現世では、尸魂界へと続く門が姿を現す。
穿界門…人間が、魂魄の姿ではなくそのままの姿で尸魂界へと行くことが出来るよう、霊子変換機の内蔵された門である。
門をくぐること自体は容易であるが、尸魂界へと辿り着くまでが困難である。
門が尸魂界へと繋がっている僅かな時間の間に、尸魂界へ辿り着く事が出来なければ、永久に狭間の空間である『断界』に閉じこめられることになる。
永久に。
尸魂界へも行けず、現世へ戻ることも出来ずに閉じ込められる。
その困難な道を乗り越えなければ、尸魂界へは辿り着けない。
喜助は、一護達が駆け抜けて行った門を見上げる。
そっと門に触れようと伸ばした手が、侵入を阻むように弾かれる。
喜助は、拒絶された手をぐっと握り締める。
「────任せましたよ……黒崎サン…」
想いを託すように、喜助は呟いた。
NUMBER, 7 風信
穏やかに凪いでいた風が、突然乱れた。
ぼたんは、すぐさまそれに気付き、顔を上げる。
「ぼたん? ……どうかした?」
急に動きを止めたぼたんに、傍にいた乱菊は不思議そうにぼたんを見る。
ぼたんの視線の先は、窓の向こう…西流魂街の方向だ。
ぼたんの険しくなった表情に、乱菊も筆を走らせていた日番谷も手を止め、眉を顰めた。
「…風が、乱れました。何か……来ます」
「“何か”って…」
冷静な声音で告げたぼたんに、乱菊が疑問の全てを口にする前に警鐘が響いた。
「「 !? 」」
突然の警鐘音に、乱菊と日番谷はハッと息を呑む。
「西方郛外区に歪面反応! 三号から八号域に警戒令!」
響いた声に、ぼたんは目を見開く。
「歪面反応…って、……旅禍?」
「あァ……珍しいな…恐らく数百年振りじゃねぇか? だが、三号から八号域なら俺達は待機だ」
ぼたんは日番谷と乱菊の会話をどこか遠くで聞きながら、動揺していた。
(───…西流魂街は、喜助さんの…! ───まさか…そんな、まさか……!?)
手にしていた湯呑みが、滑り落ちる。
パリン、と音を発てて割れた湯呑みに日番谷と乱菊が驚いてぼたんを見た。
「椿木! お前、大丈夫か!? ──────…椿木?」
割れた破片が散らばり、日番谷は慌ててぼたんの下へ駆け寄るが、反応がない。
不審に思い、視線をやれば、ぼたんの手が微かに震えていた。
「お前…手が……」
日番谷の言葉の途中で、ぼたんは飛び出していた。
「!?っ 椿木!?」
「ぼたん!!」
二人の声は、ぼたんに聞こえていなかった。
(嘘…違う……そんな筈ない! そんな事、あってはならない!)
「…っ、……確かめなくちゃ!」
今ぼたんを突き動かしているのは、その想いだけだった。
西に位置する白道門を目指し駆け抜けるぼたんの目に、白い羽織を着た死覇装の男の姿が入る。
警戒令が報じれている今、呑気にゆっくりと歩いてくる隊長の様子に、ぼたんは思わず足を止めた。
ぼたんと目が合うと、彼はゆるりと口端を上げる。
「ぼたんちゃんどないした? 十番隊は待機やろ?」
この状況で飄々と話す三番隊隊長・市丸 ギンに僅かに眉を顰める。
「市丸隊長…あたしは旅禍を……」
「あァ、ソレならボクが追っ払うたから平気や。気にせんとき。早よう隊舎に戻らな十番隊長さんに怒られんで」
十番隊長さん、怖いからなァ…と、言いながらも大してそうは思っていなさそうな態度のギンから、血の匂いを感じ、ぼたんは息を呑む。
「…市丸隊長……追っ払ったって……」
ぼたんの脳裏に、笑顔の少年の姿が浮かび、その次の瞬間、雨の中血塗れで横たわる姿に変わる。
「ん? 何や、まさか旅禍が心配なん?」
「…………………」
ぼたんはギンの探るような視線にぎゅっと両手を胸の前で握り締め視線を逸らす。
「相変わらずやねェ……えぇよ、教えたろうか?」
「……っ、!?」
ギンの言葉に顔を上げたぼたんは、すぐ目の前にギンの顔が近付いてきたことに驚き、咄嗟に身を引く。
だが、逃がさないとばかりにその肩をギンが掴んだ。
「い、市丸隊長!?」
「ぼたんちゃんがちゅーしてくれたら、教えたるよ」
「な、…何を言ってるんですか…!?」
言いながら顔を寄せてくるギンに、ぼたんは訳が分からず混乱し、後退る。
だが、ギンの手はぼたんの肩を掴んだまま、離れない。
「冗談はやめてください!」
「ボクは至ってマジメなんやけど?」
詰め寄るギンに、ぼたんの背中が壁に着く。
壁際に追い込まれ、ぼたんは逃げる場所がない。
ギンの顔が迫る。
「や…やめ「おい、何やってやがる市丸」…!」
唇が触れそうな程近付いた時、怒気を孕んだ声が割って入った。
その声に、ぼたんは目を見開く。
ギンの肩越しに視線を向ければ、今にも抜刀するとばかりに背負っている斬魄刀の柄に手を伸ばした日番谷の姿が見え、ぼたんは目を輝かせた。
「た、隊長…!」
「アララ、十番隊長さんやないの…残念やなァ……」
「市丸、その手を離せ…今すぐ」
ギンを睨み付ける日番谷は、怒りで瞳孔が開いている。
ギンは無言のまま寸の間逡巡し、パッとぼたんの肩から手を離した。
ぼたんは力が抜けたように、壁に背を預けたまま尻餅を着く。
「っ、ぼたん!」
日番谷がぼたんに駆け寄る中、ギンはぼたんを見下ろしたままそっと告げる。
「あの萱草色の髪の子、ただ追っ払っただけや」
「 !! 」
ぼたんは目を瞠り、ギンを振り仰ぐ。
「安心、したやろ?」
「………市丸隊長…どういう……」
全て口にする前に、市丸は身を翻し、手をプラプラさせて去って行った。
「椿木、大丈夫か!?」
「あ……日番谷隊長…ありがとうございました…それから……あの、すみません……あたし…」
呆ける間もなく近付いた日番谷に声をかけられるが、ぼたんは苦笑いを浮かべる。
日番谷は怪訝な表情でぼたんの次の言葉を待った。
だが、ぼたんの苦笑いはやがて歪み、視界が涙の膜で覆われていく。
「椿木…?」
「すみませ………ちょっと……我慢できませ……っ、」
口にしている傍から、ぼたんの目から涙が溢れて零れ落ちた。
「な……」
日番谷は僅かに目を見開いたが、黙ってぼたんの頭を優しく撫でた。
じんわりとした優しい温もりを感じるが、ぼたんの涙は止まらない。
市丸の言葉に、確信に変わったぼたんを突き動かしていた疑問。
何故、来たのか。
あんな風に突き放し、喜助に頼んでまで阻止しようとしたのに。
何故、助かった命をこうも簡単に危険に晒すような事をするのか。
ここにきて、計画が全て崩れてしまった。
護らねばならない対象が増えてしまった。
怒りもあった。
確かにあったが、ぼたんの胸はただ安堵していた。
(一護…っ、良かった! 生きてた…)
ぼたんは、一護が本当に生きていたという安堵で、喜びで、溢れる想いが、涙が止まらなかった。
嗚咽を殺すように泣くぼたんに、日番谷は何も言わず、ただ優しく頭を撫で続けた。
(…教えて、風華……一護は…一護は、無事? 怪我はしてない? どこに…いるの?)
ぼたんの問いに応じるように風が想いを乗せて吹き抜けていく。
誰かに名を呼ばれた気がして、一護は顔を上げる。
その頬を穏やかな風が撫でていく。
「───ぼたん…?」
空を見上げる一護は、笑う。
「…やっと来たぜ? 待ってろよ、ぜってぇ助ける!」
何もない空に、一護の声は吸い込まれていく。
「覚悟しろよ? 忘れてなんかやらねーからな」
風が揺らす木々の葉が、楽しそうにサワサワと鳴った。
ぼたんの耳に、風が声を運んでいく。
ぼたんはまた一つ、涙を落とした。
2004.11.7
加筆修正2017.2.7
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