コリン・クリービーが襲われ、今は医務室に死んだように横たわっているというニュースは、月曜の朝には学校中に広まっていた。
疑心暗鬼が黒雲のように広がり、一年生はしっかり塊まってグループで城の中を移動するようになり、1人で勝手に動くと襲われると怖がっているようだった。
その中でも、グリフィンドールの監督生パーシーや双子、ロンの妹のジニー・ウィーズリーは、『妖精の呪文』のクラスでコリンと隣合わせの席だったらしく、すっかり落ち込んでいた。
フレッドとジョージが励まそうとしたが、2人のやり方では逆効果だとハリーは思った。
双子は、毛を生やしたり、おできだらけになったりして銅像の陰から代わり番こにジニーの前に飛び出したのだ。
ちょうどタイミング良くその傍を通ったアスカが驚いて、ジニーを守るために2人を反射的に魔法で全身金縛りにさせ、叱りつけているところに、それに気付いたパーシーがカンカンに怒って、動けないでいる双子に「ジニーが悪夢に魘されているとママに手紙を書くぞ」と脅して、やっと2人はやめた。
やがて、先生に隠れて魔除けや御守りなどの護身用グッズの取引が、校内で爆発的に流行りだした。
グリフィンドールのトラブル・メイカーのネビルは、悪臭のする青玉葱、尖った紫の水晶、腐ったイモリの尻尾を買い込んだ。
買ってしまった後で、他のグリフィンドール生が、「君は純血なのだから襲われる筈はない」と指摘すると、ネビルは丸顔に恐怖を浮かべながら言った。

「最初にフィルチが狙われたもの。それに、僕がスクイブだって事、皆が知ってるんだもの」

アスカとハリー達は相変わらず仲違いをしているように離れて過ごしていた。
最初、いつもの3人とは別に1人でいるアスカは、他のグリフィンドール生や他寮の生徒から、ハリー達と何かあったのかと陰でヒソヒソ言われたり、直接聞かれたりしたが、数日経った後は聞かれなくなった。
皆、次は我が身が石になるのではないかという恐怖があって、ダンブルドアの養女であり、博識でも偉ぶったりせず、女生徒に特に優しいアスカをこれ幸いと頼るようにして周りに集まった。
クィディッチで、アスカが狂ったブラッジャーを爆破し、負傷したハリーを身を挺して守った事を観客席にいた者達皆が見ていたことも大きな要因となったようだった。
いざという時は、きっと守ってくれるに違いない、という思いがあったのだ。
アスカにはそんな魂胆などお見通しで、たまに鬱陶しく感じる時もあるが、自分の安全を考えると追い払う訳にはいかない。
もとより、頼られてしまうと余程の事がない限り甘受してしまうアスカの性格が、助長しているのかも知れないが。
当初、説得をどうしようか危惧していたセブルスの方といえば、ハリーから離れている今の状況を良しとしていて、説得など不要だった。
どこか拍子抜けしたアスカだが、ホグワーツを追い出されないなら良いか、とこっそり陰でハリー達3人を見守る日々を送っていた。
ハリー達がいつ盗みをするか分からないので、いち早く気付いて阻止したいと思っての事だった。
どんな手順で事を起こすのかも分からないので、万が一周囲に危険が及ぶ事があればそれも防がなければならない。
そんなアスカの案ずるような、不審がるような監視の目に、ハリー達は気付いていたが、薬の進捗状況からしてまだ動く時ではない状態のため放って置かれていた。
日々は瞬く間に過ぎて、12月の第2週目に、例年通りマクゴナガルがクリスマス休暇中学校に残る生徒の名簿を調べに来た。
ハリー達3人は名前を書いてあり、勿論アスカも名前を書いた。
アスカはドラコも残るという話を聞いて、アスカはハリー達ならクリスマス休暇中にポリジュース薬を使うのではないかと憶測をたてた。

(──と、言うことは、そろそろ…)

ポリジュース薬を煎じるにあたって、足りないものを盗むとしたら、クリスマス休暇に完成を合わせるのであればそうそう日がない。
すぐにでも行動を起こすだろうというアスカの予想は、当たった。
木曜日の午後、スリザリンとの合同の魔法薬学の授業でハリー達は動いた。
その日の授業は、いつもと変わらずに進行していたのだが、アスカはどこか緊張感のある3人の様子に気付いており、警戒しながら授業を受けていた。
机の上には真鍮の秤と材料の入った広口瓶が置いてある。
セブルスは相変わらずグリフィンドール生に大人気なく意地悪な批評をし、スリザリン生はそれを見て嘲笑っている。
その中でもドラコとグリフィンドール生でありながらアスカはセブルスのお気に入りで、一度も注意を受けない。
ドラコに関してはそれを良いことに、ハリーとロンにフグの目玉を投げつける。
ハリー達がセブルスの手前、仕返し出来ない事をドラコは熟知していた。
ハリー達の代わりに、偶々近い席に座っていたアスカが、ギロリと睨むように威嚇する視線を向ければ、突然ハリー達に興味を失ったように笑みを消して前を向いた。
意識はハリー達の挙動に注意しながらも、得手としている魔法薬学とあり、アスカの『膨れ薬』は完璧だった。
ハリーのものはどこか水っぽくなってしまっているようにアスカには見えたが、ハリーはなにか別の事に気を揉んでいるのか気にしている様子は窺えない。
ハリーの隣のロンもどこか落ち着きなくソワソワしている。

(もうすぐ授業が終わる。そろそろ動く?)

アスカが警戒を強めようとしたとき、ソワソワとしていたロンがアスカのもとにコソコソと、のっぽの体をなるべく見つからないように縮こませながら近付いてきた。

「…ロン?」

どこか言い出しづらそうにもたつきながら、ロンは意を決したように口を開く。

「ベル…僕の膨れ薬、失敗しそうなんだ。助けてくれない?」
「え?」

ロンからの思いがけない申し出に、アスカは警戒していたにも関わらずきょとんと目を瞬かせた。
だがすぐにその表情が怪訝に変わる。

「……どうしてあたしに言うの? ハーマイオニーに助けて貰えば良いじゃない」
「っ、ちょ、ちょっとでも良いんだ。……僕の杖がどんな状態か知っているだろう? ハーマイオニーにそれを言うと…」
「あぁ………成程」

アスカの表情にビクッとしたロンだが、それでも苦笑いで理由を告げると、アスカはスペロテープでぐるぐる巻きでくっつけられたロンの杖を思い出して、何とも複雑な顔になった。
ロンの眉根を下げた困ったような顔とロンの机の真鍮の鍋を交互に見る。

(これって、あたしに邪魔をさせないための作戦?)

終業まであと15分位となっていた。
そろそろ動き出すか、と思案していた矢先のロンの申し出に、疑ってしまうのは仕方ないだろう。
だがそうと分かっていても、助けてと言われれば助けてあげたくなってしまうのがアスカだ。
平素であれば、アスカはロンの机に行って手助けをしただろう。
けれど今回は、それは出来そうにない。

「───…ロン、何故もっと早く言いに来なかったの? もうすぐ授業が終わりそうになって来るなんて……薬なんてもう殆ど作り終わっているでしょう? そんな状態では、あたしに出来ることはないわ。戻りなさい。スネイプ先生が来るわよ?」

アスカが、しっかりとロンを見つめながらきっぱりと断った次の瞬間、パチパチという小さな音が耳に届いてきて、咄嗟にハリーを見た。
アスカが目にしたのは、火の着いた花火がハリーの手を離れ、高く放り投げられた所だった。
驚きに目が見開き、花火の軌道の先を素早く予測するとアスカは勢い良く立ち上がった。
いつでも取り出せるように袖に忍ばせていた杖を手にし、呪文を唱えようとしたアスカだったが、ロンが伸ばした手がアスカのローブの袖を思いっきり引っ張り、アスカの体は床に尻餅をつくように倒れた。
痛みを感じる前に花火が爆発した音が教室内に響き、クラス中に雨のように誰かの薬が降り注いだ。
忽ち、膨れ薬の飛沫が掛かった生徒から悲鳴があがる。
アスカは自分の袖をがっちり掴んだままのロンを睨み付けると、その手を力いっぱい振りほどき、立ち上がる。
教室内全体を見回したアスカは、その悲惨な状態に顔を引き攣らせた。
薬を被ることになった生徒達は、皆、被った箇所が膨れ始めていた。
アスカの近くの席のドラコは、顔いっぱいに薬を浴びてしまったのか鼻が風船のようになっている。
その傍でドラコの金魚の糞のゴイルは、大皿のように大きくなった目を両手で覆いながら右往左往していた。

「酷い…」

セブルスが教室内の騒ぎを鎮め、原因を突き止めようとしていたが、生徒達の騒ぎはちょっとやそっとじゃ収まらない位混乱していた。
アスカは、一番近くの鼻を押さえて狼狽えているドラコにさっと近寄り、その背をさすって落ち着くように声をかける。
まさかアスカに優しく声をかけられるなんて考えてもいなかったドラコは、信じられないものを見たと言わんばかりに目を丸くさせてアスカを見ている。
驚いた拍子に、混乱する頭は冷静になったようなのでちょっと複雑な気持ちはあったが、アスカは良かった、と小さく呟いて微笑んだ。
ドラコとは別の視線を感じて、そちらを見れば、ハリーと目が合った。
アスカは咄嗟に何か言おうとしたが、すぐにきゅ、と口を引き結び、ハリーから視線を外した。
ハリーには、その時のアスカの表情がとても悲しそうに見えた。

「静まれ! 静まらんか!!」

セブルスの怒鳴り声が教室中に響いた。

「薬を浴びた者は『ぺしゃんこ薬』をやるからここへ来い。Ms,ダンブルドア、手伝いたまえ」
「え……は、はい」

名指しで手伝いを指名されたアスカは、素早くセブルスの元へ歩みでる。

「出してある分だけでは到底足りない。そこの棚にある『ぺしゃんこ薬』を全て持ってきて配れ」
「分かりました」

セブルスの指示を受け、アスカは言われた通りに薬を持ってくると、グリフィンドールもスリザリンも関係なく、順番に生徒に薬を配る。
誰よりも早く前に進み出てきたドラコは、大きくメロンみたいに膨れた鼻のせいで頭を下げていたが、薬を飲むとあっという間に鼻は萎んで元通りになった。
その他の生徒達も、大きく膨らんで重くなった体を四苦八苦してどうにか列に並び、配られた薬で皆無事に治った。
アスカは薬を配りながら、クラスの半分位が被害にあったのかと考え、そうしてそんな事件を起こした犯人の事を思うと心がずっしりと膨れて重たくなった気分だった。
そうして騒ぎが落ち着くと、セブルスはゴイルの大鍋の底を浚い、黒焦げの縮れた花火の燃え滓をすくい上げた。
それを見て、教室内はシーンと静まり返る。

「これを投げ入れた者が誰か分かった暁には、我輩が間違いなくそやつを退学にさせてやる」

セブルスの低い声が響き、生徒達はセブルスの顔に表情を青冷めた。
ハリーは、一体誰の仕業なんだろう、という風を装っていたが、セブルスはハリーを真っ直ぐに見据えていた。
それから10分程で鳴った終業ベルに、待ってましたと慌てて教室から出て行く3人の後ろ姿をアスカは悲しげに見つめていた。
教室から真っ先に出て行ったハリー達は知らなかったが、アスカはセブルスに残るようにと言い渡された。

(───誤魔化すしかない。ハリー達を退学には出来ないもの)

アスカは、この後待っている詰問に大きな溜め息を吐いた。
やがて全ての生徒が教室から出て行くと、魔法薬学教室から繋がっている教授室のドアをセブルスは乱暴に開き、アスカを中に突き飛ばすように入室させた。

「セブルス、痛い…」

アスカの抗議に、セブルスは一瞬険しい顔つきを緩めたが、それもすぐにまた戻ってしまった。

(これは相当怒ってるなぁ…逃げ切れるかな……)

アスカは冷静を努めてはいるが、内心は焦っている。

「アスカ、吐け。お前はポッターがやった事を知ってるんだろう!?」
「聞きたいのはさっきの膨れ薬の犯人でしょう? あたしはちょうどその時、友達に引っ張られて床と仲良くしてたから何も見てないのよ。爆発音も膨れ薬の雨も、体半分机の下の状態だったし」

苦笑いで答えたアスカに、セブルスの眉間の皺が濃くなる。

「何だと!? 出鱈目を言ってポッターを庇ってるのか!?」
「庇ってないし。例えセブルスの言う通りハリーがやったのだとしても、あたしは今あの3人とは一緒に行動してないから、あの時普通に椅子に座ってたとしてもその犯行の瞬間を見るなんて出来ていなかったと思うけど?」
「……………」

セブルスがまだアスカを疑っているのが表情で分かり、アスカは嘆息する。

「誰がやったのかわからないけど、あれは確かにやり過ぎだと思う。ひどかった。でも手掛かりは花火の燃え滓しかないわ。犯人を見つけ出すのは難しいよ。そもそも、セブルスはハリーを犯人にして退学にさせたいだけてしょう? 証拠も何もないのに憶測だけで決め付けたりしたら、許さないよ」

セブルスは、アスカの言葉に舌打ちをし、もう用はないとばかりに「帰れ」と怒鳴った。
アスカは、やれやれと肩を竦め、何も言わずに部屋から退室する。
魔法薬学教室に置いたままの荷物を回収し、そのまま教室からも出ると大きく息を吐いた。

(……セブルスは、絶対まだハリーを疑ってるだろうけど、あたしが犯人を知ってるって事は誤魔化せた、と思う。良かった……)

そう思いながらも、ハリー達の仕出かした事を考えると胸を締める複雑な感情に、手放しで喜べはしなかった。
アスカが、止まっていた足を一歩踏み出した途端、乱暴に教室のドアが開かれてそこから出てきたどこか焦ったようなセブルスに目を見開いて固まっていると、セブルスは居心地悪そうに視線を外しながら小さく呟いた。

「…………………送っていく」
「え」

怒りでカッとなっていたセブルスだったが、アスカを1人で寮に返したと気付き、慌てて飛び出して来たのだ。
焦った表情を見られたことにばつが悪そうに視線を合わせようとしないが、アスカはセブルスの意図に気付くとクスクスと笑って礼を述べた。
セブルスの少し後ろを歩きながら、アスカが考えるのはやはりハリー達の事だ。

(…ロンが邪魔をしそうなあたしの気を引きつけて、その間にハリーが膨れ薬を爆発させて教室中を騒動で混乱させる。実行犯はハーマイオニーね。混乱する教室からこっそり抜け出して、棚から薬の材料を盗んだ)

辻褄合わせをして推測していくと、アスカの気分はどんどん落ち込んでいく。

(……薬に足りない材料が手に入った。薬が完成するのに2週間。3人は今頃、クリスマス休暇の事を相談しているかも知れない)

アスカは、ドラコが後継者だとはやはり思えなかった。
きっと、ハリー達は無駄足となるだろう。

「───ねぇ、セブルス。学校中が辛気臭くて、どんよりしてる。何か、楽しい事が起きたらいいのにね」

気を紛らわせる何かがあればと思ったアスカが何とはなしに口にした『何か』が、起きることになるとはその時のアスカは思ってもみなかった。






「決闘クラブ?」

グリフィンドールの席で昼食を食べていたアスカの傍までわざわざ来て言ったニコルの言葉に、聞き覚えがないアスカは首を傾げた。
アスカとニコルが話す状況は、今でこそ皆当たり前の光景になっているが、最初は大層驚いた。
自他共に認める日本マニアであるハッフルパフのニコルは、日本を好き過ぎて普段から日本語しか話さない。
英語は勿論読み書き出来るのだが、試験や宿題等の必要な時にしか使わないのだと彼の幼馴染みであり親友のセドリック・ディゴリーは苦笑いで言う。
そんなニコルは当然、自分の寮のみでなくホグワーツ全体で浮いた存在だ。
柔らかなクリーム色の髪に、碧と緑を混ぜたような浅黄色の瞳をしており、一見すればどこかの物語に登場する王子様のような容姿をしている。
目の下にある黒子がチャームポイントで、アスカには煌めくような笑顔をよく見せているが、出会った当初は自分の事を『拙者』と言っており、危うくアスカの腹筋が崩壊する所だった。
最近は直ってきたが、それでもたまに間違えて言い直すことがあるので、顔は良いが話すとちょっと残念、という認識がアスカにはある。
周囲の見解はアスカよりも辛辣で、ニコルと話している所を見た双子から「今のってハッフルパフの『変人王子』だろ? 一体どういうこと!?」と問い詰められた時は、ああ、ニコルはそんな風に呼ばれているのか…と苦笑いを浮かべたものだった。

『掲示板、見てないのか? 今夜が第一回目なんだ。ベルも一緒に行こう!』
「───決闘クラブだなんて、秘密の部屋の怪物と決闘でもするつもりなの?」
『そうじゃないさ。けど、何かが起きるんじゃないかと思うんだ、面白そうだろ?』
「……あたしが行ったら、お前は必要ないだろうって追い返されるんじゃないかな」

アスカが決闘クラブに誘われている、と2人の会話を盗み聞きしていた何人かの生徒が、話の方向から推理して若干顔を強張らせ、アスカの返答を固唾を呑んで待っている。
あまり歓迎されていないような視線が自分に幾つか集まっていると気付いたアスカが肩を竦めて答えるが、ニコルはそんな事気にするな!、と笑う。

『せ…俺達も居るんだし、大丈夫だ。ペアを組むとかになったらセドと組めば良いさ』
「何でセドリックなのよ。ニコルはあたしの相手は嫌なわけ?」
『俺よりセドリックの方が優秀だからな。俺はまだ死にたくない。じゃ、今夜20時からだから20分位前には寮の外に出てて。勿論帰りも送って行くから大丈夫』
「……分かりました。ありがとう」

色々と言いたい事はあったアスカだったが、仕方無さそうに頷いた。
明るい話題があるのは良いことだろう。

(そういえば、一週間前にセブにああ言ったけど…講師がセブルス、なんてことはないわよね? まさかね? んなわけないか!)

セブルスに限ってそんな事はないだろう、と心の中で笑い飛ばした自分の言葉が間違っていなかったとその時のアスカは、やはり一週間前と同じ様に思ってもみなかった。