一日目のご飯は、合宿定番のカレーだった。せっかく空気がおいしいとのことで、外で夕食を取ることになった。うっすらと群青色に染まる空は哀愁を漂わせているが、テーブルが並ぶ広場は選手たちの高揚とした空気で満ちている。ご飯にありつけるということと、今日の厳しい練習が終わったことが相まってこのような雰囲気になっているのだろう。

宿舎の人を手伝って、夕食の配膳係をやっていたみさこは、その空気を肌で感じながら自分も早くご飯が食べたいと思っていた。

今日という一日は思った以上に疲れた。初めてのマネージャー業は意外と大変なことが多かった。戸惑うことばかりで、失敗もした。そして怒られもしたのだ。

美味しそうに湯気を立てるカレーをお盆の上に載せながら、ちらりと視線をある方へ向ける。そこにいるのは不動。昼間彼女を叱咤した人物だ。彼は今、みさこの中で鬼門になりつつある。もともと気が短いようで、よく怒る。それは今日の練習で起こったいざこざで判明した。そして周りに対する配慮にも欠けることがわかったのだ。今日、怒られる原因を作ったのはみさこだ。よそ見をしていて飲めたもんじゃないドリンクを作ってしまった。しかし、それにしてもあそこまで怒鳴らなくてもいいとは思っていた。不動はあの時虫の居所が悪かったはずだ。少なからず、というか絶対に八つ当たりも入っている。
それに関してはみさこは理不尽な八つ当たりをするなと抗議をしてもいいだろう。しかし、怖くて出来ないが。

今日の出来事が今までの印象に上乗せされて、みさこは不動にますます苦手意識を抱いていた。

その不動は気だるげにあくびをしていた。はしゃぐ周りの空気に全くとけこめていない。

そこまで考えて彼から目を反らした。もう奴の事は頭から追い出そう。考えるぶんだけ苦い水を飲まされている気分だった。そう決めて、みさこはお盆に乗ったカレーを睨みつけた。


GASSYUKU!4


「あ、」

最後まで配膳を手伝っていたみさこは、必然的に席に着くのが遅くなる。秋は円堂に呼ばれて、明日の練習メニューの調整を兼ねて彼の近くに座ってしまった。春奈は木暮のいたずらを防ぐために大声で追いかけて行ってしまった。残されたみさこはというと、空いてる場所を見て冷や汗を浮かべていた。

座席は既にほとんど埋まっていて、空いているのは端っこのみ。反対側は監督や古株さんなど大人が座っている。そしてこちら側は。

「……」

ゆっくりと瞼が上がり、緑色の目が彼女を捉える。それはもう嫌というほど見なれた色だ。深緑を彷彿させる緑。
やっぱり自分には過酷な試練が与えられている。みさこは今日一日の事を思い返して項垂れた。向こう側に座ることは出来ない。大人二人は真剣な顔で話をしている。そんな中に割り込んでいくのは気が引ける。なによりも監督がとても怖いのだ。
そうなると、やはり彼女に選択肢はないわけで。
バスの座席と同様、こっちを見て舌打ちをしてきた不動の隣に座るしかないのだ。
せめて不動がその向こうに座っている立向居と場所が逆だったら、と嘆くも状況は変わらない。立って食べるか、不動の隣に座るかどっちかだ。

「隣、座っていい?」

おずおずと不動に断りを入れる。またお前かなんて睨まれたが、そんなことを言われてもみさこにはどうしようもない。じゃあ立って食べればいいんですかと突っかかりたい衝動に駆られた。しかし不動ならそうしろよなってさらっと返されそうだったので止めておく。それに昼間みたく怒られるのも御免だった。

むっつりと黙りこんでいると、心がざわざわと波打ってきた。

なんで自分ばっかりこんな仕打ちを受けなきゃいけないんだ。こっちだって好きであんたに関わっているわけじゃない。だが、どうしてか関わらざるを得ない状況が出来上がっている。だったら少しは歩み寄る姿勢を見せたっていいんじゃないのか。仕方がないと割り切って、もう少し高圧的な態度をどうにかしたらどうなんだ。

知らず知らずのうちにきつく唇をかみしめていた。目の奥がツンと痛む。


「…勝手にしろ」

不動の言葉を受けて、やや乱暴に席に着いた。がちゃんと食器が鳴る。

周りはとても賑やかだ。今日の練習の話や自分の中学の事、友人の事などをしきりに話していた。楽しい食事の風景である。しかしみさこと不動はやはり無言だった。もくもくとカレーを口に運ぶことに意識を集中させる。

日はいつの間にか沈んでいて、電灯がポっと灯る。山の夜は他に明かりがなく、いつもは薄暗い印象を受ける蛍光灯がとても明るく感じる。無機質な光に誘われるように顔を上げると、綱海を視界にとらえた。彼はいつもみたく大きく口を広げて笑っている。その笑顔は太陽を彷彿させ、昼間の事を思い出したみさこは小さく笑った。張り詰めていた気持ちが少しだけ緩む。

そして隣で黙々と食事を続ける人物に思考を傾けた。世の中にはああもおおらかな人がいるのに、どうして不動はこうもツンケンしているのか。そんなに人に意地悪をして何が楽しいのか。全然わからない。他人を傷つけるだけじゃなく、自分にだってメリットは何もないはずなのに。
もう少し、というか大分、彼は綱海のことを見習うべきだ。みさこは勢いよくカレーを口に含んでそう思った。



暫く周りの喧騒に耳を傾けながら食事を続けていると、隣からコツコツと食器が擦れる音が聞こえるようになった。不動の方を見ないと決めていたみさこは、初め気にしないことにした。しかし、いつまでたってもその不可解な音は鳴り止まない。

コツコツコツ。

止んだと思ったら再びコツコツと鳴りはじめるのだ。

――もしかして不動君が遊んでるの?
みさこの意識が少しだけその音に引き寄せられる。さっきまであった怒りは消えたわけではない。しかし、それ以上に何をしているのかという好奇心がぐいぐい彼女の意識を引っ張った。
気になる。ものすごく気になる。それに少しだけ耳障りだ。一体なにをしてるのか。隣人は。

なおも鳴り続ける音に負けて、みさこは気付かれないようにそっと視線を彼へと傾けた。

音の正体はやはり不動がスプーンで皿を小突いていた音だった。そしてみさこの意識は皿の上にあるものへと移って行った。大き目に切られたと思われるオレンジ色のもの。カレーの中に入っていたニンジンだ。
白い皿はそれがいくつも残っていた。
どうやらそれを小さく切っているようだった。一口サイズ、なんて大きさじゃない。みじん切りに入るのではないかという大きさにだ。もう潰していると言った方がいいのかもしれない。
そしてそれをすくうと、ものすごく嫌そうな顔をして口に含んでいた。いつもより数倍眉間のしわも深い。


「ニンジン嫌いなの?」

思わず口からこぼれた。ほぼ無意識に。ポロリと出た、というあれだ。
それに対する不動の反応はかなり大仰なもので、彼女がスプーンを取り落としそうな勢いで睨みつける。

「嫌いじゃねえ」

そしてすかさず一言一句はっきりと、不動は否定した。
すごみに負けて頷きそうになるが、その様がかえって彼の嘘を確信付けているのは誰にでも見てとれるだろう。お皿で無残につぶされたオレンジ色の野菜と合わせると確信せざるを得ない。

「でも、」
「うるせぇな。違うって言ってんだろ」

あからさまな舌打ちをしたかと思うと、不動はみさこから一旦視線を外す。そして、自分の皿から大き目のニンジンをすくい取ると、思い切ったように口に運んだ。どうやらみさこに嫌いではないと証明しているようだが、残念なことにだんだんと眉がひそめられる。どう見ても嫌いなものを頑張って食べているようにしか見えなかった。
みさこはついさっきまで感じていた怒りも忘れ、暫くその様子を静観していた。

今の不動の態度を言葉で表すならば「強がり」と言えばしっくりくるだろか。本当は嫌いなのに、虚勢を張って誤魔化す。真実を指摘されれば意地を張って否定する。
典型的な天邪鬼だ。

みさこの頭に、もしかしたらなんて考えが浮かんでくる。
もしかしたら不動は、ものすごく不器用な人なのではないか。自分本位であることは間違いないが、それだけではなく、自分の思っていることを素直に形にできない。それによって人から誤解を受けてしまう。本人もそれを否定しないため、歪んだ性格として受け取られている部分があるのでは。

今日バスの中で見せた優しさは、みさこの体調が悪いという要因が彼の普段見せない本当の部分を見せたのではないか。

そんな考えを、みさこは頭を振って否定した。何を考えているんだ自分は。今日散々嫌な思いをさせられたことは紛れもない事実だ。そして理不尽な態度に腹も立てて、不動はやっぱり自分勝手だと心に刻んだはず。仮に、もし、万が一内面に優しさがあったとしても、あの態度と口の悪さはやっぱり頂けない。それで全て帳消しだ。

不動はいつの間にかニンジンを食べる作業を再会していて、相変わらず表情は険しい。しかし強がっているのだろう、スプーンでつぶす行為はやめたみたいだ。


夕食を済ませた選手が一人、また一人と席を立つ。みさこはそれに気づくと、自分の皿に残っているカレーをスプーンですくった。そこには大きく切られたニンジン。みさこにとってはなんとでもない。


「わ、私…」

口に運ぶはずスプーンを皿の上に戻す。

「ああ?」

別に、放っておけばいい。散々嫌なことをされた相手なんか。不動が好きかと問われれば嫌いと答えるし、やっぱり印象ははじめと変わらず最悪だ。

「私ニンジン好きなんだ」

なのに、気が付いたらみさこの口は言葉を紡ぐ。

「だから、もしいらないなら欲しいな、なんて……」

これは不動に借りがあるからだ。バスの中で酔った自分を介抱してくれた借りが。
相手が嫌だからこそ、それを帳消しにしたくてこんなことを言ってるんだ。

こぼれ落ちんばかりに目を見開く不動を捉え、みさこは自分に言い聞かせた。



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