色をたたえていた。

「オレはみさこの気持ちが分からないんだ」
「私の気持ち…?」
「好きって気持ちかな。オレにとってそれは何の価値もないんだ。だから相手のことも自分を理解していない夢追い人にしか思えない。みさこの言うように思いやれない。所詮恋なんて感情の押し付け合いだって思ってる」
「……」
「泣かせるつもりなんてなかったんだ。あんなにみさこを傷つけると思わなかった」

ごめん。
もう一度紡がれた言葉がなんだか胸にしみた。

そしてそれと同時に、ふと疑問が浮かぶ。どうしてグランは自分を偽ってるんだろう。辛いなら、本当の自分を晒してしまえば少しは楽になるのに。女の子の幻想くらい、お得意の性悪な性格でひとつ残らずぶち破ってやればいいのに。そのほうが絶対肩の荷が下りる。優等生じゃなくたっていいじゃないか。私は、偽りだらけのグランよりも今の自分の感情を吐露してるグランのほうがよっぽど人間めいてると思う。

「ねえ」

この疑問は、前も感じたことがある。グランが怒ったときに。

「グランはどうして自分を偽るの?」

偽り続けると、いつか本当の自分が消えていく。

だけど答えは聞けなかった。
少し驚いたような顔を見せると、グランは力なく笑った。そして、もうすぐ授業が始まるから戻ろうと歩きだしてしまったのだ。


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