散りゆく花、散らぬ花




サア、と風が吹き、桃色を揺らす。
ヒラリヒラリと、花弁がまるで雪の様に舞い踊っていく。
その様を、木の下から見上げる一人の男がいた。
涼やかな目元の、まだ若い青年だ。
彼は、その切れ長の目を細めて、桜の花が風に吹かれ散りゆく様をただ静かに見つめている。

「……………………」

吹いていた風が止むと、フワリ、と数枚の花弁が男の元へ落ちてきた。
自然と差し出した手に、一枚の花弁がのる。

「    」

男がポツリと呟いた小さな声は、再度吹いた風に浚われて消えた。
同時に手から飛んで行った花弁の行方を、視線で追った男は、途端に目を見張った。

「仁吉さん、今、呼びました?」
「――――貴女は…。何故此処に?」

視線の先に突然現れた少女に、男…仁吉は困惑して、少女の問いには答えず問いを返した。

「………秘密です」
「!」

仁吉に問いで返された事は気にした様子もない少女は、視線を彷徨わせ、最後に誤魔化すように笑顔を見せた。
その姿が、ある人と重なって見えて、仁吉は目を見開く。

「…綺麗な桜ですね」

その事に気付いていないのか、気付いていつつも触れないだけなのか思考の読めない表情の少女は、ゆっくりと桜の木に歩み寄ると、ソッとその幹に手を触れ、咲き誇る桜を見上げた。

「そう、ですね」

珍しく歯切れの悪い仁吉を不思議に思ったのか、少女は視線を桜から仁吉へと移す。
仁吉の目は、風に舞い散る桜の花弁を映しており、その表情はどこか憂いを帯びていた。

「仁吉さん?」
「はい」
「―――桜は、嫌いですか?」
「…っ、」

今日の自分は、驚いてばかりだと頭の何処かで考えている自分の思考は放っておいて、仁吉は再度少女に視線を戻した。
少女の黒い瞳が、じ、と仁吉を見つめている。

「…………以前は好きだったのですが、今は――…そうですね、嫌いというより、苦手です」

言いながら、思い浮かぶのは自分が唯一に好いた女人。
この少女に瓜二つの容姿の、愛しい人。
もう叶わぬと知りつつも、この胸は未だに焦がれて止まない。

「どうしてですか?」
「それは――…」

問われ、スルリと口から洩れそうになった声を途中で呑み込む。

「…仁吉さん?」

口を噤んだきり無言になった仁吉を不審に思ったのか、少女は首を傾げる。
仁吉は、そんな少女の行動に目を細めた。

この桜の木の下で、仁吉は思いを寄せる女人が旅立つのを見送った。
そして、彼女はそれきり行方知れずとなった。
帰って来たら、と、約束を交わしていたというのに、彼女は帰って来なかったのだ。
あれから何度、この桜は咲き、散っただろうか。

「桜が散ってしまう姿を見ると……物悲しい気持ちになりますから」

仁吉の言葉に合わせるように、風が花弁を浚っていく。

「……………」

仁吉の真意を探るように、少女は仁吉を見つめる。
この少女は、仁吉ともう一人の手代…佐助の表情を読み取るのがうまい。
顔に出していないであろう感情やその考えを容易く汲み取ってしまう。
そういった所も、同じだった。

「私が、今日此処に来た理由…知りたいですか?」

突然、少女はニコリと笑って問う。

「それは…秘密なのではなかったんですか」
「もうっ、仁吉さんの意地悪」
「ふ…、教えて下さるのなら、知りたいですね」

そう言えば、尖らせていた唇を常に戻して少女は笑う。

「私、仁吉さんに逢いに来たんです」
「は?」
「貴方は、きっと此処にいるだろうと思ったから…」

少女の言葉に、仁吉の心臓がドクリと大きく脈打つ。

「誰から、此処の場所を聞いたんですか?」

今日、この桜の木の場所に行く事を仁吉は誰にも伝えていない。
況してや、この場所を知っている者は限られている。
更に、仁吉がいるだろうと思ったということは、仁吉が桜の場所を知っている事を知っているという事になる。
そして、仁吉が毎年この時期にこの桜を見に来ているという事を知っている…もしくはそれを予想できたという事にもなるのではないか。
そんな人物に、仁吉は一人しか心当りが無かった。
やはり、この少女と彼女は何かしらの繋がりがあるのか?
見越の入道の言う通り、少女は彼女と融合して生まれてきた者なのだろうか?
仁吉は、少女の答えを固唾を呑んで待った。

「…いいえ、誰からも聞いていません」

ゆるゆると、少女は目を閉じて首を左右に振る。
頭に載っていたのであろう桜の花弁が、反動でふわりと落ちた。

「夢の中で、この桜の木の下にいる仁吉さんを見たんです」
「―――夢で?」

何を言っているのか良く解らずに、怪訝な顔をした仁吉に構わず、少女は続ける。

「私、とある御方から伝言を預かっています。それを、貴方に伝えたくて、此処に来ました」
「伝言?」

『とある御方から』、そう聞いて仁吉は、まさかと思った。
怪訝な顔のまま身構えるように、何かを期待するかのように少女を見つめる。

「本当は、もっと早く伝えるべきだったのだろうけれど、言う機会が中々難しく…」

すみません、と眉を下げる少女は、寸の間逡巡したあと、ふと口を開く。
だがその唇から洩れた声は、同時に吹いた強い風の音と揺れる花の音に掬われ、連れ去られてしまった。

「         」

風に吹かれて舞う桜の花弁の中、少女の唇の動きから目が離せなかった。
風が止むと、少女は困ったように顔を歪める。

「すいません、風に邪魔をされてしまいました。あの、もう一度ちゃんと…」
「いいえ、大丈夫です」

再度口を開こうとする少女を、やんわりと静止する。

「聞こえていたんですか?」
「いいえ。ですが、結構です」
「え?」

仁吉の返答に、意味が解らないと少女は困惑して首を傾げたが、仁吉はそれ以上何も言わなかった。

声は聞こえずとも、仁吉には少女がなんと言ったのか容易に読みとれてしまった。
その言葉を、愛しいあの人と同じ顔をしている少女の口から聞きたくなかった。
自分の想いは叶う事はないのだとわかっていたというのに、諦めていたはずだというのに、情けないことに実際はそんな覚悟は出来てなかった。
この想いを終わらせるだなど、まだ出来ない。
こんなにも焦がれているのに、こんなにも愛しく想うのに…。
溢れるばかりで、枯れる事を知らない湧き水のように募っていくばかりの想いに、仁吉はそっと息を吐く。
少女はそんな仁吉の憂いを帯びた背をただじっと何も言わず見つめていた。

ああ、いったい何時になれば、自分の中で咲いている想いは散るのだろうか。

散る桜を見ながらそんな事を考える。
それにしっかりした答えや返事などあるはずもなく……仁吉は目を細めた。

「    」

小さく呟いた名は、やはり桜の花弁と一緒に風に吹かれて溶けて、届くことはなかった。















(私は今でも貴女をお慕いしています)


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