八千重は申し訳なさそうに苦笑したが、仁吉は大して気にした様子もなくサラリと話し始めた。

「私たちがそのことを知ったのは、若だんながだんな様からお説教を受けた後でした」

松之助の事、黙って他出した事、殺しの件で死ぬ程心配したという泣き言等をたんと聞かされた一太郎がぐったり項垂れていると、小僧頭が慌ててやって来て、青い顔で「若だんなが殺されたかもしれない」と言った。
仁吉が西村屋の主人が殺されたというのはもう知っていると小僧頭に連れて来られた下っぴきの正吾に言うと、正吾は違うと頭を振る。
そこで、もう一人薬種屋が殺されたと聞かされたのだ。
その時は、その薬種屋が誰か判っていなかった。
だから行方知れずの若だんなかも知れぬと正吾は慌てて知らせに来たのだ。

「誰が殺されたのか、もう判っているんですか?」
「ええ。殺されたのは、堀江町の天城屋さんだと判ったらしいのですが、遺体はまだ見つかっていません」
「見つかっていないって……何故?」
「両国橋の上で出刃で刺された挙げ句、川に落とされたんです」
「……………」

八千重の顔が強張る。

「捕まっていない下手人ですが、お千重さんを襲ったあの下手人と似たような事を言っていたそうです」
「え?」

八千重の目が驚きに見開かれる。

「…下手人は薬を欲しがっていたそうです」
「―――…天城屋さんも、印籠を差し出したのに刺された…とそういうことですか?」
「そう聞きました」

頷く仁吉に、八千重は神妙な顔で考え始める。
手が、自然と右腕の晒の部分を撫でる。
痛みは徐々に薄らいできてはいるが、まだ動かすと痛んだ。

「おかしな話だよね。似たような事件が立て続けに三件もおきるなんて」

今まで黙って仁吉が淹れた香りの高い茶を飲みながら聞いていた一太郎が口を開く。

「しかも、下手人は皆ばらばらで互いの接点も無し。同じなのは、周りからの評判も悪くなく、殺しをするような人ではないということ、更に、薬を欲している……ということ」
「ええ。まあ天城屋さん殺しの下手人はまだ捕まってませんから推測でしかありませんが…おそらくは」

仁吉が頷き、一太郎と八千重は眉間に皺を寄せる。

「本当に、おかしな事件…」

呟いた八千重の声に、一太郎が畳を見ていた視線が上がる。

「お千重ちゃんもそう思うかい?」
「うん。……とても偶然では片付けられないような気がするよ」

視線を交わす二人に、冷静な声が割って入る。

「この陽気で、頭がおかしくなった奴がうろついているんでしょうよ」
「うちを襲ったぼてふりを入れて、三人だよ。全員いかれてたっていうのかい?」

仁吉に不満そうに問う一太郎と八千重は同じ気持ちだった。
栄吉が持ってきた草団子にかぶりつく一太郎を尻目に、仁吉を探るように見る。
だが、仁吉の表情はピクリとも変わらない。

「あの時何もかも説明できるようにしておいたら、何人も…お千重ちゃんも襲われることはなかったんじゃないかしら。そう思わないかい?」
(ん?)
「若だんな、妙な理由をこさえて、外に出ようなんて思わないで下さいましね」
「そんなことを言ってるんじゃないだろう?」

少しズレた一太郎と仁吉との会話を聞いていた八千重は、自分も食べようと黄粉団子に伸ばしていた手をはたと止めた。
代わりに一太郎がそれを摘んでいく。

「おや、今日は食が進んでますね」

仁吉は一太郎がもそもそと団子を食べているのに喜び、笑む。
八千重は、湧いた疑問をいつ口にしようかと口を開く機会を窺いながらも、止めていた手を動かし、黄粉団子を摘んだ。
口に入れれば、もっちりとした歯ごたえに、黄粉のほど好い甘味と風味が口に広がる。

「栄吉が作ったんだよ。餡こがない生菓子なら、このところ少しは腕を上げているんだよ」
「餡このない生菓子ですか。団子とか、素甘とかですかね。あまり思いつきませんが」
「まあねぇ」
「でも、美味しいよ」

八千重が微妙な面持ちの仁吉と苦笑いの一太郎に、栄吉をフォローしようと口を開くが、仁吉がゆるゆると首を振る。

「お千重さんは、栄吉さんの餡こを食べた事がありませんからね。一度食べてみればわかりますよ」
「え…。でも、食べられるんですよね?」
「………日に寄っては、鳴家も食べませんよ」
「仁吉!」
「嘘を言っても、すぐにばれてしまいますよ。お千重さんだとて、食べれば納得するはずです」
「仁吉……」

涼やかに笑い、毒吐く仁吉に一太郎は何もそこまでと顔を顰める。
比較にされた鳴家が、きゅいきゅいきゅわきゅわ騒いでいたが、誰も気にしていなかった。

「大丈夫です。私、ずっとおとっつぁんと二人で旅暮らしをしてたから、わりとなんでも食べられます。野草とか、よく解らない木の実とか食べたこともあるし…それに比べたら、きっとおいしいと思いますよ?」
「―――それは頼もしいですね」
「………………すごいね」
「ありがとう」

笑みを崩さない仁吉と驚く一太郎に、八千重はにっこりと笑って礼を述べた。

「あ、それより聞きたい事があるんだった」
「聞きたい事?」

ハッと思い出して言う八千重に一太郎は首を傾げる。
その表情は少し何かを思案しているように見えた。

「さっき言ってたでしょう? 『何もかも説明できるようにしておいたら』って…何か気になる事があったの?」
「ああ」

そのことか、と一太郎は納得したような少しホッとしたように呟く。

「実はね、日限の親分さんにも話していない事があるんだよ―――私は、一番最初に起きた職人殺しの現場に遭遇しているんだ」
「えぇえ!?」

八千重は目と同様に口も丸くさせた。
一太郎は、仁吉の機嫌をちらちら窺いながら再度口を開く。

「例によって松之助兄さんの件でね、他出した帰りにばったりと出くわせてしまったんだ―――妖に助けて貰って事なきを得たんだけれどね、おかしいんだよ。その時見た死体の首は、ちゃぁあんと繋がっていたんだ」

その時の事を思い出したのか、一太郎の顔が歪む。

「あれ? でも、日限の親分さんは首が切り落とされてたって…」
「そうなんだ。わざわざ首を切り落としに戻って来るなんて、おかしいだろう? だって私が番所に駆け込んだら、すぐに捕まってしまうからね」
「うん。普通なら逃げるよね」

八千重は確かに、と頷き、茶を啜る。

「お二人とも、物騒な話はそこまでにして下さい。それ以上話したら、若だんなが喉を痛めてしまいます」
「いくらなんでも、これくらいじゃぁ痛めたりしないよっ」
「いえ、薬をお持ち致します」
「大丈夫だってば!」
「仁吉さん、私が無茶はさせませんから安心してください。ほら、こうしてお団子も食べてるし、若だんなは元気ですよ。ねぇ若だんな?」

八千重に促され、一太郎は頷く。
にっこりと微笑む八千重と不満そうな一太郎、それから随分と減った団子を見てから、やれやれと仁吉は息を吐いた。

「では、お千重さんを信じて私は仕事に戻ります。ですが、くれぐれも無茶だけはしないでくださいね?」
「わかっているよ」

渋々でも頷くと、仁吉は満足して仕事へと戻って行った。
その背をホッと見送った一太郎は、草団子を摘む八千重を見て礼を述べる。

「ありがとう、お千重ちゃん」
「いーの。私も若だんなとお喋り出来なくなったら嫌だしね」

言って、口に団子を放り込み、咀嚼する八千重の顔が綻ぶ。

「でも、本当に仁吉さんと佐助さんは若だんなに過保護だよね。驚く程にさ。それも大切に思っているから故なんだろうけど」
「うん、私もそう思うよ」

(でも、仁吉も佐助もお千重ちゃんの扱いが他の人と違う気がするんだよね。さっきだって、栄吉があんなこと言っても、仁吉なら頷きなんてしないもの。なんていうか―――)

それは一太郎が少し前からちょいちょい感じ、気付いていたこと。
二人の兄やの同じ友人の栄吉に対する態度と、八千重に対する態度とに差があるように思えるのだ。

(物腰が柔らかいというか…優しいんだよね、二人とも)

女性だからとか、親が医者だからとかそういった違いではないように思える。
もしかしたら、兄やたちも気付いていないのかもしれないが…。

「ね、若だんな。昨日言ってたの聞いてみたらどうかな? 暫くは仁吉さんも来ないだろうし」
「……そうだね」

頷いて、昨日こそりと耳打ちされた内容を思い出した一太郎は屏風を見た。
続いて八千重も屏風を見つめる。
屏風の中の絵は、こちらに背を向けていて、二人の視線に気付いていないようだ。

「ねえ屏風、仁吉もいなくなったからさ、一緒に団子を食べようよ」

屏風に声をかける一太郎の隣で、八千重が小皿に団子を幾つか取り分ける。
季節ものの菓子は屏風のぞきの好物なのだと一太郎に聞いた八千重は、草団子を多めに取り分けた。

「おや怖いこと。いつになく優しいじゃないか、若だんな。嬢ちゃんと二人して何を企んでいるのやら」

そう言いながらも、今年初の草団子に気をそそられたらしい派手好きな妖が、屏風からまず袂を現す。

「栄吉が作ったそうだけど、本当にうまいのかい?」
「私は美味しいと思うけれど…」
「食べてみればわかる話じゃないか」

言われて一つ口に放り込み、屏風のぞきはニヤリと笑う。