抱き締めておけば良かった
「卒業おめでとう、セブルス」
名を呼ばれて振り返れば、笑顔の彼女がいた。
「お前もな」
「ふふ、ありがとう」
楽しそうに笑うが、僕はとても笑う気になどなれない。
今日で、この友人と……彼女と会う機会がなくなってしまうからだ。
「卒業後どうするか聞いてなかったけれど、どうするの?」
「…………」
悪意などない問いに、僕は困惑する。
なぜなら卒業後は、闇の陣営へ行くことになっているからだ。
両親を闇の帝王に惨殺された彼女には、言えない。
例え彼女ではなくとも、帝王の支持者意外にはとても言えない。
「僕は家の仕事を手伝わされるんだ。…厭になる」
遠回しな言い方で逃げた。
彼女に嘘は吐きたくなかったが、うちは帝王支持だ。
手伝いというのは嘘ではない。
また、言葉の最後も…。
「………そっか」
彼女は眉を下げ、申し訳なさそうな顔をした。
どうせ悪いことを聞いたとでも思っているんだろう。
旧家の当主だと言うのに、彼女は他人に優しい。
女には特に…彼女はフェミニストである。
どうやら父親の教えらしく、その教えを微塵も疑わずに素でやる行動に、彼女の親友や友人達…勿論僕もだが…は驚かされる事がある。
他人を疑わぬわけではないが、狡猾と言うには程遠い。
一度懐に入った者は清々しい位に信用し大事にする彼女は、ずる賢い者が多い旧家の中でも異質な存在だ。
他人を利用し、のし上がろうとする者ばかりが周りにいた反動もあり、彼女は心から信頼できる者を求めているのだろう。
スリザリンの僕に、彼女がそのようなことを漏らしたことがある。
「お前はどうするんだ?」
「あたしは、すぐにでも働くつもり。ダイアゴン横丁の小さな店が借りられそうなの」
にっこりと笑って言った彼女の言葉に眩暈を覚える。
「当主のお前がか? 帝王に狙われているのだろう?」
帝王は本気で彼女を欲している。
彼女の能力を手中に治めたいと…。
危険だから何処かに隠れていて欲しい。
心配なんだ…、お前を失いたくない。
そう、言えたらどんなに楽だろう。
だが、恋愛において感嘆出来る程に彼女は鈍かった。
僕の想いに気付いているはずもない…何なら、妙な誤解をしているようだ。
誤解を解こうともしたが、どうやら照れているとでも思ったのか更に誤解を深めてしまっただけだった。
想いを伝えようとした事もあったが、彼女の周りにいるグリフィンドールの犬や狼どもに邪魔されたり、遠回しに言ってキョトンとされたり……うまく伝えることができなかった。
「うん。そう思ってたんだけど…リリーやリーマス達に大反対されて…。ウチの当主に代々伝わる時計塔があって、そこに身を隠すことにしたの。そこならあたしが許可した人意外には見つけることも出来ないし、あの人もさすがに日本までは来ないでしょ?」
罰が悪そうに苦笑いする彼女に気付かれないようにホッと息を吐く。
日本…。
彼女の母親の故郷だ。
なおのこと遠くなる。
もう会う機会などないのだろうな…。
「……そうか」
頷く僕に、彼女は悲しそうに眉を下げる。
「セブルスに会えなくなるのはとても淋しいけど、きっと暗黒の時代なんて早々に終わる! そうしたら、また皆でまた会えるよね」
背の小さな彼女は、自然と上目遣いになる。
心細そうに問う彼女に僕は心臓が跳ねる。
「………………」
「セブルス? ……もしかして、もうあたしとは…会いたくない?」
固まっていた僕は、不安そうなピンクの瞳にハッとした。
「………そんなこといつ言った?」
「だって無言だから」
「僕が無口なのは今に始まったことじゃないだろう」
僕の言葉に、彼女は納得したらしく、そっかと頷いた。
「あたし、セブルスのいれてくれる紅茶が一番好きなの。飲めなくなるなんて嫌だからね!」
「…紅茶だけか?」
思わず口から出た言葉だった。
彼女は笑い飛ばして、『セブルスでも冗談言うんだ』とでも言われるのだろうと思っていた。
「やだな、セブルスのこともちゃんと好きだよ」
そういって彼女は笑った。
見惚れてしまうようなきれいな笑顔だった。
「あ、リーマスが呼んでる」
彼女を呼ぶ声が聞こえる。
声に視線をやれば、ルーピンが手を挙げていた。
彼女は手を挙げ返して、返事を返すと僕に向き直る。
「じゃあね、セブルス」
チュ、というリップ音と頬に感じた柔らかな感触。
「これ、あげる。…またね!」
彼女は僕に何回か折られて小さくなった紙を手に渡し、笑顔を残して走り去って行った。
僕はその背中を見送りながら、今おきた出来事に固まってしまっていた。
今、彼女は僕に何をした?
ルーピンの刺すような視線を感じながらも、暫く僕はその場から動けなかった。
彼女の笑顔が、僕の頭に刻み込まれたのは確かだった。
「死んだ?」
その話を伝えられたのは、帝王が赤子に倒されたという事を知らされ、ダンブルドアに会いに行った席でだった。
「―――だが、アイツは不可侵の時計塔に護られているのでは!?」
らしくもなく、大声でダンブルドアに問う。
「さよう。じゃがの……あの子は、親友達が危ないと察知して、ポッター夫妻とハリーを助けに行ったのじゃ。そこで、リリーとハリーを庇い、死の呪文を浴びたらしい」
「…………………」
信じられなかった。
彼女が死ぬだなんて信じられなかった。
信じたくなかった。
彼女が死ぬ筈がない!
預言者新聞で、彼女の死が報じられようとも、ダンブルドアがいくら言おうとも、マクゴナガル教授にいくら諭されようとも、僕は信じられなかった。
故に彼女を探しだすと誓った。
それから、10年という年月が過ぎた。
彼女は未だ探し出せていない。
瞼を閉じると、今でも彼女の笑顔が甦る。
そして、手には卒業の時に渡された紙……彼女が描いた我輩の絵。
優しい線と色合い。
彼女の絵は素晴らしかった。
一度出画したマグルのコンクールでは賞も取った。
あの時、彼女は涙を流して喜んでいた。
…思い出ばかりが甦る。
冷たい部屋で一人ポツリと彼女の名前を呟く。
何度も、幾度となく後悔の念で押し潰されそうになった。
あの時―――…、あの卒業の日。
彼女に最後に会ったあの時。
抱き締めておけば良かった。
あの笑顔が、会話が、キスが…最後だなんて…。
我輩は、まだ伝えていない。
お前が好きだと―――――…。
(こんな後悔したくなかった)
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