「初めまして、くのたまのユキです」
「同じくトモミです。お迎えに来ました」
「ありがとうございます。既にご存知かと思いますが、私は千里と申します。此度は御手数、御迷惑をお掛けして申し訳ありません」

新野と共に部屋を訪れた二人の元気で可愛らしい声に、千里は頭を下げた。
すると、ユキとトモミが少しばかり狼狽えたように声を洩らす。
まさか年上のプロ忍から、敬語を使われ、更には頭を下げられるとは思っていなかったのだろう。
だが、怪我を負い、目が見えない上にどこぞの城に狙われているという学園にとって厄介者でしかない千里が、どうして高姿勢で居られるだろうか。
千里は今、学園の生徒達の学費で生活させて貰っているのだ。
千里は、ただの穀潰しだと蔑んだあの天女とさして変わりない己の立場に、己の身が口惜しくてならないと同時に、早く怪我を癒やし、用を済ませて学園から立ち去りたかった。
今の自分の立場を思えば、待遇は良いものだが、居心地は最悪だった。
常に纏わりつく殺気や敵意、疑惑の視線が煩わしい。
何より、不自由な千里を何かと気遣い、世話を焼いてくれる保健委員会の面々のことを思うと、居た堪れない。
千里の知らぬ所で、他の生徒達に色々言われているであろう事は、聞かなくとも分かっているし、明白だ。

「千里さん、お約束通り、必ず毎日医務室へお越し下さいね」
「心得ております、新野殿。何より私の使命は、己の傷を疾く癒やし、この学園を平素に戻す事だと考えております故、これ以上御迷惑、御面倒はお掛けしません。ですのでご安心下さい」
「迷惑ではありませんよ。ですが、あまり無茶はしないようにして下さいね。保健委員の子達が貴女を案じていましたから」
「………畏まりました」

伊作の顔が頭に浮かび、千里は頷いた。
伊作以外の他の保健委員の子の顔を千里は知らない。
知っているのは、優しい声とまだ小さな手、それから暖かな心だ。

「では行きましょう、千里さん。くのたまの皆や、山本シナ先生が首を長くしてお待ちなんです」
「凄腕のフリー忍者である千里さんに、色々お話を伺いたいんです!」

弾む二人の可愛らしい声に、千里は表情を変えぬまま首を傾げる。

「……私の話など聞いて、皆さんの勉強になるのでしょうか?」
「良いんです! 皆、興味が有るんですよ!」
「好奇心旺盛なのは、何も一年は組だけじゃありません! 女同士、色々お喋りしましょう!」

多少気になる点はあったが、千里は滅多に緩めない口元を微かに緩めた。

「…お手柔らかにお願いします」

千里と関わりがなかったくのたま二人は気付かなかったが、新野は千里の常に固めていた表情が一瞬緩まった事に気付き、軽く目を瞠った。

「さ、行きましょう!」
「はい。新野殿、ではまた…」
「ああ、はい。明日、お待ちしてます」

千里は新野の気配のする方へ会釈すると、ユキとトモミに介添えされながら、医務室の部屋から出て行った。

(女同士、か…。ここに居た頃を思い出してしまい、一瞬緊張を緩めてしまった……。山本シナ先生の近くに行くだなんて、バレやしないだろうか……気を付けなければならないな)

これからは、在学中、担任であった山本シナが側に居ることになる。
当時の上級生は猛既に居ないが、当時の下級生は果たして今何人居るのだろうか?
くのたま達は、その殆どが行儀習いで入学し、上級生に上がる頃にはその大半が巣立って行き、残るのはくの一を目指すほんの一握り。
ほんの数名である。
上級生に上がった当時の千里の同級生も少なかった。
あの時は、千里を含めてたったの三名。
五年生は居らず、六年生は二名だけだった。
故に、千里はシナ程に自分の存在を知るくのたまの存在を危惧してはいない。
恐らく誰も残っては居ないだろうからだ。
だがそれでも知っておかなければ、と千里はそっと口を開く。

「ユキさん、トモミさん、くのたまは、何人位居るのでしょうか?」
「えっと、上級生は今は三人、下級生は私達を含めると十数人です」
「そうですか」

上級生が、三人……果たして誰が居るのだろうかと思案を巡らせ始めた千里を気遣うように、トモミが明るく声をかける。

「…大丈夫ですよ。私達くのたまは、千里さんを天女だとは思っていませんし、警戒している者も居ません」
「そうですよ。何より、女人の身でありながら、フリー忍者として名を馳せている千里さんを皆、尊敬しています」

千里が不安を感じているのだと思ったのだろうが、二人の考えている不安とは別の事に不安を感じていた千里は、一瞬言葉を詰まらせた。

「…どのような噂を聞いたのかは存じませんが、私は別に尊敬されるような者ではありませんよ」

千里にしては困ったような口調で告げれば、ユキとトモミは揃って頭を振る。

「いいえ。千里さんは、尊敬出来るお人です!」
「憧れます!」
「ーーー…ありがとうございます…」

千里は、やはり困ったように言葉を紡いだ。
二人の言葉が本心でも、例え千里の様子を窺ってのものでも、声からでは千里に判断出来なかった。
目が見えないということは、つくづく不便なものだと内心思いながらも、千里は歩む。
保健委員に叱られながらも押し通して行っていた一人での歩行練習で、千里は段々とコツを掴んでいた。
今、その手応えを実感している。
これならば、杖、もしくは棒でも用意して貰えば、一人でも歩けるだろう。
そこまで考えてから、千里は、いややはり無理だ、と己の浅薄な考えを打ち消す。

(ーー…一人で歩き回るのは駄目か)

くのたま長屋へ向かって学園内を歩いている今、視線や殺気、ヒソヒソと話す声を感じる。
隠す気がないのか、それとも隠せぬ下級生達かは分からないが、目が見えぬ分、余計に敏感に耳や肌でそれを感じた。
医務室から殆ど出歩かなかった千里に注目するのは当然のことだ。
千里を新しく来た天女、と考える者は今は少なくなったようだが、それでも生徒達の警戒は続いている。

(忍者としては正しい姿勢だが、動き辛いのはやはりいただけないな。折角軟禁状態だった医務室から出られる事になったわけだし、あの子を探すために動きたいのだけれど………さて、どうしようか)

千里が、ふう、と息を吐くと、ユキとトモミはそれに気付き、顔を見合わせる。

「ああ、もう忍たま達って、本当に馬鹿ばっかり」
「…視線、気付かれていますよね?」
「大丈夫です。私達が、しっかりお守りしますから!」

うんざりした風体の二人の言葉に、千里は、また勘違いをさせてしまったかと思いながら口を開く。

「ーーそれはとても頼もしいですが、彼等が私を警戒するのは当然の事です。私はこの傷が癒えれば学園を去る身。私の為に皆さんが此処で居辛くなるような事はなさらないで下さい」
「…千里さん……」
「今日は随分と饒舌でいらっしゃいますね」

ユキとトモミが、驚いたように千里の名を口にしたその時、可愛らしい声とは異なる殺気立った少年の声が響いた。

「………………」

少年の声がした方へ顔を向ける。
千里は、その気配と殺気に覚えがあった。
千里を監視するように纏わりついていた気配だ。
向けられる敵意ある視線に、スウ、と気持ちが冷めていく。
千里の両隣にいる二人が、上級生の殺気に息を呑み、身を縮めている。
千里の腕をとる手が強張るのを感じ、千里は自然と二人を庇うように一歩前に出た。

「…君が私を気に食わないのは分かります。ですから、敵意も殺気も監視も甘受致します。ですが、今はお収めいただけますか?」

千里の淡々とした言葉に、少年は愉快そうに挑戦的な笑みを浮かべる。

「断る、と言ったら?」
「…………………」

千里は、少年の言葉の内に愉悦を感じ取ると、寸の間無言でいたが、そっと抑えていた自身の殺気を開放した。
瞬間、少年が息を呑んでたじろぎ、辺りで様子を窺っていた生徒達もビクリと身を固めた。
ユキとトモミも、肩を揺らす。

「ーー目の見えぬ今の私でも、君を黙らせる事位出来ます」

言って、殺気を抑え込めば、周りから息を吐く声が洩れた。

「…脅しているつもりか?」
「いいえ。私はお世話になっている穀潰しの身。恩を仇で返すつもりは御座いません。ただ、お願いを申し上げているだけです」
「お前…っ」

語気が強くなった少年に、千里は一礼して、くのたま二人の背に手を添え歩き出す。

「待て!」

背中に掛けられる怒気を孕む声など聞こえていないかのように、千里は歩を進める。

「あ、あの…千里さん……」
「大丈夫です。あの場には上級生の気配がありましたし、先生方も騒ぎに気付かれたようだから、貴女達は案じる事ありません」

ビクビクと後ろを気にする二人に、千里は少年の事など眼中になどない風体で、そっと二人を宥めるように口調を柔らかにする。

「え?」
「千里さん、あの場に立花仙蔵先輩が居たのに気付かれて居たのですか?」

しかも、先生方の気配まで察しただなんて……、と二人は目を見張る。
千里は、驚く二人の呟きに、あの場にいた上級生は立花仙蔵と言うのかと思いながらも思考を巡らす。
あの視線にも千里は覚えがあった。
殺気は孕んでいなかったが、此方の出方を、動きを見ているようだった。
純粋に、千里を見極めようとしている視線。
あの日、町で天女の側にあった気配であった故に上級生だと分かっていた。
あの時は、忍術学園の上級生は落ちぶれたものだと思ったが、そうでもなかったらしい。
忍者らしい視線と行動に居心地は悪くも好感を持った。
だがそれよりも、千里には気になることがあった。

「…先程の生徒の名を伺っても宜しいですか?」
「ああ、五年ろ組の鉢屋三郎先輩です」
「変装名人と名高く、いつもは同じろ組の不破雷蔵先輩の顔を借りているのですが、千の顔を持つと言われています」
「ーー…鉢屋、三郎…」

口の中で確かめるように千里は呟く。

(あの少年には、今後気をつけるとしよう…)

「…あ、くのたま長屋が見えて来ましたよ。あと少しです!」

ユキとトモミの声と、此方を呼ぶ声を聞きながら、千里はどうしたものかと考えていた。














(あの少年は、最後に私の本当の名を呼んだ)


← →