「お兄ちゃん!! また勝手に残り物いじって!!」
ルキアの出て行った家で、可愛らしい声が飛ぶ。
「夜食だよ、夜食。育ち盛りは大変なのだ」
言われた当の本人は、気にしている風体もなく、軽く返して2階の自室へ夜食を運んでいく。
「太っても知りませんからね!」
「へーい、気をつけまーす」
手慣れた動作で自室のドアを開け、彼は自室に居るであろうルキアへ呼びかける。
「おーい、ルーキアー。晩メシだぞー…って、ありゃ?」
だが、ルキアの姿どころか気配もないことに気づくと何だよアイツ、と息を吐いた。
「またどっか行ってやがんな…」
ルキアがたまにふらりとどこかへ行く事があった為、彼はさして気にしなかった。
故に、机に置かれている手紙にも注意をはらっておらず、気づいていなかった。
NUMBER,2 死神
「…マジかよ! ホントに義骸に入ってんじゃねーか…。映像庁の情報なんかアテになんねーと思ってたのによ…」
走るルキアの背を眺める二つの死神の姿。
「…朽木ルキア…見ィーつーけた!」赤い髪を結い紐で束ねた死神は、サングラスを上げてニヤリと笑う。
「 !! 」
その声に、ルキアは体制を変えて声の主を振り仰ぐ。
そうして、その姿を電信柱の上で見とめると息を呑んだ。
「…貴様…、恋次…! 阿散井 恋次か…!?」
赤い髪の死神恋次は、月を背に腰に帯刀した斬魄刀をスラリと抜いた…次の瞬間、銀の軌跡が走る。
「 !? 」
だが、その太刀はルキアと恋次
の間に割って入ってきた何者かに受け止められた。
ルキアは砂塵と共に現れたその背中に見覚えがあった。
「お前は……っ」
恋次は、己の太刀を斬魄刀で受け止めているその姿に目を見開く。
「…そんな……まさか───…」
ルキアは自分の声が震えていることにも気付かない程、動揺していた。
(居るはずがない。お前が、ここに…現世に、居るはずはない!)
だが、聞こえてきた声は耳によく馴染んだ声だった。
「相変わらず趣味悪いサングラスね、恋次!」
「───っ、はぁ!?」
第一声がソレか!?、と恋次は一瞬何を言われたのか反応が遅れた。
その隙を、見逃さなかった。
受け止めていた恋次の斬魄刀を弾くように押し返し、体制を崩した恋次の足を下から払う。
「…チッ!」
恋次はそれを後ろへ飛んで避けた。
そうして、縮まっていた恋次とルキアの距離は離れる。
「お前…、何のつもりだ?」
苦々しい表情で、苛つきながら問われた言葉に、少女は応える。
「それは此方の台詞よ。恋次、貴方一体何のために副隊長になったの?」
「!!」
「副隊長…? 恋次が?」
ルキアは聞こえてくる二人の会話に、目を見開く。
「一体、どこの隊の……」
「椿木 ぼたん。斬魄刀を収めろ」
響いた声に、ルキアの体に衝撃が走った。
ルキアのすぐ背後に、もう一人の死神が立っていた。
「───…白哉…兄様………」
ルキアが震える声で呟けば、朽木家当主・六番隊隊長 朽木 白哉は、表情を変えることなく淡々と…ルキアの名を呼んだ。
彼はルキアの義兄であった。
「ルキア、離れて!」
ルキアを背に庇うように腕を伸ばし、下がらせる。
そうして、左右に挟まれるような形となったぼたんは二人の死神を…主に白哉の動向を窺いながら、そっと背後のルキアに声をかける。
「良い? あたしが二人を足留めしておくから、その隙に逃げて」
「…っ、な───…何を言っているのだ? 恋次はともかく、白哉兄様相手に……無茶だ! 私など良いのだ。捨て置いて、早くここから逃げろ!」
ルキアはぼたんの背にそっと触れる。
ルキアの手の震えを死覇装越しに感じ取ると、ぼたんはにっこりと微笑んだ。
「大丈夫」
「ぼたん」
ぼたんの笑顔に虚をつかれ、ルキアは目を丸くする。
「おーい、丸聞こえだって分かってるか? オレの扱いが随分じゃねぇか! そんな事が出来ると本気で思ってんのか?」
恋次が呆れたように声をあげる。
ぼたんはそんな恋次に驚くほど穏やかに微笑みかけた。
「恋次、手合わせで一度でもあたしに勝てたことがあった?」
「…!っ」
ハッと息を呑んだ恋次に、ぼたんは斬魄刀を構える。
「──…よぉーく分かったぜ、椿木 ぼたん! 朽木 ルキアの逃亡補助にてお前も捕らえて牢にぶち込んでやる!!」
「違う!! ぼたんは違う!!」
「 !? 」
恋次の目が剣呑な色を帯び、霊圧が一気に上がれば、ルキアがぼたんを押しのけて恋次の前に飛び出た。
「──そうだ、私だ! 私がぼたんを現世へ呼んだのだ! 悪いのは私だけだ!」
「なっ…! 違…「ぼたんは何も知らぬ! ただ私に呼ばれて来ただけだ!!」
違う、と言おうとしたぼたんの声を遮り、ルキアは叫ぶ。
「…………ルキア…」
ぼたんは、必死で“悪いのは自分だけだ”と主張するルキアに唇を噛みしめた。
(馬鹿だな、あたし。ルキアの性格なんて分かっていたのに…。これじゃ、助けに来たのか足を引っ張りに来たのか……ルキアの罪を更に多くしてしまっただけだ)
ぎゅう、と斬魄刀の柄を握る手に力を込める。
「まあ良い。ぼたんの件は帰ってから詰問するとして───…さあ、吐けよルキア。テメーから力を奪った人間の居所をな」
ぼたんは、恋次の言葉に己の芯が冷えていくような感覚に陥った。
「オレ達は、テメーを捕らえて、力を奪った奴を殺す」
「“殺す”…?」
ぽつりとぼたんは恋次の言葉を繰り返す。
(殺す? あの子を? 死ぬ? あの子が…? あの子が───…死ぬ?)
理解した瞬間、抑えていた感情と霊圧が弾けた。
「「「 !? 」」」
ビリビリと空気をも震わせる程の霊圧に、その場に居た三人は目を瞠った。
「……ない…」
小さな、それは小さな、声だった。
「そんな事、絶対にさせない」
死神を志す者が入学する真央霊術院時代からの付き合いであったルキアと恋次だったが、これほどまでにぼたんの怒気を孕んだ
声を聞いたのは……、怒りに我を忘れた姿を
見るのは、初めてだった。
「…ぼたん……何故、お前が───…」
そこまでの感情を、あやつに向けるのか?、その問いは、最後までルキアの口から出なかった。
「縛道の六十一『六杖光牢』」
六筋の霊帯がぼたんの体を捕縛する。
「 ! 」
「白哉兄様…っ」
死神の主要な戦闘術『斬拳走鬼』の内の一つ、鬼道。
自身の霊圧を特殊に編んだ言霊で支配し、操ることで発動する霊法。
敵に直接ダメージを与える攻撃系と敵の自由を奪う補助系と、傷ついた仲間を癒す回復・治療系等、その種類は多く、組み合わせる事も可能だ。
多少術の威力は衰えるものの、言霊の詠唱を破棄し、発動を迅速に行える“詠唱破棄”。
高等技術であるが、術者への負担もあるそれを、白哉はぼたんの動きを封じるために放った。
「っ、朽木…隊長……!」
ぼたんは身動き出来なくなった体に、白哉を睨めつける。
ぼたんの空気を振動させていた程の高い霊圧は、収まっていた。
「少し、大人しくしていてもらおう」
「く…っ、ルキア! 逃げて!」
ぼたんが叫ぶが、ルキアはぼたんの拘束された姿に躊躇が生まれ、足が動かない。
「ルキア!!」
「駄目だ。お前を置いて私だけ逃げるなど……、!!っ」
頭を振るルキアに、伸びる銀の軌道。
寸手の所で気付いたルキアは上体を捻ってかわし、その勢いで流れる体を足と
手を地に付けて踏ん張って止めた。ルキアの頬には恋次の刃先が掠り、一筋の血が流れる。
「ルキア、次はかわさせてやんねえ……斬るぜ」
斬魄刀を振り上げた体制のまま、恋次は柄を握る手に力を込める。
ぼたんはその光景に、必死で体を動かそうともがくが、依然霊帯はぼたんを捕縛したままだ。
「ルキア!」
「 !! 」
ぼたんが叫んだとほぼ同時に、霊力の弓矢が恋次に伸びる。
恋次は素早く頭を後ろへ引き、それをかわす。
ぼたんはその弓矢に見覚えがあった。
動かない体で視線だけ動かすと、昨日ルキア達の姿と共にあった姿があった。
(昨日と服装は違うけれど…彼は、確か───…)
ぼたんが思案していると、彼は口を開いた。
「女性に向かって武器を翳し、力で思い通りにしようとする…見ててあまり気持ちのいいもんじゃないね…。僕はあまり好きじゃないな、そういうの」
「…何者だ、てめぇ…!?」
「…ただのクラスメイトだよ。死神嫌いのね」
そう言って、眼鏡を押し上げたその手には包帯が巻かれてある。
(彼は滅却師の生き残り。昨日の、傷…か)
ルキアは、静かに歩み寄ってきた彼に目を瞬かせる。
「石田…貴様、どうしてここに?」
「ただの偶然さ、朽木 ルキア。君の気にすることじゃない。強いて言えば…」
言いながら、彼は手にしていたビニール袋を持ち上げる。
「この24時間営業の洋裁店チェーン“ヒマワリソーイング”に夜中突然行きたくなったが、その支店がこの辺りにしかなかったからこんな深夜にこの辺を歩いていただけのこと」
その話を裏付けるかのように持ち上げたビニール袋には、ヒマワリソーイングのロゴが入っていた。
「別に、死神の霊気を感じたから気になって飛び出して来た事への口実作りの為に、わざわざウチからこの袋を持ってきたわけじゃないぞ」
「「……………」」
ぼたんもルキアも、彼のあまりにへたくそな弁明に、声も出なかった。
(これはもう、嘘が下手とかどうとかいうレベルの問題じゃないよ…)
頭良さそうなのに、実は頭悪いのではないだろうか、とぼたんもルキアも同様の事を考えていると、話を断ち切るように彼の手にしていたビニール袋の持ち手部分より下が斬り落とされた。
「 ! 」
「ガチャガチャ言ってんなよ、メガネ」
恋次は突然現れた石田にご立腹のようだ。
「こっちは質問してんだぜ。まァ、答える気が無ェならそれでもいいや。てめぇを先に殺すだけだ」
「待て恋次! 此奴は…「何を言ってるんだ? ちゃんと答えたろう」
ルキアが制止をかけようとした隣で、石田がそれを遮った。
「ただの朽木 ルキアのクラスメイトだ。死神嫌いのね」
「そういうのは答えてねぇって言うんだよ!」
ぼたんは黙って三人のやりとりを見ていたが、自分の隣に白哉が立っていることに気付くと、その名を呟いた。
白哉はその声に一瞥だけで返し、また視線はルキア達へと戻る。
相変わらずの無表情に、ぼたんは息を吐く。
「石田 雨竜だ、よろしく」
「あ? 何だ急に」
「いや、いかに死神とはいえ、自分を倒した相手の名前ぐらいは知っておきたいだろうからね」
安い挑発だった。
だが、頭に血が上りやすい恋次にとっては、十分だった。
「…決定だ! てめーは殺す!!!」
「止せ! 恋次!! 石田!!」
(何故、彼はルキアを助けようとしているのだろう? 彼は死神が嫌いだと確かに言った。それならば、何故? 義骸に入っているとはいえ、ルキアは死神だ……何故彼は、傷ついている身でありながらその手をルキアに差し伸べるのか……?)
ぼたんは、石田の優しさに胸が締め付けられるようだった。
(だけど彼はきっと恋次には勝てない────…)
「ルキアの奴、どこ行ったんだ?」
自宅のトイレの中で、彼、黒崎 一護は大きく溜息を吐く。
「帰ってこねぇつもりかよ。もう2時回ってんぞ…」
まァ、帰ってこねーならそれでもいいか…、と一護は今晩は死神業休んでゆっくり休ませてもらおうとズボンに手をかける。
「ん〜〜〜〜…」
「ぅおッ何だ!? 何の声だよ!?」
だがそこで突然聞こえてきた声にびくりと後ずさる。
思わず顔も赤くなる。
なんといっても、今居る場所はトイレだ。
「ん〜〜〜んんん〜〜〜〜…」
まだ続く声に、一護は恐る恐る声のする便器の後ろを覗き込む。
「…お前…コンか? 何してんだ? 新しい遊びか? 随分テンション上がってんな。色んな楽しみがあっていーなー、お前は」
そこにはガムテープでしっかりと便器の後ろにぐるぐる巻きに貼り付けられ、ご丁寧に話せないように口までガムテープで貼られた改造魂魄入りのライオンのぬいぐるみ、コンの姿があった。
一護は激しく首を振るコンを部屋へと連れ戻る。
コンの居た場所のせいか、彼は心なしか臭う。
「一護っ大変だ! ネエさんが!! ネエさんが大変なんだよ!!」
「あァ?」
「これ見ろ、これ! こんなに分かりやすく書き置きしてあんのに、なんで気付かねぇんだ!?」
小柄な体を駆使して、ルキアの手紙が置かれている机をバシバシ叩く。
そこで、一護は初めて手紙の存在に気付いた。
「なんだよこれ…? 書き置きって…どういう事だよ!?」
「うるさいうるさい知るかァ!!」
声を荒げる一護に、コンは頭を振る。
「オレなんか、ネエさんが出る時一緒に居たんだぞ!! それなのに、何の説明もして貰えずにあんなトイレに巻き付けられて…置いてかれたんだ!! オメーの事なんか知るかァ!!」
コンの出来物の目からは涙が流れる。
「…くっそ! 結局手掛かりはこの手紙しか無えって事かよ!」
一護は、手紙を開けた。
恋次が地に伏している石田を見下ろす。
石田の腹部からは、恋次に斬られた傷口から血が流れている。
「ほら、だから言わんこっちゃねェ」
恋次は肩に斬魄刀を担ぐように乗せ、口端を上げる。
石田は咳込み、その息も荒い。
傷がよほど痛むのだろう…脂汗が浮き出ている。
その様を動けぬ体で苦々しく見つめ、ぼたんは奥歯を噛みしめる。
恋次の動作は早く、ルキアでは止めることもその場から動くことも出来なかった。
「さて…そんじゃトドメといっとくか。死ぬ前によ───く憶えておけよ」
「…っ、恋次! 待て!!」
ルキアの焦った声が響く。
だが、その声に耳を傾けるような恋次ではない。
「阿散井 恋次。てめーを殺した男の名だ。よろしくっ!!」
最後の言葉と同時に振り下ろされる恋次の斬魄刀。
ぼたんは見ていられず、目を堅く瞑った。
轟音が、響いた。
「…な…!?」
恋次の驚く声が響く。
「…何だ、てめーは…!?」
ぼたんは閉じていた目をゆっくりと開ける。
「───!!ッ」
そうして目に入った人物の姿に、息を呑む。
明るいオレンジの髪の死覇装を身に纏った死神代行は、巨大な斬魄刀を手に恋次の問いに応えた。
「黒崎 一護! てめーを倒す男だ!! よろしく!!」
ぼたんはその姿を食い入るように見つめる。
脳裏に過ぎるのは、あの日交わした約束。
「────…一…護……」
ぽつりと呟いた声はとても弱く、突然現れた死神に意識集中している中では、誰の耳にも届くことはなかった。
2004.10.24
加筆修正2017.1.26
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