「ふあ…」 本日何度目かのあくびをかみ殺しているみさこに、不動はいぶかしげな視線を送っていた。 ――ここ最近みさこはよく眠そうにしている。 それが理由だ。 授業時間を睡眠時間に充てている彼とは違い、みさこは普段あまり居眠りをすることはない。担任の言ったことをきちんと細かく板書しているのだ。いつも彼女のノートという名の恩恵にあやかっていた不動は、そのことをよく知っている。 だから、今みさこがこくこくと船をこいでいるのが不思議でならない。 放課後はサッカー部のマネージャー業に精を出しているが、今は夏のように練習が厳しいわけでもない。特にFFIの召集があってから学校での練習は控えめになったくらいだ。 そう考えると、部活が原因だとは思えない。 だとしたら一体どうして。そんな疑問を浮かべずにいはいられなかった。 教師の子守唄のような声を聞きながら不動はみさこに視線を固定する。睡眠が深くなったのか、ついに俯いてしまっていた。 「あ、」 そろそろ崩れ落ちそうだなんて思ったら、みさこはゴンッと机に頭をぶつけた。 きらめいて、ふりそそげ 授業終了のチャイムが鳴る。それを合図に教室は一斉に騒がしくなった。5時間目が終わった今、残るは帰りのホームルームのみで、教室には浮かれた空気が漂っていた。不動は鞄に教科書を詰め込むと件のみさこへと視線を移す。 授業中に寝たせいか今は起きていた。しかし相変わらず目はしょぼんとして眠たそうである。 「おい」 「あ、不動」 担任がまだ教室に来ていないので実質今は自由時間と言っていい。不動は席を立つと彼女のもとへ足を運んでいた。 「お前寝すぎ」 ここ最近の事をひっくるめて言ったつもりだったのだが、みさこは先ほどの授業での醜態を指摘されたのだと思い、さっと顔を赤くした。あれは、先生の声が……などとしどろもどろに言い訳を始めた。 普段なら重箱の隅をつつくような細かさで揚げ足を取るのだが、今日はそうしない。それよりも気になることがあったからだ。 前の席のクラスメイトがいないのをいいことにその席に腰をかける。 いつも打ちのめされている嫌みが返ってこないことを不思議に思ったのか、みさこは目を丸くしていた。 「なに?」 「今日だけじゃねえだろ」 「は?」 「お前最近ずっと眠そうにしてんじゃん」 ぎくり。みさこの様子に擬音をつけるとするとこれがしっくりくるのではないかと不動は思った。 そして明らかに慌てた様子で違うと取り繕った。しかしそんなあからさまな態度に騙されてやるほど不動は優しくなかった。隠すということは、知られたくないということだ。 面白くない。 「夜更かししてんだろ」 「あ、はは」 「何でだよ」 「別になんでもないよ?」 「言えよ」 「だから何でもないって」 じっと目を見ると、うろたえたように黒の双眸が揺れた。彼女の態度から見るに何かを隠しているのは明白で、そうされるほど気になってしまう。悪い想像は不思議といくらでもできる。何隠してるんだよ、と胸中で悪態をついた。 何としても言わせたい衝動に駆られた。 「夜遊びか?」 「えぇっ!?」 「まさか援交――」 「ば、馬鹿!そんなんじゃないって!」 がばっと席を立つみさこに不動は心の中でよしよしと笑った。 「じゃあなんでだよ」 「それは、」 「オレに言えないようなことなんだろ?」 「見たいテレビがあったから」 「お前嘘つくの下手だな」 「嘘じゃないもん」 「バレバレだっての」 もうひと押しだ。 「……担任に相談でもするかな」 「不動!?」 「部員が非行に走るのを黙って見過ごすわけにはいかねーじゃん」 「だからっ……違うって!」 「素直にやってますなんて言う奴いるかよ」 「もー…」 立ったままのみさこが力なく腰を下ろす。そして「意地悪」そうぼやくと鞄に顔を埋めてしまった。 舌戦は不動の勝利だ。 勝ち誇った気分でみさこを見降ろす。はやく言えよ、なんて急かすとじとりとした目を向けてくる。 しかし自分に勝ち目はないと悟ったのか、みさこは大きなため息を一つ落とした。そして、つぶれている鞄を元の形へ戻し、ごそごそご中を探り始める。 「……これ」 少しためらいがあったのち、みさこはなにやら細い紐のようなものを手に乗せた。 「……ミサンガ?」 「そう。これ作ってた」 彼女の手にあったのは作りかけのミサンガらしかった。 「ま、まだ作りかけだったから」 意外なものが登場して不動が驚いていると、みさこが視線を反らすように俯く。かと思ったら、ちらりと不動の様子をうかがう。 「完成してからびっくりさせようと思ってたんだけど……」 誰をとは言わなかった。不動もそれを聞かない。 ミサンガには青地に黄色でAとFのイニシャル。そして白く8という数字が入っている。これが全てを物語っていた。 これで合点がいく。眠そうにしてたのは夜な夜なこのミサンガを作っていたから。そして頑なに不動に隠したのは、あげる本人だからだ。 不動は小さく息を吐く。吐息は少しだけ震えていた。 「……お前意外と器用なんだな」 「そんなことないよ。本当はイナズママーク入れたかったんだけどね、難しくて出来なかったんだ」 それにちょっと歪んじゃったんだよね。少し顔をあげたみさこは視線を泳がせてそう言った。 なんだよこのよれよれな字は。天邪鬼な不動はそう返そうかと思った。普段ならそうしているだろう。しかし、私不器用だから、などと無駄にペラペラ自虐的なことを話すみさこを前にその言葉を飲み込む。 「こういうのは出来の良しあしじゃねーよ」 「え」 「気持ちがこもってるかだろ」 みさこが驚いた様に顔を上げる。全くだ。不動は心の中でひとりごちた。 普段の彼からは予想も出来ない言葉が飛び出したのだから。彼自身そんな自分に驚いていた。気持ち、なんてこっ恥ずかしいこと、例え思っていてもまず口に出せない。むしろ逆の事を言ってしまうくらいなのに。 ぐっと何かが込み上げてくる。その正体は恥ずかしさだろうか。溢れだしそうな感情に、再び悪態をつきそうになる。やっぱり素直なことを言うなんて柄じゃない。 「じゃあ完成したらもらってね」 ふっと笑ったみさこに、ごちゃごちゃと散らかる思考を放棄した。 今悪態をつくことは簡単だ。しかしそうなればきっと目の前の笑顔は消えてしまうだろう。それは嫌だ。そう思った。 不動は心の中で白旗を上げる。 作りかけのミサンガをみさこの手から取ると、確かに少しいびつな形をしていた。その少し歪んだ様にむくりと愛着が芽生える。自然と笑いが漏れた。 「わ、笑った!やっぱり――」 「馬鹿、そんなんじゃねえって」 「だって」 みさこはどうしても形が悪いことが気になるようで、不動の言葉にも納得しないようだった。もしかして、こうして悩んでは何回も作り直しているのだろうか。それだから、たった一個のミサンガを作るのに毎日夜更かししていたんじゃないか。 目の前のみさこは、不動からミサンガを奪うと、さっと鞄に隠してしまった。その顔は少し悔しそうで、悲しそうでもあった。 なにか、言わなくては。 しかし、いくらなんでも愛着が云々なんてことは言えないので、ぐるぐると他の言葉を探す。それに伴い少しずつだが確実に熱が集まってきた。 ちゃんともらってやるから――そう言ってみさこの頭に手を伸ばしかけた時。 「あの、席……」 不意に降ってきた声に我に返る。不動が陣取っている席の少年だった。完全に失念していたが、ここは教室だ。ということは今のやりとりの全ては筒抜けということで。目の前の彼にもばっちり聞かれていたということだ。伸ばしかけていた手をさっと戻す。 どんな会話を聞かれてしまったのか。思い浮かべようとしたが途中でやめた。恥ずかしさに耐えきれそうになかったからだ。 みさこもそれは同じようで、めり込むほどの勢いで鞄に顔を埋めている。 不動は舌打ちをした。 これは照れ隠しの意味もあるが、雰囲気を絶妙のタイミングでぶち壊してくれたクラスメイトへの恨みの気持ちも、少なからずこもっている。理不尽な怒りを込めてじろりと睨みつける。何の罪のないのに不動に鬼の形相で睨まれた彼は、気の毒にもすくみ上がっていた。 どかりと席に着く。いつの間にか担任の教師は教室に来ていて、全員の着席を確認すると帰りの連絡を始める。先ほどまで浮かれていた空気が、次第に気だるげなものに変わっていった。 無駄に長い話を聞き流しながら、不動はちらりとみさこに視線を送る。 本日何度めだろう。みさこは小さなあくびをかみ殺していた。 それを見た瞬間、不動はじんわり心が温かくなるのを感じた。 (20090304) title:まばたき |