不動明王。この男、見た目からなにからぶっ飛んだ人である。みさこの心のメモ帳にはそう記載されていた。

初めて不動を目にした時、中学生らしかぬ髪型に度肝を抜かれた。しかし人は見かけによらない、なんて言葉が生まれるくらいに、見た目が怖くとも中身はとても温厚な人だったという事例は、ままあるものだ。

みさこはそんな淡い期待を抱いていた。そうであってほしいという願いだったかもしれない。しかし清々しいまでに不動はそれをぶち壊してくれた。


響木監督から召集がかかった否や、彼は不穏な空気をまき散らし始めたのだ。いやはや何とも仕事が早い、なんて思わず感心してしうくらいに。

協調性がなく、思ったことを思ったままに口にし、相手を小ばかにしたような態度を取る。試合を見る限りサッカーはかなり上手いのだが、コミュニケーション能力は三角をつけざるを得ない。敢えて自らそうしているのかもしれないが。
とにかく、そんな天上天下唯我独尊な天狗様とは、はっきり言ってしまうと、あまりお近づきになりたくはない。

触らぬ神に祟りなし、である。

なのに、どうしてだ。なぜ今現在私は、その天狗様に鬼の形相で睨みつけられるはめになっているのだ。

みさこの頬を冷や汗が伝った。


GASSYUKU! 1


「みさこちゃん、新しく入ったばっかりだし皆の誰かと座りなよ!」

全てはこの言葉から始まった。

日本代表メンバーの選考会が無事に終わり、選び抜かれた精鋭16人が今雷門のグラウンドに集結していた。これから世界大会に向けて強化合宿を行うためだ。合宿先までは雷門御用達のイナズマキャラバンを使用する。そうなると当然誰かの隣に座ることになってくるわけであるが、マネージャーの一人として参加したみさこは、同じ立場の秋や春奈と一緒に座るものだと思っていた。
しかし、一番前の座席には荷物が置かれ、一人ずつしか座るスペースがない。
そこで気を利かせたのが秋であり、新参者の彼女のために秋と春奈が荷物と座るとのことを申し出たのだった。代わりにみさこは選手の誰かと一緒に座って親睦を深めてきなよと。そういうわけだ。

みさことしては、いきなり二時間近くも見ず知らずの人の隣に座るのは大丈夫なものか、と不安になったが、折角の秋の厚意を断るのは悪いと思った。にこりを笑う秋にじゃあそうさせてもらうね、と返事をしたのだった。それまでは良かった。それまでは。

空いている座席を見た瞬間に、前言を撤回したくなった。


「あ、あの…隣…」

じろりと切れ長の目がみさこを捉える。気だるげに顔をあげたのは、お近づきになる、ということが果てしなく困難な人物だった。せっかくメンバーと親睦を深めてきてねと笑顔で送り出してくれたが、その厚意を生かすことは出来そうにないかもしれない。

「ああ?」
「…隣座ってもいいですか?ここしか空いてないんで」
「はあ?」

偉そうにこっちを睨みつけるその人物は、不動明王。和を乱すことにおいては天才的なまでに能力を発揮する、イナズマジャパンの問題児だ。
みさこを捉えると、明らかに面倒くさそうに顔をしかめる。こっちだって好きで隣に座るわけじゃないんですけど、なんて言葉が喉まで出かかったが、仕返しに何をされるかわかったもんではない。その恐怖から、みさこは言葉を飲み込んだ。

「お前マネージャーの奴らと座るんじゃねえのかよ」
「秋ちゃんと春菜ちゃんは前の座席にそれぞれ荷物と座ってて…えと…」

だからここに座るしかなくて。
ちらりと不動を盗み見てそう言えば、やはり面倒くさそうにこちらを睨んでくる。いや、だから私にイラつかれても、とおろおろしていると、勝手にしろとぶっきらぼうな答えが返ってきた。なら通路にでも座ってろよ、なんて誰もが味わったことのない特等席を勧められるのではないかと、内心どきどきしていたみさこだったので、あっさりと承諾した不動に少し拍子抜けした。いや、すんなり事が運んで歓迎すべきなのだけれども。

「お、お邪魔します…」

そろりと前の座席に手をかけ、イスの隙間に入り込む。不動はみさこに興味をを失ったのか、外の景色を眺めていた。普段の彼からして、嫌みの一つでも飛んでくるかと思いきや、それもない。我関せずだった。
ならばこっちも干渉するのはやめておこう。やはり、当たらぬ蜂には刺されないのである。ひっそりと不可侵条約を締結したみさこは、そっと座席に腰を下ろそうとした。

その瞬間――

「う、わぁ!」
「な――」

イナズマキャラバンが突然発進し、というか単にみさこが出発の合図を聞き逃していただけなのだが、不意にやってきた揺れに体がバランスを失う。あ、やばい。そう思った時には、隣に座る不動めがけて倒れこんでいた。

彼の見開かれた目を間近に見た瞬間、火花が散る。頭に猛烈な痛みが走った。痛みで思考が麻痺し、正常に働かない。前後の席がなにやら騒がしいが、今はそれどころではないのだ。悶絶するような痛みを耐え忍ぶだけでいっぱいいっぱいだ。だから、みさこには何とぶつかって自分が今悶えているのかなんて考えられるはずもない。


「おい…」

やけに近くで声が聞こえる。
みさこを痛みの渦から引きずり出したのはそんな疑問だった。

「…ヒ、」

息を飲むのに失敗した。行き場のなくなった空気が喉を圧迫し、呼吸が苦しくなる。

「何すんだテメェ……」

顔をあげて飛び込んできたのは、深緑を彷彿させる緑だった。

眼前に広がる光景に、みさこは意識を手放しかけた。画面いっぱいに広がるは、さっきまで隣に座っていたはずの不動の怒り顔。しかもかなり近い。目と鼻の先よりさらに近い。至近距離、という表現も少し遠いのではないかというほど近かった。少しでも動いたものなら頬が触れ合うだろう。

何でこんな近くに!声にならない悲鳴を上げると、血が全速力で体内を駆けずり回りどばっと熱が押し寄せてくる。しかし、それはすぐさまカチコチに氷漬けにされる運命にあった。

周りがやんややんやとはやし立てる。中には気遣う声もあるが、それはごくわずかだ。
人の不幸を喜ぶな!と静かに怒りがわいてくる。しかし彼らはみさこの不幸にわき上がっているわけではなかった。

「…テメェはいつまで人の上に乗ってんだ?」

地獄の底から、という煽り分がしっくりくるようなドスの聞いた声にハッとする。痛みと恥ずかしさで完全に周りが見えていなかったが、みさこは不動にのしかかるような形で倒れこんでいた。その際に頭をぶつけたのは、同じく彼の頭だった。恐ろしく顔が近かったのもその体制のせいだ。

多感な中学生にとって絶好のからかい対象になる事態に、キャラバン内はわき上がっていた。

やらかした。自分はとんでもない相手にとんでもない事をやらかした。

しかし後の祭りだ。

すぐさま飛びのいて土下座しんばかりの勢いで謝罪するも、周りからのからかいの声は止むことはなく、前方の席では早速ねじ曲がった噂がささやかれていた。吹聴したのは木暮あたりだろう。

からかいの声にうるせぇ!と怒鳴った不動を見た。
不意に視線が合い、この人は視線だけで人を殺せるのではと疑いたくなる勢いで睨みつけられる。みさこの背筋に悪寒が走った。先ほどの面倒くさそうな視線なんて、今のものに比べたら可愛いもんだ。


自分は一体どんな宿命を背負って生を受けたのか。そして今目の前に立ちはだかる試練から、一体何を見いだせというのか。そんなスピリチュアルな疑問がみさこの頭にぐるぐると広がった。

人生は山あり谷あり、とはよく言うが、これはいくらなんでも過酷すぎないか。

こうして事態は冒頭に戻るわけだ。みさこ悲痛な叫びとは裏腹に、合宿は幕を開けたのだった。



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