翌朝、千里はくのたま達に先導されつつも己の足で食堂に入った。
途端に、それまで賑やかだった食堂内はしん、と静まり返る。
くのたま達は、呆れたように息を吐いたり、やれやれと肩をすくめてみたりしながらも、その歩みは止めない。
手を引かれている千里も同じだった。
やがて、ヒソヒソと囁きあう声が重なり、波紋のように広がっていく。

「あら、貴女が千里さんね? 学園長先生から聞いてるわ。私は食堂のおばちゃんだよ」

数歩歩んだ所でかけられた懐かしい声に、千里は足を止める。

「はい、千里と申します。いつも美味しい食事をありがとうございます」

頭を下げて応えれば、おばちゃんは朗らかに笑う。

「どういたしまして。もう食堂で食べれるようになったんだね。怪我は大丈夫なのかい?」
「怪我は皆様のおかげで随分と癒えております。先日、新野殿より身体を徐々に動かすようにと指導を受けました。私自身、この状況にも疾く慣れなくてはと考えております」
「目が見えないんだろう? なにか困ったことがあるなら言ってちょうだいね」
「お心遣いに感謝します」

千里と話しながらも、おばちゃんの配膳する手は止まらず、くのたま達は話に区切りがついたのを待ってから千里に呼び掛けた。

「千里さん、席にご案内しますね。早くしないと爽子が千里さんの分まで食べちゃいそうですから」
「ちょっと! 聞こえてるわよー!?」

先に席に着いているくのたま達から笑い声があがる。
そんな様子に、忍たま達は驚いているようだった。
先の天女が学園で好き勝手していた時には、くのたま達は一様にして天女と関わらず、忍たま達に対しても我関せずを貫いていたのだ。
そのくのたま達が、千里には優しく声をかけ、楽しそうに笑っているのだ。
席に着いた千里と食事を始めた姿は、まるで前からそこに居るのが当たり前かのように感じて、あの人は悪い人じゃないのかも知れない、と下級生達は、千里への警戒を少しだが薄めたようだった。

「千里さん、千里さん! 授業が終わったら、またお話聞かせてください!」
「ユキ、ズルい! 千里さんっ私も聞きたいです! 昨日のお話、本当にすごかったです!」
「あ、そうだ千里さん、昨日仰ってた城への潜入方法ですが、山本シナ先生が感心していましたよ。詳しく聞きたいって」
「うんうん! 潜入した後の行動も私達のためになるだろうって…座学で千里さんにお話聞かせていただこうかしらって仰ってました!」

食べながら口々に話すくのたま達は、皆一様に新しい技術や忍術を学ぶ事への意欲が溢れており、千里は内心で喜ばしいことだと微笑む。

「くのたまの皆さんは、本当に勉強熱心ですね」

(それに比べて、忍たま達ときたら…)

比較してはいけないのだろうが、警戒心が多少和らいだ下級生達に比べて、上級生達は隠すことなく敵意の籠もった視線を千里へ向けてきている。

(そんな暇があるなら、鍛錬の一つでもして鈍った身体をどうにかすればいいものを…)

やれやれ、と千里は手探りで把握した食器を手にして食事を進める。
こんな状態はいつまで続くのか、自分の傷が完治した後忍術学園を去るまでこのままなのだとしたら、忍たま達はそのまま落ちこぼれとなるだろうな、と考えていると、此方へ近付いてくる1つの気配を感じて、千里は手にしていた食器を置いた。

「おはようございます千里さん、此方にお出ででしたか」

優しげな声音に、くのたま達が土井先生、おはようございます、と挨拶を述べる。
それに律儀に返す男の気配を千里は覚えていた。

「私は、一年は組の教科を担当しています土井半助です。学園長先生から、お話があるとのことでお迎えに参りました」

土井の声が届いた生徒達が、またざわりと波紋を揺らす。
土井が現れた為か、控えられた射るような視線が、幾人からまた向けられた。
その視線に土井は気付くと、視線の主を順に確認する。

(――…あの時の、天女狂いの教師か。私に気付いて居るのか居ないのか、は、分からないな)

穏やかな声音だけでは判断出来ず、千里は小さく了承したと頷くと、さっさと食事を終わらせてしまおうと食器に再度手を伸ばす。
千里に拒否権などない。

「土井殿、疾く終わらせます故、申し訳ありませんが少々お待ちください」
「お残しはおばちゃんに怒られますからね、ゆっくりで構いませんよ」

ゆっくりで、と言われたが忍足る者、それでは務まらない。
任務によっては、食事の時間などとれない場合もあるし、少ししかない場合もある。
そういった場合の手軽な携帯食もあるが、そういった状況下でも任務に支障を出さない程度の早食いも忍には必要だと、やや聞かされていた千里には、平素通りとはいかなくても出来る自信があった。
なので、実行した。

「早っ」
「え、え? 千里さん、本当に目、見えてないんですか??」

くのたま達も土井も、目を丸くしてあっという間に空になった食器と千里を交互に見る。

「お待たせしました、土井殿」
「…ぜ、全然待ってないです」
「食器は私が片付けるからそのままでいいよ!」

立ち上がり、食器の載った盆を持ち上げようとした千里に、おばちゃんの声がかけられる。

「ですが───…」
「新野先生は、徐々にって言ったんだろう? 少しずつにしなくちゃね」

おばちゃんはそう言ってパチンとウインクをしたのだが、千里には見えなかった。

「───…では、お言葉に甘えます。ありがとうございます」

盆に触れていた手を離し、千里は頭を下げる。
土井がスルリと千里の手を取り、「参りましょう」と促す。
千里は無言で引かれる手に従った。
その背に、くのたま達から行ってらっしゃい、との声がかかり、千里はやはり無言で会釈を返した。
土井と千里が食堂を出ると、一呼吸置いた後にもう遠慮は要らないだろうとばかりに大きなざわめきが沸いた。
外まで聞こえてくる様々な声に土井は嘆息し、千里に申し訳なさそうな視線を向ける。
食堂から端々に聞こえるのは、天女、という言葉。
千里は天女ではない、と言われているが、どこかの城の間者だ、学園に潜り込んで何かをしようとしているのだ、と主に上級生はそう考えているようだ。

(自分達が疑っていることを本人に聞こえている、隠せていない、という時点で忍としては落第点だな)

千里は、忍術学園が落ちていくのはこのタイミングで現れてしまった自分が悪いのか、鍛錬が足りない忍たま達が悪いのか、と思考を巡らせたが、やはり、と内心で毒吐く。

(己を鑑みることが出来ていない忍たま達が、まだ青いのか)

忍たま故に、仕方ないことではあるのだろうが、それにしても減点対象が多い。
自分が在学中の忍たま達であったら、己の感情を押し込めて、警戒心を取り除こうと笑顔で此方に探りを入れてくる…もしくは、気配も探る視線も消して監視する、位は出来ただろうな、と千里はかつての…今は卒業した忍たま達を思い返す。
親しくはなかったが、卒業生を何人か任務中に見掛ける事があった。
皆、一定水準を超えた立派な忍に成っていた。

(果たして、今の上級生が今の体たらくで何人あの水準に達せるか……難儀なことだ)

そうして、学園長の庵へ向かう道中どうしたものか、と思案気な気配を漂わせている土井に千里は見えぬ目を向ける。

(この男を始め、教師達や学園長はそれに気付いているのか否か? 気付いているなら何かしら動くのだろうが、気付いていないなら…面倒だな)
昨日、早く用を済ませてここから出なければ、と改めて考えた千里にとって、行動し辛いのは良い環境ではなかった。

(学園長の用件も気にはなるが、彼の人は懐が探り難い。本心が読めない。この天女狂いだった教師…土井、と言ったか…先に少し探りを入れてみるか?)

天女に侵食されていた際の忍術学園の偵察で相対することとなった土井の実力は、師の雑渡とまではさすがに比較できないが、悪くはなかった。
恐らく、弟弟子…というべきかは不明だが、タソガレドキ忍者隊の下っ端の彼よりは勝るであろう。
どこまで探れるかは量れないが、千里は試してみることにした。

「土井殿、学園長殿のお話というのは如何様なものかご存知でしょうか?」

千里に話しかけられるとは思っていなかったのか、土井が少しばかり狼狽えたのが息を呑む音で解った。
ピタリと先導していた土井の足も止まってしまい、千里も歩を止める。

「……申し訳ありません、お聞きしてはならぬ内容でしたら、口を閉ざし着いて参ります故、お許しいただきたい」
「あぁ! いえ、そういうワケではありません。ただ吃驚してしまって…千里さんから話しかけていただけるとは思っていなかったので」

そうでしょうね、そんな反応でした、とは考えながらも口にはせず、千里はゆるりと頭を振る。

「驚かせてしまい申し訳ありません。やはり黙して着いて参りますので、お気になさらず」
「いやいや、折角ですし話しながら行きましょう。その方が…私としても助かります」

助かる、とは? と、土井の言葉を理解出来なかった千里だが、それを問うことはせずに黙って了承の意を込めて頷いた。
土井が介添えとはいえ女性の手を握っていることに若干緊張していたとは露知らず。
そうして幾許かの千里にはよくわからない間を置いて、土井がまた歩みを始めたので、千里も足を動かした。

「ううん……話しながら、とは言いましたが、千里さんの疑問の答えを私は知りません。学園長に指示されただけで内容までは聞かされていないのです。申し訳ない」
「いえ、学園長殿は私などでは敵いはしないお方ですので、正直駄目元で問うただけなのです。少しでも心の準備が出来たらと…。土井殿を責めるつもりはございませんのでお気になさらないでください」
「え、千里さん、もしかして緊張…とかされているんですか?」

意外だ、とばかりの声音を隠そうともしない素直すぎる土井に、この男は本当に元忍者なのかと思いながらも千里は頷く。

「包帯で見えないせいかとは思いますが、これでも緊張しております」
「いえ、包帯がなくても緊張しているとは気づけなかったと思います―――利吉君から聞いてはいましたが、本当に優秀な忍者ですね」
「優秀な忍ならば、この様な醜態を晒して御厄介にならずとも済んでおりますよ…」

皮肉に言い放った千里に、土井が気まずそうに小さく呻いた。

「あ―…忍者とはいえ人ですから、失敗することもありますよ。かく言う私も、お恥ずかしながら天女の術中に嵌ってしまい……生徒達にも先生方にも申し訳ないことをしてしまいまして……今は、失ってしまった様々なものを取り戻そうと必死になってます」

知ってます、とはまたしても言えず、千里はどう答えようか逡巡する。

(この土井という男は、もしかしなくても私を慰めようと態々自分の非をさらけ出したのか? なんと言うか……御人好しというか、騙され易そうというか……忍者に向いていないんじゃないか? ――――ふむ、だがこの流れならば学園側の真意を問うても不自然ではないか)

「―――土井殿が過去の己の行動を悔いて奮闘しているというのならば、忍たま達…上級生達を正した方が良いのではないかと愚考します。私の置かれている状況をご考慮いただきたいというわけではなく、彼等の行動は、忍者として思慮に欠けております。たまごだという点を踏まえても、下級生ならともかく気配も感情も殺気も隠し切れず、警戒対象に感づかれてしまっているのは如何かと。その状態にも関わらず、手管を変える気もない様子。……このままでは、就職先は見つかりませんよ。フリーになるにしても、土井殿はご存知でしょうが忍の世界はそう甘くはありません。―――既に何かしら学園側で行動されているのならば出過ぎた事を告げ、申し訳ありません」
「………………」

勿論、自分の状況を変えたいが故の言動だったが、今のままだと6年生の就職先に苦戦するだろうというのは事実だろう。
暫く待ったが、土井からの反応も返答もなく、千里は失敗したか…と内心で嘆息する。

(この手ではだめだったか……仕方ない、別の策を練るしかないな)

千里が諦めて口を開こうとした時、思いもよらない声が響いた。

「正しくその通りじゃ!!」
「!?」

突然の声に、思わずびくり、と体が揺れてしまった。

「が、学園長、いつから聞いていらしたんですか!? 驚かせないで下さい!」
「細かいことは気にするでない土井先生! 儂は決めた!」

さすがは学園長というべきか、気配に全然気づけなかった千里は、若干拍数の上がった心臓を落ち着けながら、土井と学園長の話を聞いていたが、学園長の口振りに嫌な予感がして続きをどうにかして言わせないようにしようと口火を切る。

「学園長殿、私をお呼びだとお聞きしましたが、用件をお聞かせいただきたいのですが?」
「うむ、呼び出した用件は特にないのじゃ! 千里殿と茶でも飲んで体調や近況を聞ければと思っておっただけなのじゃが……さすが名高いフリー忍者じゃ! 今の忍術学園の課題を見事に当てて見せるとは……儂はとても感心した。よって、その忍者としての優秀さをもってして、忍たま達を正していただきたい!!」
「――――はい?」
「学園長先生? ま、まさか…!」

真横の土井の声がワナワナと震えている。
千里も、学園長の意図は理解できていなかったが、今すぐ逃げ出したかった。

(こ、この流れは……とても不味い気がする)

その先はお願いだから言わないで、という千里の願いも空しく、学園長は高らかに言い放った。

「忍術学園上級生対千里殿の、大鬼ごっこ大会を開催するっ!!!」

学園長の突然の思い付きが発動した瞬間に再び立ち会った千里は、絶句したのであった。
















(もう誰にも止められない)

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