「随分積もってんな……」

見渡す限りの白亜の世界に不動は感嘆の声を上げた。

朝起きてみると、この地方にしては珍しく雪が積もっていたのだ。うっすらと車のガラスを覆うような控えめなものではなく、辺り一面を真っ白に染め上げてしまうほどにたくさんの雪が降り注いでいた。そして今もなおせっせと白い草原を広げている最中だ。そう言えば昨夜のニュースで大寒波が訪れるなんてこと言ってたな、と思考を巡らせながら不動はカラカラと窓を開ける。
冬の匂いと共に身を刺すような寒さが部屋に入り込み、雪がはらりと侵入する。母親が来たら床が濡れると怒るだろうが、特にそれを気に留めることもなくサッシに手をかけた。
窓から少し身を乗り出す。全身に雪が降り注いで冷たかった。

はあ、と大きく息を吐けば、それは真っ白なもやとなってあっけなく消えていく。
不意に白に呑まれてしまいそうだなんていう突拍子もない考えが浮かんできた。それは恐らく、雪があまりにも静かに降っているからだ。音もなく振ってくる雪は周りの音さえかき消してしまうのだろうか、外は驚くくらい静まり返っていた。
そして、一面の白は世界から色が奪われてしまったようにも見える。音も色も、そして今雪が降り注いでいる自分自身さえもその中に埋もれていくのではないのだろうかと、そんな錯覚を抱くのだ。

全てが真っ白になって失われそうだ。はじめからそこに存在しなかったかのように。

柄にもなく、不動はそんな取りとめもないことを考えていた。

冷静に考えれば、雪が降っているのでただ皆が出かけるのを控えているのであり、それにより人気が少なく静かな空間が生まれているのだという答えに行きつくが、今はそういった理屈を心が拒んでいる。一体自分はどうしたんだ。その思いさえわずらわしい。雪は思考さえ奪っていくのだろうか。

不動は緑の双眸を細めた。

――みさこに会いたい

脳裏に少し寂しげに笑う幼馴染の顔がよぎった。

みさことは幼い時からいつも一緒にいて、桜が咲く春も、スイカで涼を取るほどに熱い夏も、冬支度を手伝い一緒にこたつを引っ張りだす秋も、そして今日のように凍えるほどに寒い冬も、どんな季節も共に過ごしてきた。
決して恋人同士という甘い関係ではない。そんな言葉では言い表せないと不動は思っている。自分が自分であるために必要不可欠な存在というのもどこか違うが、幼い自分を支えてきた存在であることは確かだった。そして同様に彼女も不動を必要としていたこともわかっている。その密かな愉悦が今の不動を形成した。

もう一度、はあっと息を吐き出して不動はみさこの家がある方角を見た。もしかしたら、今頃あいつも自分と同じように雪に呑まれかけているのかもしれない。なんて。根拠もない考えに笑ってしまった。

いつの間にか寝巻が真っ白になっていることに気付いて、不動は思いっきり雪を払い落とす。同時に少しだけ開きかけた感傷の扉を固く閉ざした。白雪に当てられて自己憐憫に陥っていたようだ。

いつの間にか部屋は冷え切っていた。不動はぶるりと身震いすると窓を閉める。そしてもう一度布団に潜り込もうと企む。運よく今日は休日だ。こんな雪じゃ部活もないだろう。

「あ、」

そう思ってわずかに温かい布団に片足を突っ込むと、枕元に置かれた携帯が振動した。ディスプレイには見慣れた名前。
ふ、と口元が緩んだ。

「……なんだよ朝っぱらから」
『明王、雪降ってる!』
「見りゃわかる」
『ちょっと……そうだなーとかすごいなーとか気の利いた事言えないわけ?』
「オレにそんなもんを求めんな。雪なんて降っても寒いだけじゃねぇか」
『夢がないんだね明王って』
「みさこみたいにガキじゃねえだけだ」
『ちょっとどういう意味!?』

電話越しに聞こえてくる声を聞いていると、先ほど不動が呑まれそうになっていた雪が溶けだしていく。

「で、なんで電話してきたんだよ」
『え、それは……雪が降ってたから』
「それだけか?」
『べ、別にそれ以外の深い意味なんかないよ』
「ふーん」
『ただ、』
「ただ?」
『あんまり雪が静かに降るから、なんか、ちょっと誰かの声が聞きたくなって――』

そんで、誰でもよかったんだけど、たまたま履歴の一番上が明王だったから、とみさこはもごもごとくぐもった声で話しだした。

なんだ、考えてることは同じか。

そう思うとなぜか大きな声を立てて笑ってしまいそうになる。だが、必死にこらえた。自分もみさこに会いたいと思ったことを悟られたくなかったのだ。同じことを思っていたなんて、気恥ずかしすぎて口が裂けても言いたくない。

「今すっげえみかん食いたい」
『えー……じゃあ家くる?』
「しょうがないから行ってやるよ。どうせ一人じゃ食べきれないんだろ」
『だって毎年すっごいいっぱい買ってくるんだよ?一人で段ボールひと箱食べきれるかっての』
「食い意地だけが取り柄じゃなかったのかよ」
『なにそれ』
「言葉のまんま。春は団子、夏はスイカ、秋は芋で冬はみかんに餅だろ。年がら年中食べてんじゃねえか」
『ひ、ひど!そんなに食べてないですけど!ってか明王だって一緒に食べてるじゃん』
「オレは成長期の男の子だから問題ないんだよ」
『私だって成長期だもん』
「縦じゃなくて横のな」
『はあああ!?』

電話越しにぎゃーぎゃーと文句を垂れるみさこの声を聞きながら、相も変わらず白い窓の外を見て不動は小さく笑う。

「みさこ、朝ご飯は?」
『まだ食べてないけど……どうせ一食くらい抜けって言いたいんでしょ!』
「ばーか。違えよ。まだ喰ってないなら待ってろ。鏡もち持ってく」
『あ、鏡開き!』
「ああ。家にあってもなかなか食べねーから」
『焼く?お雑煮が良い?』
「お雑煮」
『はいはい。じゃあ下ごしらえしとく』
「20分くらいで行くからちゃんと準備しとけよ」
『明王って昔からいちいち偉そうなんだよね……』
「まあな」
『褒めてないんですけど』

ぶつぶつと小言を呟いていたみさこにじゃあなと言って電話を切ると、不動はのろのろと着替え始めた。

もう、いくら雪を見つめても呑みこまれそうだとは思わなかった。

先ほど感じていた喪失感はいつの間にか姿を消していた。



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