有刺鉄線の檻の中





談話室には、珍しく人が殆ど居なかった。
談話室の中を何気なく見回すと、見知った横顔を見つけて、自然と足が動く。
彼女は、スケッチブックにペンを走らせていた。
後ろから覗き込めば、描いているのはどうやら人物画らしい。
誰を描いているのか、描きかけのデッサン画ではよくわからなかった。

「誰を描いてるんだ?」
「!?」

集中していたところに突然背後から声をかけたせいか、彼女は驚いて肩を揺らした。
描いていた線が歪む。

「シリウス! もう…吃驚した……」
「悪い。──で? 誰を描いてる?」

彼女は眉間に皺を寄せて何か言おうとしたが、そのまま口を閉じるとパタリとスケッチブックを閉じた。

「誰でも良いでしょ」
「ふーん。箒が見えたから、ジェームズだろ?」
「違います」
「…じゃあ誰だよ」
「だから、誰でも良いでしょう?」

彼女は、俺の問いには答えずに道具を片付け始めながら言葉を返す。

「そう隠されると気になるだろ」
「そんなの知らないよ。ところで…」

チロリ、と彼女が俺に視線を寄越してきたものだから、俺は更に追及しようとしたのをやめた。
彼女の視線には、どこか非難の色を孕んでいたからだ。

「貴方、いい加減女の子取っ替え引っ替えするのやめたら?」

ピシャリと言い放った彼女の瞳に、俺が映っていた。

「…悪いな、また泣きつかれたか」
「そういう事を言ってるんじゃないの。まあ、それもあるけれど……」

彼女は、はぁ、と息を吐く。
父親の性格、信条故か、女性には特に優しくしなさいと教えられた彼女は、女性であるにもかかわらず自他共に認めるフェミニストだ。
そんな彼女は、女子生徒から頼られる事が多い。
そして、俺はそんな女子生徒を泣かせる悪い奴だ。
告白されれば、顔やスタイルが及第点なら望みのまま付き合うが、俺は好きでもないわけだから、付き合うたびに女子は悉く泣くはめになる。
そんな俺と彼女は友人であるが為、女子から相談されることもしばしばであるが、また同時に嫉妬や妬みを受ける事も度々だ。
彼女の親友のリリーもまた、嫉妬を受けることがあるが、リリーは俺の親友のジェームズと付き合っているのでさほどその影響を受けない。
彼女が嫉妬を受けるのは、ただ単に仲が良いから、という理由の者の他に、俺の想いに気付いた者からなのだが、彼女は俺の想いに気付いていない。
彼女は、鈍いのだ。

「シリウスは大事な友人だから、幸せになって欲しいんだ。リリーとジェームズみたいに。少しはジェームズを見習ったら? あの人の一途さには本当に驚かされる………尊敬する」

ジェームズは、一年の時からリリーのことが好きだった。
それからアタックして、アタックして、アタックしまくって、紆余曲折あった末に遂にリリーと付き合う事になった。
いい加減諦めたらどうだと散々言われていたが、ジェームズは諦めず、見事に恋を成就させた。
そんな親友が誇らしくもあり、また、妬ましくもあった。

「俺があいつみたいになったら困るだろう? あいつは1人で充分だ。──それに、俺には似合わねー」

ジェームズのように、なりふり構わずに一心に愛を伝えることが俺には出来ない。
今の状況に甘んじて、そこから動き出すことも出来ず、かといって諦める、ということも出来ない。
そんな気持ちの捌け口を、告白してくる女生徒で補おうとしては、やはり心が彼女以外を受け付けてはくれない。
最低な事をしているという自覚はあったが、それ以上に心を安定させようと必死だった。
付き合って暫くは、相手を少しでも知ろうと接し、肌を重ね、新鮮さに心が浮き立ち穏やかになる。
だが、暫くすると、彼女と重ね、更に較べている自分に気付くのだ。
そうなると、その相手とはもう付き合えない。
その繰り返しだ。

「そんなことないよ、真剣になることに似合うも似合わないもない。シリウスのクィディッチに直向きな姿、格好いいよ。泥だらけで汗だくでも、とっても格好いいと思う」

にっこりと微笑む彼女に、自分が何を言われたのか思考が追いつかなかった。

「シリウスにはいないの? クィディッチと同じように直向きに、想える人はいないの?」

真っ直ぐな言葉だった。
真っ直ぐな視線だった。
だからこそ、真っ直ぐにその問いに答えたくなった。

「…………俺は……っ……」

お前を想っている、と、伝えたい。
伝えたら、応えてくれるだろうか。
喉から出かかった言葉を、俺は飲み込んだ。

「──そういうお前はどうなんだよ」
「あたし?」

虚を突かれたように、彼女の目がきょとんと丸くなる。
ジェームズ程ではないにしろ、長いこと秘めていた想いは簡単に口に出せるほど軽くはなかった。
臆病になり、探りをいれ、保険をかけようとしてしまった。
彼女は困ったように眉を下げるとゆるりと首を振る。

「あたしは…リリーやシリウス達を大事に、大切に想ってる。けれど、恋い慕うという気持ちはまだよくわからない」

彼女は、7歳で両親から引き離され次期当主として軟禁され、厳格な祖母に徹底的に教育をされた。
それは、感情を押し殺してしまうほどに、壮絶な生活だったらしい。
ホグワーツに入学し、グリフィンドールになってから徐々に感情を出せるようになった彼女は、他人の感情には聡いが自分の感情には鈍い。
思春期の複雑な感情は、彼女にはまだ難しいようだった。

「そんなんで俺に説教かよ」
「説教なんてしてるつもりないよ。ただ、大事にして欲しいだけ」

からかうように言った俺の言葉に眉を寄せながら言って、彼女は笑った。

「………居るよ」
「え?」

気付いたら、口が勝手に動き、言葉を紡いでいた。

「想う人は、居る───…が、俺はそいつから想われてはいない」

小さな呟くような俺の声が聞こえたのであろう彼女は、目を瞠った。

「…シリウス……」
「そいつは俺を友人としてしか見ていない」

じっと彼女を見つめる。

「そいつの名前は───…」

彼女は真っ直ぐな瞳で俺を見ていた。
その目に映った自分の顔に、らしくもないその真面目な表情に、思わずでかかった名前を言いよどんでしまった。

「…いいの、シリウス。無理してまで話す事ないよ」

そんな俺の態度に、彼女は静かに首を振ってそう言った。

「…シリウスの気持ちが分かっただけで充分。でも、辛いんだったら無理して忘れようとかしない方がいいよ。ジェームズに言えない事はあたしがいくらでも聞くし」
「…………は?」

俺は彼女の言葉を頭の中で反芻した。

(ジェームズに言えない事ってなんだ? ジェームズは俺の気持ちに気付いてるし…まあ、同じくリーマスの気持ちにも気付いてるから公平な立場になってるけど、言えない事なんて俺にはない)

考えてみたが、彼女が何を言いたいのかよく理解出来なかった。
俺が訝しげに考えながら黙っていると、彼女は何を思ったのか、ぶつぶつと何やら呟いた。

「そうだったんだ──確かにリリーは魅力的だもん。あ、だからセブとシリウスは仲が悪いのかな? 」

俺は、彼女が盛大な勘違いをしていることに気付いた。

「おい、なんか勘違いしてないか?」
「え?」
「俺が好きなのはリリーじゃねぇぞ」
「え!? 違うの!?」

彼女の驚いた表情に、俺は溜め息を吐きたいのを必死で堪えた。

「そ、それなら良かった……けど、リリーじゃないなら一体誰なの!? っていうか、なんでリリーじゃないの!? あんなに魅力的な女の子なんてそうそう居ないよ!?」
「はぁあ!? おっまえ、言ってる事おかしいぞ、さっきは俺の気持ちが分かっただけで充分とか言ってたじゃねぇか! 大体、リリーじゃなくて良かったのか不満なのかどっちなんだよ!?」

言っている事が支離滅裂になった彼女に、声を荒げたのは仕方ないことだと思う。

「リリーじゃなくて良かったけど、なんかリリーが魅力的じゃないって言われたみたいで腹立つの!!」
「んなこと言ってないだろーが!」
「でも腹立たしい! この怒り、どうしてくれる!?」
「知るか!」

いつの間にか立ち上がっていた彼女と睨み合うように言い合っていると、なになにー、どうしたのー?、とのほほんとしたジェームズやリーマス、ピーター、リリーが現れて、その場はもっと騒がしくなった。

懐かしい思い出。
愛おしい日々。
そっと閉じていた目を開けると鉄格子越しの空には月が浮かんでいた。

「……夢か」

カサリ、と手にしていた紙が擦れた音を発てる。
その紙に目を移すと、箒に乗って笑顔を見せる自分の姿が描かれていた。
卒業するときに彼女から渡された絵を見て、あの時彼女が描いていた絵だと気付いた時は驚いた。
あの時何故、彼女が描いている人物の名を言わなかったのか分かり、思わず笑ってしまった。

「…馬鹿な奴」

ポツリと口の中で呟く。
安全な時計塔の中でじっとしていれば良かったのに、彼女はそこから飛び出した。

「……馬鹿な奴…」

結局好きだと伝えられないまま、彼女は死んだ。
拒絶を恐れて想いを伝えられなかった不甲斐ない自分。

「──馬鹿野郎…」

拒絶より、何より、死別する事の方がどんなに辛いか身を以て知った。

「───…会いてぇなぁ……」

ポタリと落ちた雫が、紙の中で笑う己の上に落ち、まるで笑いながらないているようだった。











(もう、直向きに想う人は居ない)




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